自決したはずのナチスNo .2は死んでなかった!
「ヒトラー生存説がなぜ存在するのか?」
「ヒトラーは本当に生きていたいのか?」
そんな疑問を持つ方に向けた記事になります。(2021/03/13 更新)
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- ヒトラーの最後は総統官邸地下壕での自決?生存説ミステリー
- なぜかベルリンで自決となった後継者マルティン・ボルマン
- ナチスの闇組織ディ・シュピネ
- ナチスの逃亡を助けた闇組織オデッサ
- 1959年まで生存していたヒトラーの後継者マルティン・ボルマン
- ヒトラーは生きてたのか?
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ヒトラーの最後は総統官邸地下壕での自決?生存説ミステリー
こんな事ってホントにあんの?
第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判で奇妙な証言があるのよ。
あるナチス党員が1945年5月にドイツ-デンマークの国境付近のトゥナーという田舎でヒトラーを見たっていうの。
第二次世界大戦の歴史に詳しい人なら「あれ?」って思うよね?
実は1945年4月30日にヒトラーはピストル自決したって事になってるのよ。
でもね?実はピストル自決ではなかったらしいのよ。
前日の4月29日に結婚した妻エヴァ・ブラウンと青酸カリ自決だったってのが史実とされてきたの。
深堀レポ記事 >> ヒトラーの最後!なぜエヴァを隠したのか?フシギな話
それは旧ソ連で保管されてるヒトラーとされる遺体の科学的分析で明らかになったんだけど、ここでまた奇妙な事があるのよ。
旧ソ連がヒトラーのものとしてた遺体は実は女性だったという事がわかったの。
おそらくエヴァ・ブラウンなんだろうね?ヒトラーの遺体はどこにいったのか?
実は死んでなかったかもね?
この証言通りに。MI6の機密文書が公開されて、4月28日にソ連が包囲するベルリンから飛行機で離陸したと証言したハンナ・ライチというナチスのパイロットがいるのよね?
ベルリンのブランデンブルク門前には大通りがあって、そこが臨時滑走路としてたらしいのよ。
またヒトラーが指揮してた総統官邸地下壕からその通りに直結する出入り口が発見されてるのよ。
なので非常手段があらかじめ用意されてたっぽいのよね?
でね、1945年4月29日、まさにこの臨時滑走路からヒトラーを逃亡させたと証言したパイロットもいたの。
その飛行機は5名が搭乗してて、パイロット、ヒトラー、マルティン・ボルマン、レオン・デグレル、他1名だった。
デンマークの田舎町トゥナーには秘密の飛行場があって一見舗装されていないので飛行場には見えないんだけど、第一次世界大戦の時にドイツが活用した実績のある飛行場でナチスはこれを密かに整備して再び使えるようにしてたらしいの。
このトゥナー経由でレオン・デグレルはスペインのサン・セバスティアンに不時着してる。
彼はなんとヒトラーに息子のようだと言わしめたほど信頼にされていた人物。
ただ不時着した飛行機から助け出されたナチス党員の中にヒトラーがいなかったことは確認されてるのよ。
ということはマルティン・ボルマンと同行した可能性が非常に高いのよ。
でもね、彼は1972年の西ドイツ政府のベルリン発掘調査で1945年5月1日に戦死したって事になってる人物なのよ。
なぜかベルリンで自決となった後継者マルティン・ボルマン
1960年、西ドイツ政府は「総統官邸から北に数キロのヴァイデンダム橋付近でマルティン・ボルマンの遺体を目撃した」という全国指導者アルトゥール・アクスマンの証言を信じて発掘調査したが、死体は発見されなかった。
定説では1945年4月30日、ヒトラーがマルティン・ボルマンに遺言執行者に任命し、事実上、後継者に指名されたマルティン・ボルマンはヒトラー自決を見届けた翌日、5月1日に総統官邸地下壕から脱出。
ヴァイデンダム橋付近のレアター駅方面に行く途中、ソ連の攻撃にあって青酸カリの服毒自殺したとなってる。
でも実際はそこに死体はなく、1972年、同じ現場を発掘調査して死体が出てきたとか。
そして1998年にDNA鑑定したところ、本人と確認された。
そしてバルト海に散布され、これ以上マルティン・ボルマンを調査することを政府は禁止したの。
マルティン・ボルマンがこれほど注目されたのは彼がヒトラーの側近中の側近で誰よりもマルティン・ボルマンを信頼しており、ナチスドイツのNo .2だったから。
ヒトラーは常にボルマンに相談して政策を決定していた。
つまり、彼のいるところにヒトラーあり!となったわけ。
さらにニュルベルク裁判での目撃証言もあり、どこかでヒトラーが生きてるのでは?と大騒ぎになっていたの。
だからこそ、マルティン・ボルマンはベルリンで戦死したとしかったんじゃないかなぁ?
でもね、彼は前述の通り、旧ソ連に包囲されたベルリンから堂々と逃亡して見せたのよ。
マルティン・ボルマンのDNA鑑定は嘘ではないんだけど、
問題は1998年に鑑定した遺体は1972年に発見した遺体だったのか?ってことなのよ。
1998年に鑑定されたマルティン・ボルマンの遺体には粘土質の赤土がこびりついてたらしいんだけど、この赤土ってベルリンにはないらしいのよ。
つまり、どこか全く違うところから死体を掘り起こしたんじゃないかって思うのよね?
実は1965年のCIA機密文書には、マルティン・ボルマンが南米パラグアイにいるっていう情報を掴んでたみたいなのよ。
さらに、パラグアイ政府は当時、ナチスの残党を多く受け入れてたらしいんだよね。
膨大な機密文書があるらしいんだけど、このパラグアイの機密文書から1959年、マルティン・ボルマンは胃癌で亡くなったと明記されてたのよ。
つまり、ベルリンで戦死したなんて嘘だったの。
生存説は本物だったのよ。
でもなぜ敗戦の末期の混乱状況で南米まで逃げられたのか?偶然?
いやいや、実は事前に敗戦時の逃亡ルートを確保してたみたいなのよ。
それも1940年あたりから。
ナチスの闇組織ディ・シュピネ
ナチスドイツは敗戦になった時、ヨーロッパから脱出するためのルートまで事前に確保してたのよ。
それを主導してたのがディ・シュピネと言われるナチスの闇組織で、スペインの独裁者フランコ、南米アルゼンチンの独裁者ペロン大統領などを巻き込み、スペイン経由でアルゼンチン、ボリビア、チリなどに逃亡させるネットワークを構築したらしい。
ユダヤ人を大量虐殺した首謀者と言われるアドルフ・アイヒマンも戦後アルゼンチンに逃亡してた。
それだけではなく、ディ・シュピネに資金援助してた事もわかってるのよね。
このディ・シュピネはなんとバチカンに支援されてた事も判明してる。
ローマ教皇ピウス12世はナチスがユダヤ人を大量虐殺した事を容認した。
まぁ、キリスト教はイエス・キリストを裏切り殺したとユダヤ人を長年迫害してきたし、やめろなんて言えないわなぁ。
なのでマルティン・ボルマンもスペインで修道院に隠れる事ができたのも、バチカンの支援があったからなのよ。
“ディ・シュピネの灰色の枢機卿”と言われた最高権力者がいて、それがマルティン・ボルマンらしく、潜伏中に修道服を着ていたところから来てるらしいのよね。
この組織は1940年あたりには潜伏先候補を探してたって情報があるのよ。
スペインのバルセロナ近郊にモンセラットの修道院があるんだけど、ここになんとナチス親衛隊ハインリヒ・ヒムラーがきてたみたい。
彼が直接動いてるところからもヒトラーの潜伏できる場所の候補を検討してたと思うのよね。
なので灰色の枢機卿、マルティン・ボルマンはスペイン経由で南米に逃亡したのよ。
南米にドイツ系が多いのは実はこれが原因だったりするんだよね。
ナチスの逃亡を助けた闇組織オデッサ
ディ・シュピネとは別に実は最大の逃亡組織と言われるオデッサが存在していた可能性がある。
これは「元SS隊員の組織」のドイツ語を略らしい。
このオデッサはイタリア、オーストリアを経由して南米に向かう「ラットライン」という逃亡ルートを準備していたっぽい。なんと9000人近いナチス残党を逃してる。
その中にはアウシュヴィッツで人体実験したマッドドクター、ヨーゼフ・メンゲレの大物をも含まれていたとか。
1959年まで生存していたヒトラーの後継者マルティン・ボルマン
マルティン・ボルマンは変名を使いながら、南米を転々と逃亡生活を続けていた。
アルゼンチンのペロン大統領の側近だった人物がインタビューに答えていて、このテープは自分が死んでから公開するようにと条件をつけてたらしい。
ある日見た事も聞いた事もない名のドイツ人がペロン大統領と会談したらしいんだけど、会談後、ペロン大統領がその側近に「彼はボルマンだ。マルティン・ボルマン」と漏らしたという。
ただ1955年あたりから身の危険を感じてたらしく、アドルフ・アイヒマンの周辺に捜査の手が迫っているのを感じ取っていたらしい。
チリのオソルノで養女と生活してたマルティン・ボルマンは1956年、パラグアイに逃亡、そこで1959年に胃癌で死亡してる。
マルティン・ボルマンの行動は今や筒抜けとなって各国の機密文書に名を残してる。
いくら逃亡したところで詳細に知られていた事から考えると1945年4月30日あたりからヒトラーの証言が全く取れてないってのがかなり気になってくる
ヒトラーは生きてたのか?
マルティン・ボルマンは戦後、ただ逃亡生活を続けていたわけではなく、アルゼンチンにナチスを根付かせようとしてた節がある。
ナチスの核開発に携わったロナルド・リクター博士は戦後、アルゼンチンに渡り、アルゼンチンのペロン大統領から島と資金を提供され、核開発してたのよ。
おそらくそのペロンを裏で動かしていたのはマルティン・ボルマンだろうね。
1955年、アルゼンチンで軍事クーデターがあってペロンは国外逃亡でスペインに逃げるだけど、その後アルゼンチンはナチスと関わった証拠を隠滅するように核施設を爆破したりするのよね。
マルティン・ボルマンはヒトラーの意思を継承し、南米をナチス化してアメリカを襲う計画だったかもね。
1942年だけど、ナチスはニューヨークのマンハッタンを核攻撃する計画を持ってたのよね。
この軍事クーデターで全ては終わってしまったんだろうね。
ヒトラーの亡霊、マルティン・ボルマンはベルリンから逃亡し、生存説が正しかったが、残念ながらヒトラーの生存についての情報は皆無なのよね。
そうした状況証拠からもヒトラーは4月30日に自決したのが正しいかもしれない。
誰にもバレる事なく生きていける場所なんて北極か、南極くらいしかないかもね。そんな極寒の地に行ってまで生きたいものか?妻エヴァ・ブラウンと自決する方がよほどマシな選択だと思えてならないけどね。
だけど実はチリの奥地に怪しい場所があるのよ。
今はヴィジャ・バヴィエラって言われててドイツ村っていうらしく、観光地になっててね、ビールやソーセージを楽しむドイツの生活風景を楽しめる場所なんだけど、昔、パウル・シェーファーという元ナチス党員が開拓したドイツ人コミュニティだった。
そこでは人体実験や性的虐待など血生臭い事件が勃発した場所なんだよね。
通称、コロニア・ディグニダって言われた場所で6歳から16歳の子供達が1日16時間以上も強制労働させられ、逃亡すると犬に追われ、銃でぶん殴られたんだって。
逃亡しなくなるまで電気ショックやよくわからん注射とか打たれたとか。
関係者にはヴァルター・ラウフって人物がいて、彼は移動式のユダヤ人殺害装置、毒ガストラックを開発した極悪人もいたのよ。
でね。このコロニア・ディグニダには誰も立ち入れない聖域があっていまだに誰も全容を知らないミステリーな領域になってるのよ。
実はここでヒトラーが逃亡生活していたんじゃないかとか噂があるんだよね。
ヒトラーの亡霊、マルティン・ボルマンもコロニア・ディグニダとつながりがあった事がわかってるんだよね。