ナチスの蛮行ホロコーストとは?なぜユダヤ人迫害が公然とおこなわれたのか?
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- ホロコーストとは?
- なぜユダヤ人がホロコースト
されたのか? - ナチスがホロコーストに至った
悪魔の戦略とは - ホロコーストの犠牲者数
- アウシュヴィッツは絶滅工場だけ
ではなかった - 絶滅収容所になぜガス室が設置
されたのか? - ホロコーストを画策したヒトラーは
異常だったのか?
ホロコーストとは?
ホロコーストという言葉自体は、「全部」「焼く」を語源としたギリシア語を語源としていて、ユダヤ教の宗教用語にあたるのよね?
ユダヤ教とキリスト教の中では雄の牛、ヤギ、羊、鳩を祭壇で焼いて神への生贄とする神聖な儀式の事を元々意味してるそうなのよ。
ただ、第二次世界大戦以降、絶滅収容所から幸運にも逃亡したユダヤ人が「ドイツはユダヤ人を生きたまま火の中に投げ入れて焼き殺している」という冷たい手で首筋を撫でられるような不気味な噂が飛び交いはじめ、戦後、ノーベル賞を受賞したエリ・ヴィーゼル氏が「ナチスによるユダヤ人大量殺害」の体験談をホロコーストと使った事から意味が定着したっぽい。
ただ、一部のユダヤ人にはこの言葉を使うこと自体が差別だと主張する人もいる。
なぜなら、ホロコーストの本来の意味からすると、生贄にされたユダヤ人、焼却炉を祭壇、ナチスを司祭と捉える事ができ、これはユダヤ人の大量殺戮を政治的に正当化するように聞こえるからだと。
そんなことからか、ジェノサイド、ショアなど色々と同義の単語が乱発してるのもそういうわけなのよね。
ただ、ユダヤ人迫害の歴史自体はかなり長く、ヒトラーが史上初ではない。
西暦392年古代ローマ帝国ではテオドシウス帝がキリスト教を国教としたことで権力の握り、キリスト教によるユダヤ人迫害は度々おこなわれていた。
そんな歴史から、ヒトラーのユダヤ人絶滅計画が遂行する中、カトリック教の総本山ヴァチカンはホロコーストを批判しなかったと、それどころか戦後ナチス党員が南米に逃亡するルートを助けた等色々と後ろ指指されるようなドス黒い噂があったりする。
その辺は別記事にまとめているので参照して頂きたい。
しかし、原始キリスト教から中世以降、宗教上の争いが迫害の理由だったとしても、ナチスがユダヤ人をホロコーストする理由ではない。
ヒトラーはキリスト教があまり性に合わなかったのは前述の記事に記載した通り。
ヒトラーが絶滅計画を画策したのは実は別の理由があった。
なぜユダヤ人がホロコーストされたのか?
ヒトラーがユダヤ人絶滅計画を画策し、ホロコーストを実行したのは、反ユダヤ主義からだと言われている。
この反ユダヤ主義の定義についてはこちらのサイトが参考になるかも。
ただ、ヒトラーがユダヤ人をターゲットにしたのはキリスト教のような宗教上の理由でもなければ、反ユダヤ主義と言われる嫌悪感からでもなかった。
当時、ドイツ国民は第一次世界大戦に敗れ、天文学的な賠償金を課せられ、さらに悪いことにスーパーインフレと言われる経済状況でお金は文字通り紙くず化していた。
なぜそんな屈辱的な貧困を味わうハメになったのか?
実はそこに深くユダヤ人が関わっていた。
詳細は別記事にまとめてるのでそちらを参照頂きたい。
実は、ホロコーストは最初からヒトラーの1925年出版した著作『我が闘争』の中で衝撃な構想を記載している。
ナチスがホロコーストに至った悪魔の戦略とは
ヒトラーがミュンヘン一揆で武力革命しようとして失敗して投獄された獄中でルドルフ・ヘスに口述筆記させた著作『我が闘争』の中で次のように語っている。
「ユダヤ人は世界のペストであり、(省略) 一度毒ガスの中に放り込んでやったらとしたら、前線での数百万の犠牲も決して無駄ではなかったであろう」
ここからも最初から毒ガスによるホロコースト、大量殺戮の構想があったかもしれない。
ただ、実際ガス室が設置されたのは全く別の理由からなんだけど、それは後述するとして、ヒトラーは徐々にユダヤ人への包囲網を狭めていった。
狡猾なワナと戦略でナチスはまるで狩りするように獲物を追い込んでいった。
詳細は別記事にまとめたのでそちらをどうぞ。
→ホロコーストの謎!ユダヤ人大虐殺に至った血も凍るプロセスとは?
ホロコーストの犠牲者数
アウシュヴィッツだけではない。
1941年アドルフ・ヒトラーとハインリヒ・ヒムラーの会談でユダヤ人問題に対する最終解決が決定された。
実は当時ヨーロッパ諸国ではナチスドイツから追放されたユダヤ人の受け入れ先がなく、どの国も拒否していたために難民化していた。
そういったユダヤ人問題の解決案として決定したのが絶滅計画なの。
アウシュヴィッツだけで110万人ものユダヤ人が殺人工場にて血煙にその姿を変えていた。
ただ、アウシュヴィッツにガス室が設置された稼働し始めたのは1942年ごろからで、1945年までの3年間で110万人を殺害したことになる。
身の毛がよだつ効率の良さと言わざるを得ない。
実はアウシュヴィッツで絶滅工場が建設される以前から、トレブリンカ、ソビボル、ベウジェツ、マイダネクなどに絶滅工場が設置されており、1942年この4箇所合計だけで127万人のホロコースト犠牲者を出している。
ただし、この4工場から逃亡して奇跡的に生還したユダヤ人が大虐殺している事実を訴えたことでヨーロッパ諸国には知れ渡ってしまい、証拠隠滅のために取り壊され、植林されて跡形もなかったりする。
だがヨーロッパ諸国がナチスのホロコーストの実態を深く追求しなかった事実もある。
ナチスの蛮行を見て見ぬふりをしたこともこの異常な犠牲者数が物語っているように思える。
終戦間際に絶滅工場として稼働したアウシュヴィッツだが、実はそもそもの目的は別のところにあった。
次の章で詳しく見てみたい
アウシュヴィッツは絶滅工場だけではなかった
不可解として言いようがないのよ。
1941年ソ連侵攻したヒトラーはソ連領に逃れていたユダヤ人を2000〜3000人捕獲しては銃殺する狂乱状態で戦局が悪化すると「今のうちにどんどん絶滅させよう」とばかりにアウシュヴィッツに絶滅工場を設置。
なぜアウシュビッツに強制収容所やホロコーストの舞台となった絶滅収容所を設置したのかというとこの地はヨーロッパ中の鉄道路線が交差する重要地点で各方面から移送可能という利点があった。
フランス、オランダ、ベルギー、ユーボスラビア、ポーランド、チェコ、スロバキア、オーストリア、ドイツなどからも20万人以上が移送されている。
スロバキア政府なんかはナチスに大金を支払ってまでユダヤ人を大量にナチスへ追放している。
ホロコーストの実態を影で察しながらもこのような処置をとったのはいかがなものかと思えてしまうが。
この移送責任者だったのが悪名高いアドルフ・アイヒマンだ。
アイヒマンについては後述したい。
また、アウシュヴィッツは豊な水と石炭の産地でもあった。
それも当時、アウシュヴィッツに工場があった理由なんだけど、詳細は別記事にまとめたのがあるのでそちらを参照してほしい。
絶滅収容所になぜガス室が設置されたのか?
ガス室での殺害は銃殺よりも人道的かも?
そんなイメージを漠然として持ってたけど、それは間違いだった。
ガス室で殺害された後、なんと同胞であるユダヤ人の特殊作業班が死体処理をしてた。
その特殊作業班で従事したユダヤ人はもちろん証拠隠滅で殺害されているが奇跡的に生き残った人がいて、衝撃の事実を打ち明けた。
それを聞く限り、「人道的」という言葉はどこかに吹っ飛んでしまう。
なぜガス室が生まれたのか?
もちろん、ナチスドイツの領内、ヨーロッパ各地に点在するユダヤ人を絶滅させるため、効率よく処理する必要があったのは確かだが実はガス室が生まれた根本的な理由はそこではなかった。
詳細は別記事にまとめているのでそちらをどうぞ。
ナチスが1933年に政権を奪取して以降、終戦までに600万人以上のユダヤ人がホロコーストされた。
単純になぜそんな常識を逸脱した絶滅計画なるものが遂行されたのか?
たった1人ではもちろん無理で、ナチスドイツ国民全員が加担しないとこんな犠牲者数にはならない。
戦後、1961年イスラエルでアウシュヴィッツ絶滅収容所にヨーロッパ各地からユダヤ人を移送したホロコースト計画の核心的な人物アドルフ・アイヒマンの裁判が実施された。
実は当時、この裁判を大きな衝撃を与えていた。
数百万人を地獄へ連行した悪魔とはどんな奴なのか?
その悪鬼はどんな形相をした悪魔なのか?
そんなことが話題になっていたのが法廷に現れたアドルフ・アイヒマンは衝撃的だった。
この裁判でとんでもないことが明らかになった。
それこそがガス室が誕生した根幹のように私は思える。
詳細は別記事にまとめたのでそちらをどうぞ
ユダヤ人絶滅計画を画策したヒトラーは異常だったのか?
アドルフ・ヒトラーという存在は、第一世界大戦の敗北で自然淘汰によって絶滅の境地に立たされたドイツ国民を鼓舞しただけではなく、崩壊した経済を立て直し、マイホームやマイカーの夢を国民に与えた。
公共事業で失業問題を解決したのはナチスが最初だったりする。
実は当時、既にテレビ電話できる公衆電話まで存在していたのはあまり知られていない。
ヒトラーが総統として絶大な人気があったのは大衆を操ったプロパガンダが理由ではなく、生活を立て直した実績に基づいていたのだ。
がしかし、一方で近代史上類を見ない大虐殺をやってのけた異常者でもあった。
ヒトラーは異常者だったのか?
実はヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンの日記から面白い事実が判明している。
ヒトラーとエヴァの関係については別の記事にまとめているのでそちらを参照してほしい。
アドルフ・ヒトラーが重要な政治判断の決断理由を占星術に依存していたというのだ。
詳細は別記事にまとめているのでそちらを参照してほしい。
またそれだけではなく、ヒトラーの主治医テオドール・モレルのカルテから衝撃の事実が判明している。
戦時中、日本でも「疲労がポンと回復する、ヒロポン」というふざけた名前の薬が薬局で販売されていたが、実はこれ、覚醒剤なのね。
ナチスでも1936年のベルリンオリンピックあたりからペルビチンという覚醒剤が開発販売され、なんとチョコレートに混ぜるとか広く一般的に覚醒剤が販売されていたの。
ヒトラーも実は薬物ジャンキーだったっぽいのよ。
詳細は別記事を参照してほしい。
ホロコーストを実施したヒトラーや、ナチス党員は覚醒した超人となり、うちなる悪魔を覚醒剤によって召喚してしまい、それはホロコーストという最悪の形で人類史に負の遺産として刻まれたような気がしてならない。