世界的な巨大企業が仄暗い部屋のすみに隠蔽した巨大な犯罪史
「第二次世界大戦時のナチスとなぜBMWが関係してるの?」
「宣伝相ゲッベルスと巨大企業のつながりについて知りたい」
そういう疑問を持つ方に向けた記事なります。(2021/03/06 更新)
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1.第三帝国の野望が崩壊した時、ゲッベルス一家は?
2.ナチスの理想の母マクダ・ゲッベルスの狂気に満ちた眼球
3.謎の7人目のヨーゼフ・ゲッベルスの子供
4.今もなお君臨する謎の大富豪クヴァント家とナチスとの関係
5.第二次世界大戦中のナチス強制収容所の強制労働で巨万の富を築くクヴァント家
第三帝国の野望が崩壊した時、ゲッベルス一家は?
第二次世界大戦末期の1945年5月3日、ソビエト軍のイワン・クリメンコ中佐は、ベルリンの総統官邸地下壕で、6人の寝間着姿の子供達の、無惨な死体を確認した。
宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの子供達である。
1945年4月29日、ヒトラーは15年隠れて付き合っていたエヴァ・ブラウンと結婚していた。
当時、関係者以外は全くその存在を消されていたが、CIAの基となったOSSという諜報機関はその存在を掴んでいたっぽい。
>> ヒトラーの最後!なぜエヴァを隠したのか?フシギな話
また、この時、実はヒトラーは自殺ではなく、逃亡に成功したという話もある。戦後、ニュルベルク裁判で逃亡をしたヒトラーを目撃したという証言があったりする。
>> ヒトラーの最後は総統官邸地下壕で自決?生存説ミステリー
1945年4月30日、ヒトラーとエヴァ・ヒトラーが自室で頭をぶち抜いた時、ヒトラーの最後の秘書だったトラウデル・ユンゲはヨーゼフ・ゲッベルスの子供達と
過ごしていたという。
その時、ヒトラーの野望をぶち抜いた、乾いた「バン」と弾ける音を聞いたヘルムートは迫撃音と勘違いし、「的に命中だ」を大騒ぎしてたという。
ナチスの理想の母マクダ・ゲッベルスの狂気に満ちた眼球
この時、ヘルムートは9歳だった。
ヒトラーの愛犬ブロンディや、相当官邸地下壕で勤務していた人たちと遊んだりと地獄の中の癒しの存在であったことが伺える。
ちなみにこの愛犬ブロンディはヒトラーの自殺に使う青酸カリの効力を実験するため、直前に毒殺されたようだ。
子供たちの最後は医師によってモルヒネを投与され、口の中にシアン化物を入れて毒殺したという。
ヨーゼフ・ゲッベルスはパパっ子だった長女ヘルガを可愛がっていたらしいんだけど、死後顔にはアザがあったという。
おそらく、モルヒネを飲まされる際にかなり抵抗したことがわかる。
12歳だしね。察するわねぇ?
また、その口の中に毒物を入れたのはナチスが掲げる理想の母のはずだったマクダ・ゲッベルスだった。
謎の7人目のヨーゼフ・ゲッベルスの子供
ところでヨーゼフ・ゲッベルスという人物は知っている人も多いと思うけど、国家社会主義ドイツ労働者党、通称、ナチスで宣伝相を務め、ラジオ、テレビ、映画、そしてオリンピックなどあらゆる媒体を介して、ナチス、すなわちヒトラーを宣伝した人物。
その国民を洗脳した手法が有名で、今なお、彼を研究している人も多い。
実はあまり知られていないんだけど、ヨーゼフ・ゲッベルスには、総統官邸地下壕で亡くなった6人のほかに、もうひとり養子がいて、子供は7人いた。
その7人すべての子供の名前の頭文字が「H」になっていることが特徴的と言える。
これはヨーゼフ・ゲッベルスのアドルフ・ヒトラーへの敬意と忠誠を表したものと言われている。
このマクダ・ゲッベルスは第三帝国の理想の母親像として夫ヨーゼフ・ゲッベルスの宣伝に一役買ってる。
またマクダも、ヒトラーへの忠誠は尋常ではなかったようね。
実は彼女自身ユダヤ人なんだけど。
マクダとヨーゼフ・ゲッベルスと6人の子供たちは当時大々的に宣伝され、ナチスの理想の家族像を演出していたが、そこは流石、天下一の宣伝相!
夫婦仲はそれほどだったっぽい。
ヨーゼフ・ゲッベルスは映画女優とやりたい放題だったらしく、離婚寸前だった夫婦仲をヒトラーがたびたび仲介していたとか。
そんなことからもマクダ・ゲッベルスのヒトラーの信望ぶりは異常なほどだったとか。
多くのナチス幹部はこの戦争末期のベルリンから逃亡していたが、ヨーゼフ・ゲッベルスと妻マグダと6人の子供達はあえて総統官邸地下壕に移り住むことを選んでいること、またヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚式の立ち合い人となったことからも、ヒトラーへの敬意、忠誠はただならぬものがあったように思える。
しかし、このイニシャルの件についてはそうでもなさそうで、母マクダ・ゲッベルスがヒトラー信者になる前の最初の子、ハラルトの名前を付けたときから、頭文字Hになる名前を探すのを楽しんでいたとか。
マクダの実母が証言していたことからも、実はこちらが真実に近そうね?
このマクダが6人の子供達に手をかけたのは、
マクダ・ゲッベルス
co「父親が今世紀最大の犯罪のひとつを推し進めた人物だと、
聞きながら育ってほしくない。
それよりは転生のほうが子供達にとって、よっぽどよい未来だ」
と話していたという。
マクダは自殺する1ヶ月も前から既に子供達のことについて覚悟を決めていたみたい。
しかし、最初、子供達6人だけは助けたかったようなんだけど、夫のヨーゼフ・ゲッベルスの考えに結局は同意したみたい。
一家心中を決めてからは子供達を見るたびに涙が止まらなくなってしまうため、子供達の世話は主にヒトラーの最後の秘書トラウデル・ユンゲがおこなっていたとか。
2002年まで生存していたこともあって貴重なインタビュー本を残している。
それを基にした映画は制作されてる。
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今もなお君臨する謎の大富豪クヴァント家とナチスとの関係
実は妻マクダはヨーゼフ・ゲッベルスとの結婚は2度目でした。
最初の結婚は19歳の時出会った、38歳のギュンター・クヴァントという富裕層の人物でした。
ギュンター・クヴァントは元々資産家の大金持ちでした。
ドイツの雑誌「シュピーゲル」誌によれば、クヴァント家は1700年頃にオランダからドイツへ移住してきたという。
ギュンターの父、エミール・クヴァントは繊維工場を手に入れ、ドイツ軍の制服製造の独占企業のトップでした。
このギュンター・クヴァントとの間にできた最初の子がハラルトという人物でマクダの連れ子としてゲッベルスの養子となった、ゲッベルスの7人目の子供だったのよね?
このことがギュンター・クヴァントとナチスの結びつきを深めていく。
しかしマクダとは、マクダ自身の浮気もあって7年くらいで離婚。
その際、マクダは夫ギュンターの弱みを握る手紙を盗み出し、月々4000ライヒマルクという多額の生活費を毎月支払わせていた。
ちなみにこの時代、一般的な収入レベルは月150ライヒマルク程度なので強烈な弱みだったことがわかる。
というか、とんでもない蛇女ということか?
上の写真なんだけど、「美人にはトゲあり」とはよく言ったもんよ。
このギュンター・クヴァントの築いたクヴァント家、現在ドイツの長者番付100位以内に8人が名を連ね、そのうち3名ほどは世界長者番付の常連という、ただの富裕層ではない。
なぜこれほどまでの大金持ちになったのでしょうか?
そのキーパーソンこそ、ハラルトでした。
第二次世界大戦中のナチス強制収容所の強制労働で巨万の富を築くクヴァント家
自分の子、ハラルトがヨーゼフ・ゲッベルスの養子となった血縁関係を利用し、ギュンター・クヴァントはナチスに入党する。
その後1945年のナチス・ドイツ滅亡までの間、ナチスとの関係を利用して強制収容所から労働者を徴収、自身が経営するベルリン、ハノーファー、ウィーンにある工場での強制労働に就かせた。
強制労働は毎月80名程度が死亡するほどの過酷なものであったという。
ギュンターはまた、バッテリーや、銃弾、地雷などの武器製造にも手をそめており、戦時中に巨万の富を手に入れていた。
ところで、ハラルトはこの時すでに23歳になっており、空軍でパイロットをしていた。
ちょうど戦争末期の1944年は北アフリカにてイギリス軍の捕虜となっていた。
そのため、一家心中には参加できなかったみたい。
1947年に釈放されるまで捕虜だったからね。
戦後1946年、ギュンターは強制労働の罪で投獄されるんだけど、たったの一年半ほどで釈放。
これは戦後の米ソ冷戦を意識したアメリカの意向があったとか。
実は戦前からアメリカはナチスに肩入れしてたという衝撃の歴史がある。
>> ナチスの選挙圧勝を支えたアメリカとのミステリーな関係
その後、1954年実父のギュンター・クヴァントが死去するとその巨万の富を引き継ぎ、西ドイツの経済界を引っ張ってく存在に成長していく。
そしてユダヤ人の血と肉片で築いた巨万の富をある会社に投資することになる。
その会社は1916年の創業当時、航空機エンジンのメーカーでした。
それが1929年以降、自動車やバイクの製造を始め、当時無名のメーカーでありながら、陸軍調達局がエンジン性能に驚いて、多数のエンジンを発注したというのは有名な話となっている。
現在では世界を代表するドイツ車メーカーにまで成長している。
クヴァント家は現在この会社の46.7%の株式を取得しており、オーナーとして君臨している。
クヴァント家の総資産は4兆円を超えているらしいのよね?
その会社の名前は、
「バイエルン・モトーレン・ヴェルケ(バイエルン・エンジン・製造)」の頭文字をとって、【BMW】と言われている。
クヴァント家はナチス時代の強制徴用と強制労働の事実を認めず、生存者からの賠償請求も受け付けなかったと批判されている。
ドイツ国営放送は2007年10月1日、クヴァント家が過去に行った悪行とナチスへの政権援助を暴き、その後の責任逃れを追及するドキュメンタリー番組を放送。
放送は同家による妨害を避けるため、予告なしに行われ、大きな反響を呼んでいる。
ちなみに日本ではこのようなことはニュースにすらなっていなかったと記憶している。
いまだにこの島国は情報が遮断されているらしい