なぜアウシュビッツにガス室が出来たのか?フシギな理由

ユダヤ人を大量虐殺することが根本的な導入理由ではない

「ガス室って最初からアウシュビッツにあったんでしょ?」
「ガス室って大量虐殺するために作られたんでしょ?」

こういう疑問を持つ方に向けた記事になります。(2021/01/03 更新)

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  1. なぜアウシュビッツにガス室が出来たのか?
  2. ガス室以前のユダヤ人絶滅方法
  3. 実はアウシュビッツだけではなかった絶滅収容所
  4. 考案された大量殺戮する処刑人に優しい殺害方法

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なぜアウシュビッツにガス室が出来たのか?

アウシュビッツの所長ルドルフ・ヘスは奇妙な言葉を残してる。

「毒ガスによる処刑は私を安心させた。これで悲惨な大量殺人を行わずに済む」

アウシュビッツは1940年に建設された収容所で元々、そこはポーランド軍の広大な馬場のある兵舎だった。
まさかそこで終戦までに110万人ものユダヤ人が大量殺害されるとはその頃、全く計画されてはいなかったの。
もちろん、ガス室なんて当時世界のどこにもなく、アウシュビッツにもなかった。
ただの強制収容所だったのでルドルフ・ヘスは、アウシュビッツのゲートに皮肉をこめて、

「働けば自由になる」

アウシュビッツの死のゲート。このゲートをくぐったユダヤ人の75%は2時間以内に灰となった
アウシュビッツの死のゲート「働けば自由になる」

という言葉をつけたらしい。
最初は3人用寝床スペースで設計されたらしいんだけど、実際の運用ではそのスペースに4人収容していたことがわかっており、換気も悪く、伝染病はすぐに蔓延するように設計されていたとか。
強制労働を通してどんどん使い捨てする計画だったことが伺える。
規模的には建設当時はそれほど大きなものではなかったんだけど、アウシュビッツとは、豊な水があり、30キロ圏内にヨーロッパ有数の鉱脈があり、石炭が多く採取できる場所だったのよ。
そこに目をつけたのがI.G.ファルベン社で当時、世界有数の化学工業会社でナチスドイツの最大スポンサーでもあった。
ちなみにアメリカが参戦するまで、後にCIA長官となるアレン・ダレスの兄、ジョン・フォスター・ダレスはこのI.G.ファルベン社の重役だったことから戦前からアメリカとナチスは関係があったことがわかっている。
そのI.G.ファルベン社の主力製品が合成ゴム、合成燃料で大量生産する為の新工場の建設予定地を探していたの。
そこでアウシュビッツに視察に来たハインリヒ・ヒムラーが突如3万人の強制収容所に拡大させることにさせたの。
だけど1941年あたりから戦局が激変するのよ。
ナチスは不可侵条約を結んでいた旧ソ連に侵攻を開始して、共産主義とは水と油というわけでロシア人絶滅計画を開始。
それまでもユダヤ人の迫害行為はされてたんだけど、それにロシア人も加わったことで大量殺戮可能な死の工場が必要になっていったのよね?
でも当時のやり方ではまだまだ原始的だったこともあり、かなり苦しい状況だったみたいなのよ、ナチスドイツの内部でも・・・

ガス室以前のユダヤ人絶滅方法

それ以前からユダヤ人を含め、強制収容所での処刑はおこなわれてたんだけど、ユダヤ人に穴を掘らせ、穴の縁に整列させてから反対側から親衛隊SSが銃殺するって方法だった。
大体1942年以前の処刑というのは銃殺が主な方法だった。
毎日この方法を永遠と繰り返していたの。
夏になればおぞましい死臭が鼻を襲い、腐乱したユダヤ人の死体は観る者を狂乱させるには十分だった。
1週間で2000人から3,000人のユダヤ人がこの方法で殺害されていたというから恐ろしい事件だよね?
1941年には爆弾を仕掛けた穴の中に、生きたままユダヤ人を入れて爆発させるという方法が採用された。
爆発後にユダヤ人の破片をかき集めて穴に入れ、そのまま埋めたようだ。
ただ、木の上に引っかかった破片はそのまま放置されたとか。
なぜそういった方法が考案されていたかというと、処刑人であるドイツ人がユダヤ人を殺害しすぎて精神的に参っていたからなのよ。
それに銃殺や爆破だとコストもかかることもネックになっていたの。
強制収容所の所長たちの悩みはまさにこれでいかにして我々ドイツ人の負担を軽減させて且つ、大量殺戮を可能とし、ユダヤ人を根絶させるか?
ということだったの。
ところでナチスドイツでは今では考えられないような理由で簡単に合法的な殺害が実行されていたのよね?
例えば、身体障害者やアルコール依存症、今で言うLGBT系もそうね。
それらは至高の存在であるアーリア人の純粋な血流を残すという政策観点から、排除しても良いとされたらしいのよ。

アウシュビッツでは当初銃殺刑が全てだった。当初はガス室は存在していなかった
アウシュビッツの日常風景

なので医師がそういった患者のカルテに赤い❌印をつければ殺害OKだったのよね。
そういった欠陥だと判断された人たちの殺害方法をゾンネンシュタイン収容所で研究されたらしいのよ。
1941年画期的な殺害方法が考案されていたの。
きっかけは車のエンジンを蒸したままで昼寝をしていた親衛隊員が誤って一酸化炭素を充満させてしまったことにより、死にかけた事だったんだけど、そこからトラックの荷台にユダヤ人を閉じ込めて森へ向けて出発。
走りながらその荷台に一酸化炭素を充満させて中毒死させて到着した森の穴の中に放り込んで埋めるという「地獄の車」が開発され運用されるようになるんだけど、そこからゾンネンシュタイン収容所ではシャワー室に似せたガス室を作り、お湯の代わりに一酸化炭素ガスを出して中毒死させることに成功した。
ゾンネンシュタイン収容所ではこのガス室で欠陥と判断されたアーリア人をなんと7万人も大量殺戮した。
そこでアウシュビッツの副所長カール・フリッツがそれを採用し、アウシュビッツで地獄の一丁目として恐れられた拷問室、第11号室をガス室化した。
アウシュビッツでは一酸化炭素ガスではなく、殺害の効率を上げるためツィクロンBの殺虫剤を採用。

アウシュビッツに残された大量殺害に使われたツィクロンBの空缶でどこほど殺害されたのか想像を絶する恐ろしさ
ツィクロンBの空缶の山


1回目の実験では旧ソ連の囚人でおこなわれ、失敗。ツィクロンBの量が少なかったので殺害には至らず、2回目量を調整して成功したとか。
でもなぜユダヤ人は大量殺戮される必要があったのか?
ナチスでは占領した各地からわざわざユダヤ人をかき集めて殺害してるのよね?1939年からナチスとスロバキアは同盟関係だった。
スロバキアはキリスト教徒が多数を占めてたので宗教や文化の違いから反ユダヤ主義だったんだけど、戦前9万人のユダヤ人地区があったんだけど、1942年からは1人あたり500ライヒマルクをナチスに支払ってまでユダヤ人を絶滅収容所に移送してたのよ。
あまり知られていないんだけど、フランス、ベルギー、ユーゴスラビア、ポーランド、チェコ、オーストリアでも同じようにユダヤ人がナチスに引き渡され、移送されていたの。

その数は200万人以上

ナチスだけが叩かれてるけど、これも立派な共犯だと思うけどね。
フランスは4000人以上の親なし子をアウシュビッツに移送してる。
当時占領下にあったフランスだけど実は占領地域と非占領地域があってナチスとフランス政府が共同統治してたのよ。
フランス政府もフランス系ユダヤ人以外の外国人限定だけどしっかり加担してたのよ、ナチスにね。
しかし、なぜここまでしてまでユダヤ人絶滅にこだわったんだろうね?

実はアウシュビッツだけではなかった絶滅収容所

絶滅収容所は各地に設置されていた

ユダヤ人の大量殺戮ホロコーストは1942年を境に過激化するのよね?
それ以前も確かに殺戮されてはいたけど、各収容所ではユダヤ人大量虐殺が優先事項ではなかったの。
それに既に見てきたように大量殺戮をするには銃殺ではドイツ人の精神的な負担が大きく、実行困難な状況でもあったの。
そこで1942年1月20日、ヴァンセー会議が行われ、「ユダヤ人問題の最終解決」が決定されたの。
「ユダヤ人問題」ってそもそもなんだ?ってことなんだけど、

ヨーロッパにそもそもユダヤ人が存在している事が問題とされたの!

その解決策として「ユダヤ人の根絶」が再確認された。
1942年から1943年に実行されたラインハルト作戦により、絶滅収容所が建設されるんだけど、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ、ヘウノムではなんと200万人の大量殺戮がおこなわれた。
ダーウィンの進化論により、第一次世界大戦に敗北したドイツは地上から消え失せる存在と戦後ドイツ人を落胆させたが、今度はユダヤ人こそが自然淘汰の中で絶滅する運命にあったとしたわけ。
ただ1943年以降戦局が悪化してきたことがあり、絶滅収容所は徐々に閉鎖されたみたい。
ただ、へウノムとアウシュビッツに集約されていったみたいなのよ。
閉鎖された絶滅収容所は取り壊された後、植林されて周囲の風景の一部になってしまっている。
アウシュビッツでは130万人が移送されてそのうち110万人が終戦までに殺戮されている。
所長のルドルフ・ヘスが言った言葉・・・

「毒ガスによる処刑は私を安心させた。これで悲惨な大量殺人を行わずに済む」

これは正しく解釈すると、「我々至高のアーリア人が直接手を汚す大量殺人はなくなった。」という意味になるのよね。
手に血がつかない大量殺戮は気持ちよく実行できるって言ってるようなものなのよ。
なんとも恐ろしく、血液から体温が引いていく感じがするんだけど。

考案された大量殺戮する処刑人に優しい殺害方法

アウシュビッツでは大量殺害可能なシャワー室のようなガス室が作られ、それは火葬場が併設されていた。
その死の工場では100名の特別作業班に任命されたユダヤ人が働き、4名のドイツ人看守が監視していた。

アウシュビッツのガス室には特別作業班に任命されたユダヤ人がいて、同胞の死体処理をさせられていた
ユダヤ人の死体処理する特別作業班のユダヤ人

老人は右、若者は左

アウシュビッツでは到着後選別されて生死を判断された。
運命の分かれ道

選別された結果、到着後75%はガス室へ送り込まれ、2時間以内に灰になるという。
ガス室で生産された死体は同じユダヤ人の特別作業班がトロッコで火葬場に運搬して火葬され、埋葬班が埋めるという死の工場が完成した。
それに加え、処刑に立ち会うドイツ人の数は少なく、天井の穴からツィクロンBを投げ入れるだけという最小限の作業化により、精神的に悩まされないという。なんともいえず、言葉を失う悪魔的な効率性によりハインリヒ・ヒムラーが1942年に夢見たユダヤ人大量虐殺のシステムの構築は完成された。

ガス室とはいかに効率よく大量殺戮するか?というよりもいかにして処刑人の精神的な負担を軽減するか?

というところから研究された結果だったのだ。
そこにユダヤ人への人道的な配慮など微塵もなかったと言わざるを得ない。
そのアウシュビッツに残るガス室の壁には悶絶するユダヤ人の爪痕が残っている

アウシュビッツは絶滅収容所化し、110万人が殺害された

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