ゆるい黒歴史マガジン
- “UFO”とは「ナチスの新兵器」って意味だって?
- ヒトラーの演説術はなんとユダヤ人奇術師直伝
- ナチスのちょっとグロい話
- 特集記事:ヒトラーを悪魔に覚醒させた
主治医モレル - ナチスの意外な真実ベスト3
- ナチス関連の映画&おすすめ本
“UFO”とは「ナチスの新兵器」って意味だって?
UFO=unidentified flying objectという英語の略で元々は軍事用語。実は第二次世界大戦中、連合軍もドイツ軍も空飛ぶ円盤を目撃したという証言が残っている。連合軍側は「ナチスの新兵器」だと勘違いしていたとか。
ナチスでは実はロズウェル事件と同じようにドイツ国内に円盤が墜落し、それを解体、分析研究してたと噂がある。また反重力装置の試験を行っていた証言も実はある。ナチスでは「ベル型円盤」を開発しており、終戦時に完成させていたのでは?と専門家の間では噂されている。なぜか関係者の科学者は全員射殺されてる。また戦後元ナチスの科学者達の驚きの証言が残されている。この黒歴史の詳細は深堀レポ記事 >> ミステリーUFOは研究、製造されていた
ヒトラーの演説術はなんとユダヤ人奇術師直伝
第一次世界大戦後、ドイツ国内は革命が乱立し、1917年のロシア革命以来、共産主義の風が吹き荒れていた。またヴェルサイユ条約によって天文学的な賠償金を背負わされてドイツ国民は自然淘汰によるアーリア人の滅亡は運命だと打ちひしがれていたの。そんな時にチョビ髭で情熱的に演説する男が現れた。
1923年11月8日、ミュンヘン一揆で武力革命しようとして失敗し、収監された際の身体検査で片方のキンタマをなくしてたアドルフ・ヒトラーその人である。はじめてヒトラーの演説の映像を見た時、たぶん、「映像の20世紀」だと思うんだけど、その映像は情熱的で、オーバーリアクションというか、ボディーランゲージというか、「なんかすごいなぁ・・・」というのが第一印象だったが、我々日本人からしてみれば、一般的な外国人も表情豊かというか、オーバーなリアクションで大げさと思うところがあったんで特別オーバーリアクションのように思えなかった。
そんなものだと。しかし、そんな外国人からしてもヒトラーのリアクションは凄かったらしい。ヒトラーのそれは天性のものではなく、「超能力、千里眼を操る」と公言してたウィーン生まれのチェコ系ユダヤ人、エリック・ヤン・ハヌッセンという預言者から得たものだったという。
ハヌッセンなる者はただの奇術師だったが、当時大人気だったっぽい。人掌握術に長けた奇術師のテクニックを演説に取り入れたというのはその発想はすごいものがあるよね。この人身掌握術によってヒトラーは空前の人気者になり、ファシズムの時代を切り開く。その結果、600万ものユダヤ人が殺害されてしまう黒歴史になってしまうのだが、この時もちろん、ハヌッセンは何も知らない。
実はこの預言者ハヌッセンは「頭脳がオカルト」と言わしめたヒトラーの右腕ハインリヒ・ヒムラーに重要視されている。その結果、ナチスの幹部達の間ではことのほか、これ系の奇術というか黒魔術系が浸透していた。
詳細は深堀レポ記事 >> ヒトラーの恐怖政治の根底にあった理屈を超越した秘術
ナチスのちょっとグロい話
ここではユダヤ人問題の最終的解決として1940年に建設されたアウシュビッツの黒歴史を紹介。ナチスの代名詞とも言えるガス室による処刑法はなぜ生まれたのか?それまではなかった方法がなぜ生まれたのかに焦点を当てたい。
だけど、1941年6月22日から始まったヒトラーのソヴィエト侵攻で激変する。このバルバロッサ作戦の目的はソ連人の撲滅だった。この独ソ戦のソ連側の死者数は民間人含め3000万人となった。この莫大な殺害計画を銃殺のみで実行するのは実質不可能だった。そこでトラックの荷台に閉じ込め、排気ガスで殺したり、手榴弾で集団爆破させたりと効率よく人間を殺害する方法を検証していたのよ。そこで行き着いたのがガス室だった。しかし、根本的にガス室に落ち着いた理由は別にあったのよ・・・
詳細は深堀レポ記事 >> なぜアウシュビッツにガス室が出来たのか?フシギな理由
1941年以前もドイツ第三帝国各地でユダヤ人への迫害、人命を無視した人種差別は横行していた。処刑方法としては主に大穴を掘ってその側に立たせて銃殺する方法をとっていた。
特集記事:ヒトラーを悪魔に覚醒させた主治医モレル
テオドール・モレルは「欲深い医者ほど怖いものはない!」という言葉の意味を教えてくれる。
1886年7月22日、小さな村の小学校の教師の次男として生まれた。
1910年からモレルはフランスのグルノーブルとパリで産婦人科を、ミュンヘンで内科を学んだあと、1913年に博士号を取得し、医師として認められている。
第一次世界大戦が勃発すると、前線勤務の医務官として従事している。
そんなモレル医師だが、欲望に身を任せたドス黒い野望を腹の底に秘めたところがあり、一風変わった方法で富裕層の顧客を獲得しようと必死だったようだ。
「私は、ペルシア王とルーマニア王から主治医になるよう要請を受けたが断った」
「大学で薬学を教えていた」
「ノーベル賞学者イリヤ・メチニコフの元で医療を学んだ」
などと口から妄想を吐いていたとか。この欲深いモレル医師は己の野望のためにとんでもない治療を施すことになる。
ヒトラーとの出会いは1936年だった。
その年はベルリンオリンピックや、ヴァチカンとの対立が激化していたこともあって心労と疲労困憊だったというところか。ヒトラーはその年の秋頃から体調を壊しており、絶え間ない強烈な屁、胃痙攣、便秘、心臓の圧迫感に悩まされており、当時ドイツ医学会トップであるドイツ赤十字病院の院長に罹っていたが疲労と心労からくるもので一向に体調が回復することはなかった。
愛人のエヴァ・ブラウンは悩めるアドルフのために以前世話になっていたテオドール・モレルを紹介した。モレルの独自に調合した丸薬を服用したところ、ヒトラーの体調はたちまち回復。モレル医師はちゃっかり総統ヒトラーの主治医の地位を獲得することになる。
がしかし、これがとんでもない丸薬でストリキニーネという毒物が混入されていた。一種の興奮剤のようなもので、ブレーキのない暴走機関車状態になれるらしいんだけど、現在、日本では毒物及び劇物取締法により毒物に指定されている。
それにこの毒薬は中毒性依存性が高いもので、成人男性で30〜120mgで死に至るという。
これが正当な治療と言うのであれば、なぜ当時ドイツの医学界トップが同じ患者の同じ症状に対して使わなかったのか?
そう考えるとモレルは主治医の地位欲しさにかなり過激な治療をしたことになる。さらに想像を膨らませば、依存性の強い薬でヒトラーに首輪をつけようとしたとも考えられる。
テオドール・モレルの日記によれば、これ以来、ヒトラーは毎日、朝夕の2回「いつもの注射」をしていたことが判明している。
しかし、これはいわゆる薬物とは違い、ブドウ糖や、動物から抽出したホルモン剤を注射することで、エネルギー補給だったとか言われてるが真相は謎。
というのも1936年のベルリンオリンピック以来ドイツではテオドール・テムラー社がメタンフェタミンという、今でいうクリスタル・メスで知られる覚醒剤以上の魔薬を開発していた。
実は戦争中、この魔薬は日本でもヒロポンという名前で薬局で販売されていた。
ドイツではなんと、このメタンフェタミン入りのチョコなんかが普通に販売されており、人気商品だった。このメタンフェタミン入りの麻薬ペルビチンもこの時開発された。
効果は「活力がみなぎり、頭脳鮮明、性力増強」とか言われてたみたい。もちろんペルビチンはドイツ軍によって兵隊にも支給されていた。
消費量は年間3500万錠だったみたい。そんな世の中だったため、モレルが劇薬を投与してたとしも不思議ではない。
1943年、ナチスドイツの旗色が徐々に悪くなるにつれてヒトラーの体調も悪化していく。
1943年7月18日、ヒトラーは敗北寸前のイタリアのムッソリーニと会談して降伏ではなく、戦い続けるよう説得するつもりだったが、ひどい腹痛に襲われ、もはやベッドから立ち上がることもままならない状況となった。
モレル医師は正露丸ではなく、依存度の高いオキシコドンなる麻薬?劇薬を投与。
ヒトラーは当然のごとく、再び元気いっぱいになったとか。
この時、モレル医師の日記には「私の注射が歴史を変えた」とラリったコメントが書かれている。
依存性ゲキタカの劇薬だがヒトラーはその欲望に勝てる強い意志があったのか?
ヒトラーが摂取したオキシコドンはモルヒネの1.5倍の効果があり、脳を活性化させるらしい。実はヒトラーが初めて摂取してからたったの5ヶ月で2ダースのオキシコドンが消費されたと主治医モレル医師は日記に書き記している。
ちなみにモレル医師は各種製薬会社にかなり出資していたことも確認されており、ヒトラーは劇薬という鎖に繋がれていたという見方もできるわけなのよね。
1945年作成のアメリカ諜報員が作成した極秘資料の中で、医師モレルがヒトラーに投与し続けた薬品の一覧がある。
それには30種類を超える薬物治療で朝と夕方に毎日注射をしていたらしい。
それもコカインやそれ以上の中毒性の高いものばかりだったとか。ヒトラーは1943年辺りから明らかに薬物中毒に陥って衰えていた。映画『ヒトラー最後の12日間』という映画は最後までヒトラーの秘書を勤め、戦後も生き抜いた女性の証言を映画化したもので、当時ヒトラーの手が震えていたことが確認できる。
一部ではパーキンソン病だったのでは?ということも言われてはいるがどうだろうか。
実はベルリン爆撃でドイツ最大のテムラー社の製薬工場が爆撃されており、ヒトラーのおクスリが調達できなくなったことによる中毒症状が現れてたんじゃないかとも言われている。
ちなみに薬を調達できなくなったモレルは解雇され、1948年に病死している。モレル医師がヒトラーに劇薬を投与し続けたためにヒトラーの心の奥底に眠る悪魔が覚醒されていたとしたら、劇薬によって大きく歴史を歪めたことになる。
モレル医師の浅はかな治療がなければ、ナチスの残虐な黒歴史は1945年よりも早期に終結していたかもしれない。そう考えるとテオドール・モレル医師の、患者のためではなく、保身の為の治療は世界にとって致命的だったと言えるかもしれない。
ナチスの意外な真実ベスト3
・ ・ ・ ・ ・ ・
ここではナチスドイツの黒歴史の中で意外だなぁと思った事のベスト3を発表してみましょう。
3. ヴァチカンがナチス残党の南米逃亡を支援してた
確かにナチスの幹部達は1942年以降、旗色が悪くなってきた事から逃亡ルートを確保するため、地下組織を使って南米に逃亡してるのよ。アウシュヴィッツで人体実験したヨーゼフ・メンゲレ医師、ユダヤ人のジェノサイドを指揮したアドルフ・アイヒマンも南米で逮捕されてる。それにヒトラーの生存情報が公開されたCIAやFBIの極秘資料にあったりするのよ。その辺りの詳細に興味がある人は別記事があるのでそちらをチェック!
>> ヴァチカンがナチスのジェノサイドを批判できなかった理由
>> ヒトラーの最後は総統官邸地下壕で自決?生存説ミステリー
2. エロビデコーナーの洋物でいつもホコリをカブってる女看守もののAVは・・・実話でした
これにはびっくり。アウシュヴィッツ絶滅収容所には1942年以降女性が収容されるようになったんだけど、その女看守はナチスの黒歴史に埋もれてはいるが、強烈なサディスティックな歴史を残している。50万人のユダヤ人を煙突の煙に変えたマリア・マンデル女看守、健康体の女性囚人を麻酔薬の人体実験で86人も殺害した女医ヘルタ・オーバーホイザーなど黒歴史この上ない悪魔ではあるんだけど、それすらも使い魔に思えてしまう女看守がいた。”美しき猛獣” イルマ・グレーゼ。なんと鞭で乳房を切り落とした伝説があるんだけど、実はこの残忍な遺体を確認したという証言がある。ヴィトルト・ピレツキというポーランド人でアウシュヴィッツを潜入捜査してた英雄の報告書に記載されているのだ。他にも岩や犬を使った虐待行為や、ユダヤ人女囚人達が大勢の見守る中、レイプされる様を楽しんでいたという証言もある。詳細は別記事にしているので興味のある方はチェック
>> ナチスドイツの女性看守の拷問列伝ミステリー
1.ナチスはエロ本を出版していた
ヒトラーがユダヤ人を絶滅させようとしたのはゲルマン民族の最高位とされたアーリア人の血を汚し、失墜させた悪の根元としたからなんだけど、この「失墜させた」というところが実は意味が大きかったりする。
別記事に詳細をまとめてるので
深堀レポ記事 >> ヒトラーがユダヤ人をジェノサイドにした理由
当時、ドイツでは日本と同じ少子高齢化社会でした。
1933年ごろの出生率は1.4以下で危機的な状況だったの。
ところが、1964年は2.5まで回復。
実は女性の社会進出の政策は実はナチスが一番早かった。
女性アナウンサー、女性空軍大尉の輩出、いずれもナチスが世界初だった。これには裏事情があってね?当時ナチスドイツは深刻な労働力不足でもあった。なので女性にスポットが当たったっていう側面もあるみたいね?
なんだけど、それでも女性は家にいて、子を産んでくれ!っていうのがヒトラーの考え方だったみたい。
政策が面白いのよ。
新婚夫婦にナチスは無利子で結婚資金を貸し付けるんだけど、子供を1人産めば、借金の4分の1がチャラになったの。
4人産めば返済なしでよし!ってね。まぁ、わかるよ。子供をお金で買ってるみたいって批判はあるかもね?でもね?
これで人口増えるんだったらアリかもよ?お金の面で負担を軽減してあげようってのは今の日本でもあるじゃない。
出産に関わる費用は30万以上かな?保険で出るからお金がかからない。
しかし、ここからがナチスなのよ。
男性諸君!やる気が出ないと生まれるものも生まれないってのがエロってもんじゃない?
ナチスはそれすらも解決しようとするのよ。
どうです?この堅そうなケツ!
割り箸3本でも折れそうね?
親衛隊SS内部でホモが蔓延していたってのはこれを見る限り信じる以外にはなさそうな気がしません?
ナチスドイツが出版したエロ本でございます。
もちろん、ヒトラー公認!これこそがアーリア人至高のエロティシズムでございます。
これらはエロ本って言うよりも、実はアーリア人の肉体美を鑑賞するアート系写真集なるものでそういう目的ではなかったっぽい。ヒトラーもこれだけは後世に残したくない黒歴史だったでしょうね。
ナチス関連の映画&おすすめ本
映画:ヒトラー〜最後の12日間〜
ヒトラーの最後を見届けた専任秘書は90歳まで生き延びた。その女性の証言を忠実に再現した問題作。
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映画:Life is beautiful
コメディ映画の名作中の名作。何回見ても泣ける。強制収容所での必死に戦うパパの姿は忘れられない。最高の映画!
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書籍:私はガス室で特殊任務をしていた
アウシュヴィッツ絶滅収容所でガス室の特殊任務に従事し、奇跡的に生還したユダヤ人の体験記。生々しい記憶に戦慄が走ります。嘘偽りのない血みどろの真実がここにあります。
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書籍:アウシュヴィッツ潜入記
アウシュヴィッツに潜入してたという実在のスパイの報告書。収容所内が徐々に変化していく様がよくわかります。
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