映画化されないベールに包まれた秘話がある
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- 映画 “ヒトラー最後の12日間”の解説&キャスト
- 裏話その①:ヒトラーの左手が震えていた
- 裏話その②:ヒトラーは自殺前日に結婚していた
- 裏話その③:ゲッベルスには戦後も生存した7人目の子供がいた
- 裏話その④:なぜヒトラーは愛犬を毒殺したのか?
- 裏話その⑤:ヒトラー生存説
映画 “ヒトラー最後の12日間”の解説&キャスト
監督 | オリバー・ヒルシュビーゲル |
製作 | ベルント・アイヒンガー |
原作 | ヨアヒム・フェスト トラウドゥル・ユンゲ メリッサ・ミュラー |
脚本 | ベルント・アイヒンガー |
撮影 | ライナー・クラウスマン |
美術 | ベルナント・ルペル |
音楽 | ステファン・ツァハリアス |
独裁者アドルフ・ヒトラーの最期の12日間を克明に描いた実録ドラマ。ヨアヒム・フェストによる同名研究書、また、ヒトラーの秘書を務めたトラウデル・ユンゲの証言と回想録「私はヒトラーの秘書だった」をベースに、オリバー・ヒルシュビーゲル監督がメガホンをとった問題作。1942年、ミュンヘン出身の若い女性トラウドゥル・ユンゲは、ナチス総統ヒトラーの個人秘書として働くことに。1945年4月20日、ベルリン。ヒトラーは迫りくるソ連軍の砲火から逃れるため、側近たちとともにドイツ首相官邸の地下要塞に避難する。その中にはトラウドゥルの姿もあった。誰もがドイツの敗戦を確信していたが、ヒトラーは妄想の世界に囚われて現実逃避していたのだった。
『ヒトラー 〜最期の12日間〜』は、2004年公開のドイツ、オーストリア、イタリア共同制作による戦争映画で、それまであまり知られていなかった事実が克明に描かれていたことにもかなり話題となった作品となっている。
ただ、ドキュメンタリータッチで描かれていることである程度、ヒトラーの歴史を知っていないとわかりづらい内容でもある。
このヒトラーの最後の12日間にはかなりミステリアスな裏話がチラチラ隠されていたりする。
そんな歴史的な事実の謎めいた裏側を紹介してみよう。
裏話その①:ヒトラーの左手が震えていた
”ヒトラー最後の12日間”の中のヒトラーは落ち着きがなく、左手がブルブルと常に震えていたことが見てとれる。
トラウデル・ユンゲの証言と回想録「私はヒトラーの秘書だった」にはヒトラーの衝撃的な言葉が残されている。
「私の手は震えて、ピストルが握れないくらいだ。」
実はヒトラーの主治医テオドール・モレルは、ヒトラーにパーキンソン症候群が見られることを手記に残している。
ヒトラーは1941年あたりから急速に衰えていたことがわかっており、トラウデル・ユンゲの証言でも、
「椅子から立ち上がることすら、やっとのことで動作が鈍く、歩行困難な症状もあった」
ことからもその可能性が高いと研究者は見ている。
ただ、本当にパーキンソン病だったかは怪しい。
実は主治医テオドール・モレルはかなりミステリアスな医者だったっぽい。
ヒトラーの幹部たちはこの主治医テオドール・モレルの体臭が強烈な生ゴミの匂いを放っており、遠ざけるよう進言していた。
しかし、ヒトラーは片時もモレルを手放そうとはしなかった。
どうもテオドール・モレルの怪しい注射をほぼ毎日打っていたことが判明している。
その注射の中身がとんでもないものだったみたいなのよ。
それについて詳しいレポ記事があるのでそちらをどうぞ!
→カリスマ”総統ヒトラー”の実態はジャンキー?葬られた真実!
裏話その②:ヒトラーは自殺前日に結婚していた
ヒトラーには1933年のナチス政権奪取以前から密かに付き合っていた恋人がいた。
彼女の名はエヴァ・ブラウン。
ヒトラーは彼女の透き通るような、神がかった肌を気に入っており、エヴァを裸体にさせて眺めていることが好きだったとか。
実はエヴァ・ブラウンは日記を残しており、そこに赤裸々に暴露している。
それにヒトラーは何か体にコンプレックスがあるらしく、いつも情事の時でさえ、裸にはならなかったとか。
実はこの秘事こそがあとで紹介する裏話の理由にもなってるとにらんでる。
実はヒトラーが自殺する4日前に炊事場の娘と御用車の運転手の結婚式が行われていた。
その運転手は自分の母親と花嫁の家族を砲弾が飛び交うベルリンの街から総統官邸地下壕近くのアパートまで連れてきたとか。
その結婚式は盛大なパーティが開かれたが音楽の代わりにロケット弾の爆破音、ビルの崩れ落ちるゾッとする音が鳴り響き、笑い声やお祝いの言葉の代わりに悲鳴が飛び交う結婚式だった。
エヴァ・ブラウンがその様子から自分もそうしたいと考えたかもしれない。
ところでなぜヒトラーは最後までエヴァの存在を国民に隠していたのか?
実は愕然とする事実が存在する。
詳細は別のレポ記事にまとめているのでそちらをどうぞ!
裏話その③:ゲッベルスには戦後も生存した7人目の子供がいた
“ヒトラー最後の12日間”にも描かれたけど、戦後総統官邸地下壕から発見された6人の子供の遺体はナチスの悲劇的な最後を象徴するかのようにメディアに取り上げられた。
ナチスの宣伝相ゲッベルスの子供たちで、夫婦ともにヒトラーを盲信し、神のように崇めていた。
ヒトラーが自決したのを見届けて家族全員でヒトラーの後を追った。
と思われていたが、なんと実はゲッベルスには養子で母親の連れ子の7人目の子供がいた。
この子こそ、今世界的に有名で、誰もが知る大企業の創業一家として莫大な財産を築き上げた人物なのよね。
近年、ドイツ国内でドキュメント放送されて話題にもなった。
まさかこんなつながりがあるなんて、奇怪な血流としか言えない。
詳細は別のレポ記事にまとめているのでそちらをどうぞ!
裏話その④:なぜヒトラーは愛犬を毒殺したのか?
1945年4月28日、ヒトラーが地下壕で自殺する2日前、ヒトラーは自身の愛犬に青酸カリを飲ませ、殺害している。
これは一見、あの世へペットも連れて行きたかったのか?
ヒトラーの愛犬への愛情かと思っていたが内情は全く違う。
ヒトラーはこの時、周囲の幹部からベルリンから脱出することを進言されていたが、頑なに総統官邸地下壕から出ようとはしなかった。
トラウデル・ユンゲの証言によれば
「ヒトラーはムッソリーニの屈辱まみれの死を聞いていた。ミラノの広場の真ん中に逆さ吊りにされた裸体の死体の写真までも誰かに見せられていた。そんなことから、『私は死んでも、生きても、敵の手に落ちたくない。』と発言していた」
ということらしい。
恋人エヴァ・ブラウンの前でさえ、裸体をさらないヒトラーが死後とはいえ、裸体を逆さ吊りにされて晒すような屈辱は耐えられなかったらしい。
そんなヒトラーにこの時期、衝撃の事件が勃発していた。
それはヒトラーの右腕であり、オカルト大好きなハインリヒ・ヒムラーが連合国と降伏の交渉をしているとの報告だった。
|コラム|
ハインリヒ・ヒムラーのオカルト好きだったのがよくわかる笑撃の事実をまとめてあるので興味ある方はぜひ見てね
→ヒトラーのゾッとする真実!政治判断は理屈ではなく占星術
ヒトラーはこの時期、疑心暗鬼に陥っていた。
ハインリヒ・ヒムラーが裏切ったということは、降伏の印に私を捕らえて引き渡すのではないか?
この青酸カリは毒ではなく、睡眠薬か何かで死ねないんじゃないか?
ヒトラーはそんな妄想に耽っていたのだ。
実はこの自殺用青酸カリは最後楽に死ねるよう、ハインリヒ・ヒムラーがヒトラーに渡したものだった。
だから、確実に死ねるよう愛犬で実験したということなの。
ところでなぜそこまでヒトラーは裸体をさらすのを嫌がったのか?
とんでもない裏すぎる裏話なんだけど、ヒトラーには「キンタマ」が1つしかなかった。
これ、ただの下ネタではなく、かなり確度の高い話なのね。
ヒトラーがミュンヘン一揆の武力革命に失敗して刑務所に入った時の身体検査の記録が残っていて、左の睾丸がなかったことは事実なのよ。
戦後ソ連の鑑識がヒトラーの遺体から左の睾丸だけがなかったという報告書もあるからこれは事実でしょう。
なんとCIA極秘文書にも睾丸がなかったこともきちんと明記されているところからも、かなり信憑性は高いのよ。
だからヒトラーはバランスが悪くて右へ右へ行っちゃってたのかも。
医者じゃないから適当な見解で悪いけど・・・
裏話その⑤:ヒトラー生存説
1945年4月30日、ヒトラーは妻エヴァと自殺した。
ヒトラーは最後までヒムラーを信じることができず、青酸カリを飲んだ後、ピストルの銃口をくわえて頭蓋骨をぶち抜いたようね。
トラウデル・ユンゲの証言によれば、この最後を確認したのは宣伝相ゲッベルスだった。
ところが、戦後のニュルンベルク裁判で奇妙な証言があったりする。
1945年5月にドイツーデンマークの国境付近のトゥナーという田舎町でヒトラーをみたという証言だ。
ミステリーな生存説なんだけど、この生存説は全てがデタラメではなかった。
実はこのトゥナーという田舎町、ナチスの秘密の飛行場があったことが判明している。
このヒトラー生存説の裏話でドイツ政府の隠蔽工作が浮かび上がった。
詳細は別のレポ記事にまとめているのでそちらをどうぞ!