映画の起源”動く絵”の最初の作品はホラー映画だった
Menu・・・
- キネトスコープのトリックホラーではじまった映画創世記
- 世界初のホラー映画
- 近代ホラーの元祖『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)
- 吸血鬼ドラキュラとノスフェラトゥの違い
- 『吸血鬼ノスフェラトゥ』が反ユダヤ主義と言われる理由
- 吸血鬼ドラキュラの起源と吸血鬼ストリゴイ連続殺人事件について
キネトスコープのトリックホラーではじまった映画創世記
映画黎明期の19世紀末より、ホラー作品の製作記録は多くある。
1891年にエジソンが「キネトスコープ」を発明した。
それは初期の映画鑑賞装置だったが、映画を大衆娯楽というのであれば、これはその規格にはマッチしないかもしれない。
この「キネトスコープ」の名称はギリシャ語の「kineto (運動)」と「scopos (見る)」を組み合わせたものらしい。
木箱内をのぞき込む形で映像を見る仕組みで、まだ一度に1人しか見ることができなかったからね。
キネトスコープは映写機ではないが、その後の映画の基本的技術を備えている。
それは連続写真を記録したセルロイドのロール・フィルムを、光源の前でシャッターを切りながら高速移動させて動く映像を作り出した。
まだ、写真すら珍しい時代だったはずだよね。
1895年にフランスのリュミエール兄弟がそれを改良した「シネマトグラフ」を発表。
このシネマトグラフは、1台で撮影・映写・現像を行うことができる簡便な装置で、現在まで続くスクリーンに動く映像を映写する映画の基本的形式を決定づけた。
同年12月28日にはパリ中心部にあるグラン・カフェの地階「サロン・アンディアン」で最初の商業上映が行われ、一般的にはこの日が大衆娯楽という意味で「映画の誕生」と見なされている。
この1895年こそホラー映画誕生の年でもあった。
世界初のホラー映画
アメリカのアルフレッド・クラークによって発表された『スコットランドの女王、メアリーの処刑』(『The Execution of Mary Queen of Scots』)は世界初のホラー映画として名を挙げられる。
たった20秒程度のトリックホラー映画だが、これを制作、公開した理由は、公開処刑がかつて大衆の娯楽だったことを物語っている。映画を初めて観た観客は、ショッキングな映像に眼球が飛びださんばかりにカッと見開き、驚愕と恐怖が混じった悲鳴をあげたに違いない
この時、イギリスは1868年に公開処刑は廃止、日本では1870年(明治3年)12月で公開処刑は法的には廃止されていた。
それをシネマトグラフによって蘇らせたところからも、ホラー映画こそ、娯楽の原点だったかもしれない。
ちなみにフランスは1939年までギロチンの公開処刑があり、中国では2012年に廃止されるまで公開処刑を実施していた。
※エリザベス1世の廃位、暗殺事件に加担した罪で処刑されたスコットランド女王メアリー・ステュアートの処刑を描いた作品でたったの20秒ほどのもの
当時、のぞき窓から映像を見てひとりで楽しむという、現代の「暗所で鑑賞する大衆娯楽」という映画のスタイルとはまるで異なるものであった。
後のホラー映画に大きな影響を与えた始祖的存在としては、1920年のドイツ映画『カリガリ博士』が知られているが、純粋にホラー映画というのであればやはり、1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』ではないだろうか。
近代ホラーの元祖『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)
■作品情報 吸血鬼ノスフェラトゥ Nosferatu – Eine Symphonie des Grauens Nosferatu logo.png 監督 F・W・ムルナウ 脚本 ヘンリック・ガレーン 原作 ブラム・ストーカー 製作 エンリコ・ディークマン アルビン・グラウ 音楽 ハンス・エルトマン 撮影 F・A・ヴァグナー ギュンター・クランフ 公開 ドイツの旗 1922年3月4日 上映時間 94分 製作国 ドイツの旗 ドイツ |
トーマス・フッター (グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム) | ヴィスボルクに住む青年。ノックの経営する不動産屋で働いている。原作:ジョナサン・ハーカー |
エレン・フッター (グレタ・シュレーダー) | フッターの妻。夫がトランシルヴァニアに行くことに強い不安を感じる。原作:ミナ・ハーカー |
オルロック伯爵-ノスフェラトゥ (マックス・シュレック) | トランシルヴァニアの貴族。ドイツのヴィスボルク(架空の町)に家を探している。原作:ドラキュラ伯爵 |
ノック (アレクサンダー・グラナック) | 不動産業を営む、何かと噂の多い男。フッターを伯爵の城に向かわせる。原作:レンフィールド |
ハーディング (ゲオルク・H・シュネル) | フッターの友人。彼が留守の間、エレンの世話を頼まれる。原作:アーサー・ホルムウッド |
アンネ (ルース・ランドスホーフ) | ハーディングの妻。原作:ルーシー・ウェステンラ |
ブルワー教授 (ヨハン・ゴットウト) | 大学教授。原作:ヴァン・ヘルシング |
ジーファース博士 (グスタフ・ボーツ) | 精神病院の院長。原作:ジャック・セワード |
この映画を製作したドイツを
「この作品以降、多くの悪評を立てられてきたホラー映画というジャンルの発祥の地」
という評論家もいるほど、この映画はカルト的ファンが世界中にいる。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督が1922年に製作したドイツの長編映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、全5幕で構成されている。
ノスフェラトゥとは、吸血鬼や不死者という意味で、この語源は、 “nosfur-atu” という古代スロヴァキアの言葉であり、それ自体もギリシャ語で「病気を含んだ」を意味する “νοσοφορος” が由来みたい。
西ヨーロッパの人々にとって、吸血鬼は病気を運んでくる者という側面もあったようだ。
これが映画のシナリオに組み込まれ、別の意味で批判すべき側面もあったりする。
本作『吸血鬼ノスフェラトゥ』を製作したプラナフィルム(Prana Film)は1921年にエンリコ・ディークマンとオカルティストのアルビン・グラウによって設立された無声映画時代のドイツの映画スタジオ。
オカルトや超常現象をテーマにした映画の製作を目的としていたが、本作の公開直後に倒産したため、本作が唯一の製作作品となっている。
グラウは吸血鬼映画を撮るきっかけとなったのは戦争体験だったと語っている。
彼が言うところによれば、1916年の冬、セルビア人の農夫が自分の父親は吸血鬼に殺されたと聞かされたからだ。
これは評論家によると、宣伝の為の誇張だということだが、実はそうでもない。
ルーマニア地方には民間伝承で、吸血鬼ストリゴイ伝説があったりする。
まだ医学も科学も全く発達していない中世の時代、吸血鬼は事実として捉えられていた。
現代の我々も理解できない飛行物体をUFOと思ってしまうのと同義かもしれないね。
確かに物語ではなく、歴史を記した記録書として古い文献が残っていたりする。
そこには奇妙で不可思議な事象が記されており、吸血鬼ストリゴイが存在していた世界になっていた。
がしかし、今では全て超自然現象として説明がついてしまったりするの。
そのあたりは別のレポ記事にまとめているので是非、チェックしてほしい。
当時のドイツ映画としては珍しく、この「吸血鬼ノスフェラトゥ」では屋外での撮影が多く、実在の場所が多用されている。
一部評論家が「ホラーは、異常なものではなく、見慣れたものから生じる」と言っているように、F・W・ムルナウ監督のショットは自然主義的であり、ドキュメンタリータッチの要素も加味されている。
それが妙なリアリティさをだし、その不気味さが日常生活に侵入することによって、そのホラーな効果を作り上げている。
ただし、まだまだ技術的に試行錯誤の時代であり、またモノクロームだったことも災いして夜のシーンなのか、昼のシーンなのか、ある意味ショットが悪い意味で自然すぎてわからない。
そこはモノクロームのノスタルジー感ということで!
ところで、ディークマンとグラウは、映画化権を取得していないにも関わらず、ヘンリック・ガリーンに『吸血鬼ドラキュラ』に触発された脚本を書くことを依頼している。
そのため、著作権を回避するため、ドラキュラは「ノスフェラトゥ」になり、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の登場人物の名前がドイツ風に変えられたと言われてきたが、これも違う。
なぜなら、ドイツ語のオリジナルでは「ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』原作」とはっきりクレジットがある。
ただ、映画化権は取得してなかったのは事実のため、おそらく、権利購入しないといけないことを知らなかったのかもしれない。これこそ、ちょっとしたホラーかもね。
ドイツで初公開された年、ブラム・ストーカーの未亡人であるフローレンス・ストーカーが、プラナによる著作権侵害に対して訴訟を起こしている。
フローレンス・ストーカーはイギリスの法人作家協会に入会し、ベルリンの弁護士を介してプラナ社の法的後継者を訴えた。
ストーカーは権利の対価として5000ポンドを要求したが、和解は不成立。
1925年7月、ベルリンの裁判所は、『吸血鬼ノスフェラトゥ』のすべてのコピーを含む完全な映画資料を破棄しなければならないという最終判決を下した。
しかし、ロンドンの映画協会はイギリスでのコピーの上映を計画したが、フローレンス・ストーカーはこれに反対。
しかし、そのプリントを破壊されないように密かに隠し持っていた。
その4年後、再びこの映画を上映しようとしたとき、フローレンス・ストーカーが勝利し、プリントは破棄された。
しかし、本作のプリントとされるものは既に世界中に配給され、長年にわたって複製されて、現在はYouTubeでも見ることができる。
『吸血鬼ノスフェラトゥ』はカルト的なファンを獲得し、ホラー映画の起源とも言われている。
しかし、当時は興行的には大失敗でした。
主要な大規模映画館のプログラムにこの映画を入れることを拒否されたため、『ノスフェラトゥ』は単館系の小さな映画館でしか上映されなかった。
一方、フローレンス・ストーカーは『ドラキュラ』の映画化権についてユニバーサル社と交渉。
映画スタジオは4万ドルで権利を獲得し、1931年に最初の公認映画化作品であるトッド・ブラウニングの「ドラキュラ」を製作した。
しかし、評価としては、本家のドラキュラよりも、権利無視の『吸血鬼ノスフェラトゥ』が評価されてるっぽい。
吸血鬼ドラキュラとノスフェラトゥの違い
実は、今吸血鬼ドラキュラのお箱になってることが実はノスフェラトゥありきだったことがわかる。
当初のドラキュラ伯爵は日光の下では超常的な能力が行使できないに留まっていたが、ノスフェラトゥの場合は致命的な弱点であり、昼間は寝ていなければならない。
結末もドラキュラとは大幅に異なり、最終的には日の出と共にエレナの自己犠牲によって太陽の光を浴びた吸血鬼ノスフェラトゥが滅ぶ。
ただ、この「吸血鬼ノスフェラトゥ」が独特なのはネズミの大群がペストを持ち込み、港町ウィスボーグの民衆に死の恐怖が襲いかかるところだろうか。
ドラキュラと違ってノスフェラトゥには病気を拡散するという古来からの伝承があったことと、人々の身近な恐怖で観客にリアルな恐怖感を煽る要素にもなっている。
また、このネズミとペストをもたらす異邦人ノスフェラトゥの設定が反ユダヤ主義の要素があると疑われているが、疑いではなく、はっきりと組み込まれている。
なぜ政治的なプロパガンダ的な要素が入ったかは次のとおりである
『吸血鬼ノスフェラトゥ』が反ユダヤ主義と言われる理由
反ユダヤ主義的なニュアンスがあることが指摘されている理由は以下に挙げられる。
1
オルロック伯爵や、下僕のノックの鉤鼻、長い爪、禿頭といった外見は『ノスフェラトゥ』製作当時のユダヤ人のステレオタイプな風刺画と酷似
フリッツ・ヒプラー監督の映画「Der ewige Jude(永遠の、あるいは彷徨えるユダヤ人)」のポスター(1940年)。
プロパガンダ省は、戦時中にユダヤ人への攻撃を強化する一環として、反ユダヤ的なメッセージを伝える媒体として映画を利用した。宣伝部の映画課長が監督した『Der ewige Jude』は、「世界のユダヤに関するドキュメンタリー」と銘打って、ドイツ社会に「寄生する」ユダヤ人の「人種」が悪影響を与えていることを明らかにすることを目的としていた。このキャラクターこそ、当時のユダヤ人を象徴するアイコン。こういうイメージが根付いていたことが、吸血鬼ノスフェラトゥにも影響を与えている。
2
異邦人であるノスフェラトゥが船でヴィスボルクに到着する場面は原作から大きく脚色されており、ネズミの大群を引き連れ、ペストを撒き散らすパニック映画のテーストも加味されている。この変更点の要素は、オルロックとネズミ、そして「病気を引き起こす病原体としてのユダヤ人」というわかりやすい構図となっている。これは1921年というドイツの変革期で、またその後の血生臭い歴史を決定づけた歴史的背景が大きな影響を及ぼしている。
詳細なレポ記事 → ヒトラーがユダヤ人をホロコーストにした理由
作家のトニー・マジストラーレは、この映画が「祖国ドイツが外部の力によって侵略される」という描写をしていることを指摘しているが、これも上のレポ記事を読んでもらえれば理解できるだろう。
ただ、「(同性愛者であったムルナウは)大きなドイツ社会の中のサブグループへの迫害に対して、おそらくより敏感であっただろう」とも指摘し、ノスフェラトゥが反ユダヤ主義を示唆した作品ではないとしているが、これは該当しない。
同性愛者がユダヤ人迫害と同程度の意味を持ち、死を意味したのは1930年代後半のナチス全盛期の時代以降だからだ。
残念ながら、この作品は制作会社プラナフィルム社の第一作目であり、商業的に成功を納める必要があったこともあり、かなり当時の社会通念を反映したものとなっていると言える。
そもそも、中世ヨーロッパには度々黒死病なるペストのパンデミックで絶滅かというくらいの悲惨な黒歴史がある。
その度にユダヤ人がウィルスを拡散したとなぜか避難され、ペストが流行するたびに必ずユダヤ人の大量虐殺がおこなわれた歴史からしても、はっきりと反ユダヤ主義がストーリーの根本にあることは事実なのだ。
なにより、アルビン・グラウ自身が、『吸血鬼ノスフェラトゥ』が第一次世界大戦の出来事や戦後の混乱を直接反映させることを意図していたことを認めている。
吸血鬼ドラキュラの起源と吸血鬼ストリゴイ連続殺人事件について
ブラム・ストーカーの古典ホラーの名作『吸血鬼ドラキュラ』はストーカーの完全オリジナルフィクション小説ではない。
中世ヨーロッパの時代、実は吸血鬼やドラキュラは実在していた。
吸血鬼ドラキュラの故郷ルーマニアには数々の吸血鬼の民間伝承が伝えられている。
中世の昔、ドラキュラとはどんな人物だったのか?
実は吸血鬼ではなく、串刺し公と呼ばれていたりする。
しかも、獰猛な殺気がみなぎる視線を投げかける野獣のような悪魔ではなく、まさかの国民的英雄だったりする。
ブラム・ストーカーはルーマニア地方に脈々と受け継がれてきた吸血鬼ストリゴイ伝説のテーストをうまく融合させて『吸血鬼ドラキュラ』を完成させたようだ。
そのそもそもの起源についてさらに詳しくまとめてるのでこちらからどうぞ。
→ドラキュラの由来はルーマニアの国民的英雄と古の吸血鬼伝説にあった!
また、こういった吸血鬼ストリゴイ伝説が根付いた文化からもあってか、度々、血生臭い連続殺人事件が発生している。
特に有名な「ブカレストの吸血鬼!連続殺人事件」は他に類を見ない不可解で奇妙な事件だった。
内容はかなり強烈ではあるんだけど、歴レポBlogとしてはかなりの強力調査で詳細をまとめてみた。
是非読破してほしい。
吸血鬼ドラキュラびいきの当歴レポBlogではさらに、ドラキュラコンテンツがあったりする。
実は知り合いの生花の先生がヨーロッパに渡り、ある廃城で薔薇を生けようとしたんだけど、
異様な妖気が霧のように漂いはじめ、強烈な恐怖感に襲われた先生はイベントを中止したのよね。
その城はかつて、ドラキュラ伯爵夫人と呼ばれた妖麗な魔女が住んでいたとか。
強烈レポートです。
→面白くてやばい黒歴史!ドラキュラ伯爵夫人エリザベート・バートリ
最後に、『吸血鬼ノスフェラトゥ』のストーリーを紹介しよう。
なんせ、わかりずらいので映像だけでは理解できないのでストーリーは頭に入れておいた方が楽しめるぞ!!
『吸血鬼ノスフェラトゥ』のストーリー完全版
時は1838年・・・
港町ウィスボーグで醜悪なペストが街の人たちに無情にも襲いかかり、多くの悲劇を招いたときのことを語るところからストーリーははじまる。
家の仲介をしていたノックは、カルパチア地方のオルロックという伯爵から、ウィスボーグで家を探してほしいと書面で注文を受けとった。
ノックが仲介した依頼を、喜んで受注した不動産屋は、若手社員のトーマス・ハッターにオルロックに行き、トーマス・ハッターのアパートの向かいにある半壊した家を提供するように指示する。
トーマス・ハッターは豆をいっぱい食べて、旅行をとても楽しみにしていた。
一方、若い妻のエレンは、夫の旅の計画に、漠然とした不安感と戦慄が背筋を貫く悪寒を抱いていた。
トーマスは妻を友人の船頭ハーディングに託して旅に出る。
途中、宿屋に立ち寄る。
地元の人々はオルロック伯爵の名前を聞いただけで恐れ慄き、トーマス・ハッターにこれ以上の旅をしないようにと恐怖が先走るのを必死に堪えながら警告するのだった。
トーマス・ハッターがウィスボーグを出るときに持参した吸血鬼に関する「吸血鬼の書」を読んだことで、彼は少々不安がよぎったが、肩肘張って警告や忠告も全て振り払って、旅を続ける。
城への最後の登り坂の手前にある橋で、ついにガイドに見捨てられたトーマス・ハッターは、一人で旅をしなければならなかった。
目的地から数キロ離れた仄暗い森の中で、伯爵の馬車に出迎えられ、オルロックの不気味で妖気漂う奇怪な城にたどり着く。
中庭に入ると、ヒュ〜ッと誰もいない空間に一筋の風が通り過ぎていく
トーマス・ハッターは、城の使用人たちがどこにいるのか不思議に思っていたが、そこに城の主であるオルロック伯爵が現れた。
オルロック伯爵は、彼の住居に劣らず不吉で、美に見捨てられた醜怪な人物だった。
大きなゲジゲジの眉毛にゾッとするほどの大きな鉤鼻、そして薄気味悪い尖った耳を持つ、痩せこけた禿げた人物である。
殺気に満ちた沈黙で獲物の品定めするかのように舐めるような視線をトーマス・ハッターに送っていた
何も知らないトーマスには夜食が用意されている。
トーマス・ハッターはパンをナイフで切ってる時、誤って親指を切ってしまった。
傷口からは赤い鮮血がツゥ〜ッと流れ落ちる・・・
オルロック伯爵は、その血に吸い寄せられるが如く、舐めようとするが、ギョッとしたトーマスは後退りするのだった。
伯爵は青年に「ここにいてくれ」と頼む。
一晩中寝ていたトーマス・ハッターが目を覚ますと、首に2つの噛み跡があった。
しかし、彼はそれを蚊に刺されたと素朴に解釈し、妻に手紙を書いた。
翌日の夜、偶然にもメダイヨンに描かれたエレンの肖像を目にしたオルロック伯爵は、一瞬にして心を奪われてしまう。
その美しい首筋に・・・。
そんなオルロック伯爵はトーマス・ハッターの家の件を即座に受諾し、迷うことなく売買契約書にサイン。
トーマス・ハッターは、自分が故郷に災いを招いたのではないかとなんとも言えない不安と恐怖を抱いていた。
その夜、オルロックは寝ているトーマスに近づき血を吸おうとするが、遠くでウィスボーグのエレンが悲鳴を上げて目を覚まし、両手を広げて懇願する。
オルロック伯爵は何も知らなずにスヤスヤと眠るトーマス・ハッターから手を引くのだった。
エレンはトランス状態になり、夢遊病になってしまう。
一方、昼間にオルロックの城を探索したトーマス・ハッターは、棺桶の中で死体のような眠りについている奇妙な伯爵を発見する。
翌日の夕方、オルロック伯爵が土を詰めた棺桶を急いで台車に載せているのを目撃する。
オルロック伯爵が最後の空の棺に横になり、蓋をしたところで、不気味なカートが走り去った。
トーマス・ハッターは城から逃げ出し、気を失っていたところを地元の人に助けられ、病院で熱を出した彼を回復させる。
一方、オルロック伯爵は、棺をイカダでヴァルナに運び、帆船に積み込む手配をした。
エンプーサ号はオルロックを乗せてウィスボーグに向けて出発し、回復したトーマス・ハッターは大きな不安と恐怖を抱えて陸路で帰路を急いだ。
エンプサ号では、乗組員たちが次々と謎の病で死んでいく。
船員たちが調査して棺の一つを開けると、なんとネズミの大群がチョロチョロと這い回っていた。
最後に、船長と一等航海士だけが生き残ったとき、闇夜に包まれ、不気味な棺桶から吸血鬼ノスフェラトゥが!
航海士は船から飛び降り、船長は舵に自分を縛り付ける。
幽霊船のようなエンプーザ号はウィスボーグの港に出航するが、港湾労働者たちは船の中に死んだ船長だけを見つける。
一方、生きたハエを食べて精神病院に入院していた仲介のノックは、ついに「主人」が来たと喜ぶ。棺桶とネズミを従えた伯爵は、船を出て夜の街をさまよう。
船主のハーディングは、エンプサ号の航海日誌を見つけ、そこには死に至る病が記されていた。
疫病はウィスボーグに広がり、多くの犠牲者を出してしまう。
伝染病の専門家である “パラセルシアン “のブルワー教授でさえ、ペストの解毒剤を見つけることができない。
精神病院を脱走したノックは、ペストの原因を彼になすりつけた暴徒に追われるが、なんとか逃げ出して町の外に隠れる。
トーマス・ハッターも港町ウィスボーグにようやく帰還。
エレンが持っていた「吸血鬼の書」には、純情な女性だけが「吸血鬼」を止めることができ、自分の血を自由に飲ませることで「日の出を忘れさせる」と書かれていた。
一方、オルロックはトーマス・ハッターたちの向かいにある荒れ果てた家に引っ越してきた。
オルロックは、欲に溺れ、今にも襲いかかりそうな眼差しで、窓からエレンの部屋を覗き込んでいた。
エレンは倒れそうになったふりをして、夫のトーマス・ハッターに医者を連れてくるように言い渡した。
彼女は、「吸血鬼の書」で読んだように、誰にも邪魔されずに吸血鬼ノスフェラトゥに身を捧げることができると、もの悲しげに決心するのだった。
そんな彼女の想いはつゆ知らず、オルロックは、エレンの妖麗な首筋にかぶりつくため、彼女の部屋に忍び込み、エレンに近づく。
最初のコケコッコーの音が聞こえ、吸血鬼ノスフェラトゥは欲望のあまり時間を忘れていた。
とうとう、窓から差し込む光が夜明けを告げ、その日の光とともに吸血鬼ノスフェラトゥは煙になって消えていく。
トーマス・ハッターは医師とともにエレンの部屋にたどり着き、彼女を抱きしめるが、時すでに遅し、エレンは死んでいた。しかし、エレンが期待していた通り、吸血鬼ノスフェラトゥの死とともに、疫病もどこかへ消え失せたとさ。