吸血鬼ストリゴイの化身が巻き起こす不可解な連続殺人事件
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- 吸血鬼が来たりて血煙が立つ
- 最初の犯行から26年後に捕食を再開した吸血鬼
- 仄暗い闇から牙を剥く吸血鬼ストリゴイ
- 現場に医療診断書を落とした吸血鬼
- 吸血鬼ストリゴイと恐れられた犯人の正体とは?
- 再び仄暗い闇に姿を隠した吸血鬼ストリゴイ
吸血鬼が来たりて血煙が立つ
ドスッ、鈍い音と共に血煙が立ちのぼる。
暗雲立ち込める真夜中、ザザーッと大粒の雨と横殴りの凶暴な横風、獰猛な野獣の唸り声のような雷が雷雨を演出していた。
それは周囲の視界を奪い、鉄棒を握りしめながらドス黒い殺気を放つ吸血鬼ストリゴイが距離を縮めることを助けていた。
1944年の夏、戦時下のブカレストで4件の血みどろの連続殺人事件が発生した。
犯人は真夜中、豪雨や唸るような雷雨、嵐といった悪天候の轟音に紛れて気配を消し、ソッと女性に近づて鈍器で被害者の頭をカチ割るといった残忍な犯行を展開していた。
犯行の都度、まるでこの醜悪な犯行を誇示するかのように指紋とサイズ42〜43の軍用ブーツの足跡を残していた。
4人の女性が犠牲になったことで、当時のルーマニアの首都ブカレストでは伝説の吸血鬼ストリゴイが現れたと、餌食となる女性達をどん底の恐怖に陥れていた。
ルーマニアは吸血鬼ドラキュラ発祥の地であり、昔から大地が真っ赤に染まる黒歴史がなぜか偶発している土地柄でもある。
ドラキュラの起源と吸血鬼ストリゴイ伝説について別のレポ記事にまとめてるので是非チェックして欲しい。
→ドラキュラの由来はルーマニアの国民的英雄と古の吸血鬼伝説にあった!
その現代に蘇った吸血鬼ストリゴイのゾッとする連続殺人の前に警察の捜査は虚しくからぶるばかりで、また戦時中の混乱もあり、ブカレストの獰猛な野獣は解き放たれたまま放置された。
それから、26年の年月が経ち、ブカレストの街も連続殺人事件のドロドロとした記憶など昔話に変わっていたころ、薄気味悪い笑みを浮かべた吸血鬼ストリゴイは再びブカレストに姿を表した
最初の犯行から26年後に捕食を再開した吸血鬼
1970年4月、エレナ・オプレアという若い女性が殺害される事件が発生。
その犯行現場は凶暴な野獣が食い荒らした残骸のような血生臭い地獄絵図そのものだった。
そんな血も乾かない2ヶ月後の6月、やはりフロリカ・マルクという若い女性が吸血鬼ストリゴイに墓地にひきづり込まれて強姦。
それだけではなく、ナイフで数十ヶ所切り刻まれていた。
さらになんとフロリカの身体には数カ所穿った跡があり、犯人はそこから鮮血をズズズゥ〜ッとすすっていた。
これだけの恐怖と血みどろな蛮行になすすべがなかったにも関わらず、たまたま通りがかったトラックの運転手に助けられ、彼女は一命を取り留めた。
仄暗い闇から牙を剥く犯人は「ブカレストの吸血鬼」と恐れられた。
その吸血鬼の犯行は次の通りだ
年月 | 犠牲者と犯行内容 |
1970年4月8〜9日 | エレナ・オプレア 計画的殺人 |
1970年6月1〜2日 | フロリカ・マルク 墓地でレイプされ、ナイフで 切り刻まれ、血を吸われたが 一命は取り留めた |
1970年11月22〜23日 | オルガ・バライタル 殺人未遂 レイプ |
1971年2月15〜16日 | ゲオルゲ・スフェットゥ 殺人未遂 |
1971年2月17〜18日 | エリザベータ・フロレア 殺人未遂 |
1971年3月4〜5日 | ファニカ・アイリー 計画的殺人 強盗 |
犯行は、1944年の連続殺人と同じだった。
真夜中過ぎの吹雪、雷雨や強風、肌も凍るような寒さや霧など妖気漂う悪天候の轟音に紛れて気配を消す犯行は全く同じ手口だった。
犯行はさらに獲物を狩る動物的な残酷さが増し、眼を背けたくなるようなグロテスクなものとなっていった。
仄暗い闇から牙を剥く吸血鬼ストリゴイ
1971年4月8〜9日、 ウェイトレスのゲオルギタス・ポパ が殺害された。
それは警察さえもギョッと心臓を握りつぶされるほどの戦慄が走ったという。
なんと、頭、乳房、股間、脚に48ヶ所もの切り刻んだ跡があり、頭を5回にわたり鈍器で殴り潰した挙句、踏みつけて肋骨が押し潰されたものだった。それに性器が食いちぎられていて、もはや原型がなんだったのかわからないほどだった。そしてその肉片は現場からついに発見されなかったとか。
ウェイトレスのゲオルギタス・ポパが残忍にも殺害された後、当局は厳戒態勢を敷いた。
ブカレストの街には、毎晩、様々な法執行機関から6,000人がパトロールし、100台の車と40台のオートバイが出動した。
医療関係者、夜行バスやトラムの運転手、ホテルやバーの従業員、そしてセキュリテ、警察、内務省の職員など、多くの人が動員された。合計2,565人が誤って逮捕され、8,000人以上が身分証明書の提示を求められた。
がしかし、「ブカレストの吸血鬼」は軽薄な不気味な笑みを浮かべながら、若い女性を次々と捕食していった。
現場に医療診断書を落とした吸血鬼
年月 | 犠牲者と犯行内容 |
1971年5月1日 | スタナ・サラシン 殺人未遂、レイプ |
1971年5月4〜5日 | ミハエラ・ウルス 殺人未遂、レイプ |
1971年5月4〜5日 | マリア 殺人未遂(ウルスの2時間後に続けて襲撃) |
1971年5月6〜7日 | ヴィオリカタトゥ 殺人未遂 |
1971年5月6〜7日 | エレナ・ブルチ 殺人未遂 |
多くの女性は、夜9時以降は大人数か男性と一緒でないと外に出ようとしなかった。
にも関わらず、多くの女性が吸血鬼ストリゴイの餌食となった。
またこの頃になるとブカレストの街では警察が詳細を発表しなかったことも手伝って、互いに猜疑の視線を投げあう殺伐とした空気感がみなぎっていた。
そして迫りくる吸血鬼ストリゴイの恐怖が女性達を震え上がらせていたのだ。
しかし、8人目の犠牲者ミハエラ・ウルスの部分的に食いちぎられた死体の下に犯人の髪の毛と、医療診断書を発見したことから事件は大きな展開を見せ始める。
それは犯人の遺留品だった。
その1971年3月4日の医療診断書はブカレスト学生病院のもので、犯人に対して6人の医師が、「周期性てんかんの疑い」があると診断した診断書だった。
専門家はこのメモが1971年3月にオクタヴィアン・イエニシュテのオフィスで作成されたものであることを突き止めた。
その月、彼は83人の学生を診察したが、そのうち15人(犯人も含む)は大学関係者に診断書を提出していなかった。
1971年5月27日、3人の警官が学生寮の犯人と思われる部屋に行った。
吸血鬼ストリゴイは留守だったが、部屋を捜索しているうちに午後1時に戻ってきた。
吸血鬼ストリゴイのカバンの中には斧とナイフが入っており、ついに御用となった。
吸血鬼ストリゴイと恐れられた犯人の正体とは?
ブカレストの吸血鬼と言われ、伝説の吸血鬼ストリゴイとまで恐れられた犯人はイオン・リマル25歳の獣医学生だった。
怒り狂うと自傷行為に走り、手足には20以上の切り傷があったという。
イオン・リマルは、思春期の頃から異常な性欲を抑止できず、中学時代に教師の娘と性的関係を持ち、スキャンダルを起こしていた。
またイオン・リマルは事件が発生する3年前の1967年、医師に食道痙攣、反応性神経症候群、精神疾患と診断されていた。
吸血鬼イオン・リマルの恐怖はとにかく、その残忍な手口だった。
服を切り取り、肉を食いちぎり、被害者を引きずってナイフや斧で切り裂き、さらに意識を失った被害者を強姦するという性質で、女性の性器や陰部、乳房を食したものと思われ、さらに彼には死姦傾向があり、被害者が死んだ後も強姦を続け、死体を殴ったり刺したりして、まともな形状の死体は一つとしてなかったとか。
現場の惨劇はとても直視できるものではなかった。
2カ月間の取り調べの結果、吸血鬼イオン・リマルは23の重大な犯罪を認めた。
実は、彼が逮捕されたのは3件の殺人事件だけで、残りの事件(1件の殺人事件、6件の殺人未遂事件、5件の強姦事件、1件の強姦未遂事件、7件の様々な窃盗事件)は、息子の犯行を知っていた父親が告白したものだったのだ。
実は、1971年5月の最後の犯行で、レジ金を奪った吸血鬼イオン・リマル。母親がイオンの部屋の枕元に置いてあったのを確認していた。
その金は父親が自宅に持ち帰っており、新しい家を購入する資金にしていたとか。
そのため、警察は取り調べ中、父親フロレアが息子リオンを操って犯行させていたのではと疑っていた。
なので父親フロレアは3度も逮捕されている。
しかし物証はなく、近親者が他の家族に対して証言することを強制できなかったために釈放された。
父親のフロレアが息子リオンと警察署で顔を合わせた時、フロレアは「お前が何をしたかなんて、俺にわかるわけがないだろう」と叫んだとか。
がしかし、フロレアは事件後、息子の血のついた服を洗っており、また吸血鬼イオン・リマルがレジを襲った後、フロレアはその息子から斧とナイフを受け取り、密かに持って帰って来ていたところを逮捕されていた。
何も知らないどころか、父親フロレアがやらせていたのではないかと疑われても仕方のない状況だったのだ。
当時の精神科医の先生は吸血鬼イオン・リマルが臨床的なライカンスロピーの一種であると考えている。
ライカンスロピーとは、精神疾患により、一時的に狼など獰猛な獣に変身してしまうこと。
イオン・リマルは被害者の帰宅ルートを把握し、何日も続けて家まで追いかけ、帰宅しそうになったところを襲う手口だった。
そこから、彼は孤独な夜行性の徘徊やストーカー行為、異常気象から得られる本能的な動物的エネルギー、そして犠牲者を獲物と見なしていたことなどがその証拠らしい。
再び仄暗い闇に姿を隠した吸血鬼ストリゴイ
裁判では精神疾患で無罪を主張したが、当然死刑。
死刑の場では
「父を呼んでくれ、俺に何が起こっているかを見てくれ!親父を呼んでくれ。俺は生きたいんだ」
と叫んでいたとか。
それはまるで父親フロレア・リマルを恨んでいるかのようでもあった。
1971年10月23日、吸血鬼ストリゴイの化身と恐れられたイオン・リマルは死刑となった。
しかし、疑問が残る!!
ブカレストの街では1944年にも同じ手口の連続殺人事件が起こっていたからだ。
イオン・リマルは1946年生まれの享年25歳。
ブカレストの吸血鬼のはずが時間的にズレていた。
イオンの死刑執行から1年後の1972年10月23日、父親のフロレア・リマルが列車から転落して53歳で亡くなった。
これは事故だったが、死体は医療法務研究所に運ばれ、174cmの身長と42という靴のサイズに妙な疑惑を持った捜査員がいた。
そこからとんでもない事実が発覚!!
なんと、1944年の連続殺人事件の犯人の指紋が父親フロレア・リマルのものと一致していたのだ!
このブカレストの吸血鬼騒動は、想定外の親子二代にわたる連続殺人事件だったのだ。
しかも二人の最初の被害者は、名前まで似ていた。
フロレアが最初に殺したのはエレナ・ウドレアであり、息子のイオンが最初に殺したのはエレナ・オプレアであった。
凶悪犯罪を起こす素因となる醜悪な遺伝子が父から息子へと引き継がれていたのだった。
これも吸血鬼ストリゴイの呪いによるものなのか?
ちなみにイオン・リマルは3人兄弟だったりする・・・