等身大のヒトラーの素顔とは?
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- 元女性秘書が明かす等身大のヒトラー
- ヒトラーの自宅は貧相なアパート
- 女性に対するヒトラーと結婚観
- 重圧に押しつぶされるヒトラー
- 超人ヒトラーの誰にも言えない秘密
元女性秘書が明かす等身大のヒトラー
1945年第二次世界大戦が終わり、世界がのけぞるような恐怖に直面した。
ヨーロッパを席巻したナチスの「ユダヤ人問題の解決策」が産んだジェノサイドだ。
なんと600万人ものユダヤ人が大虐殺されていたのだ。
ホロコーストがなぜ起きたのか?
それに関する数々の疑問を記事にしてきたのでまずはこちらからどうぞ。
→ホロコーストとは?わかりやすく、マニアックにまとめてみた
たったひとりの独裁者によって何百万も大量虐殺された・・・
私はこの歴史を知ったとき、恐怖以上にひとつの疑問を抱いた。
「誰か反対する者はいなかったのか?なぜドイツ国民全員が追従したのか?」
プロパガンダに踊らされた面もあるだろうが、そこには人間に潜む悪魔が関係しているようだ。
人間は天使にも悪魔にもなれることを証明した「アイヒマン実験」をご存知だろうか。
詳細は別記事にまとめるのでそちらを参照されたい。
→服従して馬鹿になるか?ヒーローで虚栄を張るか?服従の心理
単純に権威に対して人は服従する者とも言えないだろう。
何百万人、何千万というドイツ国民を先導するにはそれなりの「魅力ある権威」であらねばならないだろう。
ヒトラーは女性票が多く、「自分は異性に対して魅力ある存在である」と自覚していたようで女性を惹きつける魅了ある政策を打ち出している。
ナチスらしい奇抜な発想ではあるが詳細は別記事にまとめているのでそちらを参照されたい。
→ナチスによる少子化対策の超想定外のフシギな効果
女性票を意識してヒトラーは「私はドイツと結婚した」と特定の女性ではなく、国に身を捧げるとも発言しているが、実はそうではなく、ヒトラーには最愛の人がいた。
1945年4月30日、ヒトラーは自決する前日にその女性と結婚しているのだ。
ヒトラーがその女性を隠したのは女性票を意識しただけではなかった。
実はとんでもない事実が隠されていたのだ。
それはこの記事の趣旨から外れるので別記事を参照されたい。
→ヒトラーの最後!なぜエヴァを隠したのか?フシギな話
等身大のヒトラーとはどんな人だったのか?
当時ヒトラーに仕えた女性秘書が等身大のヒトラーを捉えた著作が存在する。
近年、映画化されてもいる。「ヒトラー、最後の12日間」だ。
この映画に関する隠された実話があるんだけど、興味のある人は別記事にまとめてあるので
→“ヒトラー最後の12日間”にまつわる裏話
この映画はヒトラーが総統官邸地下壕で過ごした最後の様子を映画にしたものだが、残念ながらヒトラーの人柄を示すナマの言葉はカットされている。
この記事ではヒトラーはどんな考え方を持っていたのか?
ヒトラーとは何者だったのか?
何百万人もの人間を殺害した歴史上類を見ない最悪の独裁者でキチガイだったのか?ヒトラーの生声を紹介したい。
ヒトラーの自宅は貧相なアパート
まず、ヒトラーの自宅はどんなものを想像しているだろうか。
ちなみに現在、プトラーと非難されるウラジミール・プーチン大統領の自宅は建物の延べ床面積は1万7691平方メートル、建設総事業費は約1000億ルーブルと推定されている豪華絢爛たるもので、敷地内には、ヘリポートやスケートリンク、教会、円形劇場まで設置されている。
この豪邸の敷地総面積はモナコ公国の約39倍にもなるらしい。
それだけではなく、この宮殿とその敷地はロシアの諜報組織FSBの大勢の武装した者たちによって警備されて、一般の人は立ち入ることももちろんできない。
独裁者となれば、これくらいはやりたい放題というところか。
では悪の象徴とされるアドルフ・ヒトラーの自宅は?
というとはっきり言ってびっくりである。
ヒトラーアパートはミュンヘンにあり、恵まれた境遇の堅実な市民の家と全く変わりなかったという。
一階:守衛室と刑事警察や警備員の勤務室
二階:ヒトラーが自由に使える客室、応接室等
三階:ヒトラー個人と、家事管理人ヴィンター夫婦との共同アパート
それに驚くべきことにアパートの4階以上は普通の一般市民が生活していたという。
まぁ、4階の人は生きた心地はしなかったと思われるが、自分達と同じ生活空間にいる独裁者ヒトラーへの好感度は間違いなく上がっていたのは想像に難しくない。
女性に対するヒトラーと結婚観
ヒトラーの女性秘書だったトラウドゥル・ユンゲはヒトラーに結婚について質問している。回顧録にあるヒトラーの言葉をそのまま載せてみよう。
Q. 総統様はなぜご結婚なさらなかったのですか?
A.
私は良き家庭の父親にはなれないだろうし、十分に妻に尽くす時間もないのに家庭を持つことは、無責任でしょう。それに私は自分の子供は欲しくない。天才の子供はいつの世も大変生きにくいものです。世間は彼らに有名な祖父と同じ器を期待し、平凡であることを許してくれません。
ヒトラーは殺伐とした殺気だった男ばかりの空間である総統官邸地下壕で女性秘書として過ごすトラウドゥル・ユンゲが性犯罪に巻き込まれないか心配していた。
そのユンゲがヒトラーに、想いを寄せる男性と結婚すべきか悩み相談をしている際のヒトラーの回答がある。
「あなた方が愛し合っているんでしょう。それなら、すぐ結婚するのが一番ですよ。それにね、もしあなたが結婚していれば、誰かがあなたに近寄り過ぎても、その度に私が守ってあげられます。」
by アドルフ・ヒトラー
どうだろうか。
女性に気を遣う普通の男性のように思えてならない。
そこには総統と恐れられ、ジェノサイドを仕掛けた悪魔の顔はひっそりと鳴りを潜めている。
ユンゲが秘書の採用試験でヒトラーと初めて対面した時も優しい言葉をかけられていたことを記録に残している。ヒトラーは女性にとって感じの良い優しいホストだったとユンゲは感慨にふける。
ヒトラー:「君、寒くないですか?ここは寒いですよ」
※総統の執務室は脳の活性化のためにいつも11℃にキープされていた。
ユンゲ: 「私、よく理解できなかったかもしれません。」
ヒトラー: ヒトラーは優しく笑って手を差し伸べて「大丈夫ですよ。きっとうまくできてますよ」
ただ、ヒトラーの女性の好みは痩せ型よりも、ふくよかな女性が良かったようだ。
それはバレエ団の鑑賞の感想で読み取れる。
「私は少年のようにやせ細っていることのどこがそんなに美しいのか、私にはさっぱりわからん。ゲッベルスが昔度々バレエの催しに私を引っ張っていったものだ。昔とはまるで違っていた。昔は一つの快楽だった。美しくふっくらした裸線を見ることができた。今じゃたくさんの骨とあばら骨が舞台の上をピョンピョン飛び跳ねてるだけだからね。総統になって招待券をもらうんで、少なくとも料金を払う必要だけは無くなったけどね。」
by アドルフ・ヒトラー
芸術家を目指していたヒトラーだが、でっぷりとした女性ではなく、オードリー・ヘップバーンのような女性には何も芸術性は感じていなかったらしい。
それどころか、女性の裸線が見れないのなら、金を払う価値もないとも取れる発言である。
昔、映画「氷の微笑」の映画館で映画に興味なさそうな酔っぱらいのおっさんがいて違和感を覚えたのを記憶しているが、総統ヒトラーも同レベルというところか。
また、女性のファッションへの楽しみも理解できなかったようだ。
「なぜあなた方女性たちは年がら年中、服を変えなきゃならないのか。私にはさっぱりわからん。私の特に好きなドレスをいつも着てくれるのが私には一番なのだがね。そしてどの服も同じ布地で同じ型で作らせれば良い。」
by アドルフ・ヒトラー
重圧に押しつぶされるヒトラー
ヒトラーといえば、力強い演説で聴衆を引き込むカリスマ性だろうか。
誰もが「強い総統」イメージを持っていた。
しかし、現実はどうも全く違ったようである。
ユンゲはヒトラーが自分を卑下する発言を度々耳にしている。
- 私は運命の道具に過ぎず、自然の摂理が私に与えた道を進むだけです。
- 私は”使命”に生きている。その使命のために、自分は際限のない犠牲を払わされているんだ。
- 誰も私の責任の肩代わりなんてしてくれない
時代に突き動かされるヒトラーは演説方法でも戦争開始前後で変化していた。
戦争開始以来、ヒトラーは原稿なしの公開演説をすることはもうなかった。
「私は思うことを自由に話すのが一番好きで、得意でもある。だが、この戦争の間は一言一句、言葉を金の天秤にかけてみなければならない。世間が注意を向けているうえに、耳ざといからね。もし私が自然な気持ちから間違った言葉を一旦口にしてしまったら、非常に面倒なことになるかもしれない。」
by アドルフ・ヒトラー
狂乱する時代に突き動かされるヒトラーに自由などなかった。
ヒトラーは仄暗い総統官邸地下壕で女性秘書ユンゲに自身の夢を語っていた。
「どんなに私が通りを1人歩きしてみたいか、君たち、わかるかね。こっそりとお付きなしでね。デパートへ行って、クリスマスプレゼントを自分で選んで買ったり、喫茶店に座って、人々を眺めたりしたいものだよ。でもそれができないんだ。国民の歓呼が私の楽しみをめちゃくちゃにしてしまうんだ。」
by アドルフ・ヒトラー
ヒトラーの周囲は常に良くも悪くも嵐が吹き荒れ、中央のヒトラーは困惑している様子がわかるエピソードがある。
ヒトラーがユンゲに聞かせたそのエピソードを紹介しよう。
「私は昔よくワイマールへ行ったのだが、その都度、エレファントホテルに泊まった。私専用の部屋があったのだが、風呂もトイレも付いてなかった。長い廊下を歩いて行って、突き当たりのドアに入らなければならなかった。私が部屋から出ると、そのことが野火のようにホテル中に伝わり、知られる。トイレから出てくると、人々が拍手で迎えてくれるんだ。それで私は片手を上げて、バツの悪さを笑いで誤魔化してジロジロ見られながら部屋まで戻るんだ。後にホテルを改築させたよ。」
by アドルフ・ヒトラー
私は総統ヒトラーはSSという特殊警察部隊の暴力によって恐怖で民衆を押さえつけたと勘違いしていた。
ドイツ国民は恐怖政治によって言葉を失ったと。
でもそうではなかった。
実は独裁者ヒトラーを大歓迎していたのは民衆だったのだ。
戦前は、ヒトラーが総統官邸の門を開き、散歩に出かけるだけで人がどっと押し寄せて人垣ができてしまったという。
興奮した女性たちがヒトラーの足が触れた小石を拾おうと殺気立って奪い合う有様だったとか。
総統官邸にはそんな狂乱した女性たちからのラブレターが大量に届いていたという。
どうだろうか。
「普通のヒトラー」が「総統ヒトラー」として見られる困惑ぶりがよくわかるのではないだろうか。
ただ、ヒトラーはそんな周囲の期待に応えようと必死に努力してた様子もユンゲは語っている。
ヒトラーは戦争中、映画を一切見なかったという。
その理由は次の通りだ。
「この戦争中、国民はおびただしい犠牲を出さなければならず、私も非常に難しい決定を下さねばならない。こんな時、私は映画なんぞ1本だって眺めていることはできん。それに、私は地図や前線からの情報を読むためにも、この過敏な目を労ってやらねばならんのだ」
by アドルフ・ヒトラー
B級映画に出てくるような怒号と暴力だけの独裁者に見えるだろうか。
そういったイメージでヒトラーを見ていると実像は大きく異なるようだ。
超人ヒトラーの誰にも言えない秘密
そんなヒトラーだが休日を取らないと体をもたない。
だが総統ヒトラーには休日をとる時間がなかったようだ。
そのため、毎夜暖炉を囲んでアップルティーを飲みながら談笑することが唯一の休憩だったようだ。
ただ、このお茶会はヒトラーの周囲の者にとっては「恐怖のお茶会」だったようで、毎日朝5時〜6時にヒトラーがベッドに着くまで続いたという。
そしてヒトラーは9時には起床していた。
そのため付き合う方は体が持たず、2交代制となっていた。
ヒトラーはこのお茶会を子供のように楽しみにしていたという。
「私には全く休暇というものがない。どこかへ行って休養するってことができないんだ。だから自分の休暇を時間に小分けしてここでお客と一緒に暖炉の前で過ごすってわけさ」
by アドルフ・ヒトラー
そして毎晩ヒトラーは寝る前に呼び鈴を鳴らして従卒を呼び、敵機来襲の報告が入っているかを確認し、帝国領内に敵機見当たらず、との報告を受けない限り、自室に引きこもることはなかったという。
そういった生活でどうして3時間の睡眠で体を保つのか?
疑問に思える。
実はヒトラーは1941年からずっとクスリ漬けだったということが主治医のカルテから見てとれる。
それについては別記事にまとめているのでそちらを参照されたい。
→カリスマ”総統ヒトラー”の実態はジャンキー?葬られた真実!
1941年以降、国民がヒトラーに気づくようなことは一切避けていた。
列車の窓は真昼間でもかんかん照りでも暗くしていた。
防空壕と同様に車中でも人工の灯りをつけて過ごしていた。
クスリによって作られた「総統ヒトラー」の虚像を演じ疲れたヒトラーは1944年あたりから急激に老化が進み、一番そばにいたはずのエヴァ・ブラウンも驚愕するほどの老けこみようだったという。
■■■ちょこっとコラム■■■
吸血鬼に関する記事をこれほど載せてるブログもうちくらいじゃないか。
吸血鬼が人を喰らう理由ってあるんだよね。そもそも吸血鬼が現れたって歴史的な記録も存在する。
→ゾンビが人を喰らう悲しい理由とは?
→古典ホラー映画の起源!名作『吸血鬼ノスフェラトゥ』
それはまるで陽の光を浴びた吸血鬼がみるみるうちに老化していく様を見ているかのようだったという。
このように見てくると、ヒトラーというひとりの独裁者が時代を動かしたというよりも、大きな時代のうねりが「総統ヒトラー」という虚像を作り上げ、アドルフ・ヒトラーはそれを無理やり演じさせられていたとも思えてならない。
ナチスを産んだのはヒトラーではなく、ヒトラーに狂乱して狂気の時代を作った民衆だったのではないだろうか。