カリスマ”総統ヒトラー”の実態はジャンキー?葬られた真実!

アドルフ・ヒトラーが素でカリスマを演じるには限界があった

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  1. “総統ヒトラー”というカリスマに呪われたジャンキー
  2. 不死身のカリスマ伝説崩壊の序曲、1944年7月20日
  3. 耳鼻咽喉科エルヴィン・ギージングの奇妙な治療
  4. ヒトラーを覚醒させた主治医テオドール・モレル
  5. 薬物の女王オイコダールにひれ伏すヒトラー

“総統ヒトラー”というカリスマに呪われたジャンキー


まさか、これがあの総統ヒトラー?
1944年夏以降、誰もがヒトラーを見て、絶望と驚愕をヒトラーへの敬意の影に隠した視線を投げかけていた。


不可能を可能にする英雄・・・

”圧倒的かつ、神秘的な超人” それこそが、1933年以来総統に就任したカリスマ、アドルフ・ヒトラーのイメージだった。

ドイツ国民は何かに取り憑かれたようにヒトラーから奏でる、情熱的で心踊る言葉に酔いしれた。
第一次世界大戦後の天文学的な賠償金、スーパーインフレなどによって絶望にうちひしがれたドイツ国民を経済的にも奇跡的な復興を成し遂げた超人!


これが当時のドイツ国民のアドルフ・ヒトラーに抱いた評価であった。
圧倒的なカリスマに、ヒトラーの視線の先にある野望に、希望を見出してた。

しかし、それは虚像の鏡に映ったヒトラーだった。


1944年7月20日、ある事件で大怪我を負ったヒトラーを診察した耳鼻咽喉科医学博士エルヴィン・ギージングは初めてヒトラーに面会した時の感想を書き残している。

多くの国民にとって超人的存在だったヒトラー

「”圧倒的かつ、神秘的な超人である”と聞いていたが、実際は顔は蒼白でいくらか浮腫んでおり、血が流れる両目の下には大きなたるみができていた。その目は報道されたような魅了する輝きはなかった。歳をとってもう使い物にならなくなった男性。残った力を振り絞ってなんとかやっていかなくてはならないといった感じだった。」

少なくとも彼の前に現れたヒトラーはあの力強い演説で国民を奮い立たせたカリスマとは程遠い存在に写ったようだ。
また、愛人エヴァ・ブラウンの日記にも気になる記述が残されている。

1944年夏と題されたその日記には次のように書かれている。

「あの人の不眠症は日に日に悪くなっている。見た目もすっかり変わってしまった。げっそりした顔が水牛のように見える。歩く時は猫背になっている。(省略)時々陽気になったりするけど、すぐさまふさぎ込む。」

エヴァ・ブラウンの日記より『1944年夏』

エヴァ・ブラウンがみたヒトラーは既にボロボロでカリスマ性は失われていた

一体、何がヒトラーを変えてしまったのか?
それには1944年7月20日に何が起こったのかを知る必要がある。


それはヒトラーにとって42回目の暗殺未遂事件であった。

不死身のカリスマ伝説崩壊の序曲、1944年7月20日

全ての人に好かれる人はいない。
なぜなら、全ての人に好かれるような人間が嫌いな人がいるから。

ヒトラーには政権奪取した1933年以前から多くの政敵がいて、個人、組織的犯行含め、42回の暗殺未遂事件があったらしい。

突如の予定変更、爆弾の動作不良など神がかり的な偶然で難を逃れており、一部学説では民衆に不死身伝説、不敗神話を作り出すためのヨーゼフ・ゲッべルスの演出ではないかとまで言われている。

余談だけど、ヨーゼフ・ゲッベルスのあまり知られていない事実をまとめた記事
第二次世界大戦時のナチス宣伝相ゲッベルスとBMWの秘事


なかなか殺せないヒトラーは暴力と陰謀によって政財界や国防軍にもナチス党の支持者を得た。

急増する支持者とは反対に、プロイセン王国以来の伝統を大事にする保守層には反ヒトラー派も存在していた。
そんな反ヒトラーの将校たちが結成した秘密結社的なグループをゲシュタポは「黒いオーケストラ」と読んでいた。


1941年以降のソ連侵攻の失敗で東からソ連の快進撃を受けて各地でドイツ国防軍は原型を留めない肉片化し、大敗北していた。
それだけではなく、1944年6月の英米軍のノルマンディー上陸以来、西からも攻められ、挟み撃ちとなったナチスドイツは窮地に陥っていた。


そんな中、妄想、ファンタジー的な戦略を推し進め、あくまでも敵を蹴散らそうとする総統ヒトラーを打倒し、英米と講和を結ぶため、1944年7月20日、黒いオーケストラによって決死のクーデターが決行された。

暗殺方法は、プラスチック爆弾を2個用意、起爆装置を作動させるスプリングを針金で締め付け、それを硫酸で10分間で溶かす時限装置を使い、爆発させる。

その爆弾を入れた鞄を実行犯の将校が持ち歩き、暗殺実行可能と判断したら爆弾入りの鞄をヒトラーの足元に設置して作動させる予定だった。


場所は、第二次世界大戦で東部戦線のドイツ国防軍の作戦行動を指導するため、現ポーランドのマズーリ湖沼地帯として知られるところでヴォルフスシャンツェ、狼の巣とも呼ばれていた。

東部戦線のナチスドイツの大本営ヴォルフスシャンツェ


ここにナチスドイツの総統大本営が設置され、戦況会議が開かれていた。
その戦況会議でヒトラーを爆死させるという計画だった。


7月20日午前7時頃、暗殺犯は飛行機で総統大本営に向かった。
暗殺決行予定の午後1時開催の作戦会議は、ムッソリーニ来訪のため30分繰り上がり、午後0時30分開催へと変更を告げられた。
午後0時32分、爆弾の起爆装置を作動させた鞄を持って、暗殺犯が会議場に入った時には、すでに会議は始まっていた。
午後0時37分頃、爆弾入り鞄を作戦会議場の巨大なテーブルの下に押し入れ、ベルリンへ電話をかける名目で会議場を後にした。
午後0時42分、轟音と共に爆弾は炸裂し、会議室は破壊され、一瞬うちに瓦礫の山となった。


ヒトラーの側にいた速記者ハインリヒ・ベルガーは両足が吹き飛び、ほぼ即死。
陸軍参謀本部作戦課長・総統副官ハインツ・ブラント大佐は片足を失い、空軍参謀総長ギュンター・コルテン大将は腹部に重傷を負い二人とも2日後に死亡。
総統副官のルドルフ・シュムント中将は、腰部の重傷で10月1日に死亡した。

側近くにいた4人とともに会議室の中央付近にいたヒトラーも出口まで爆風で吹き飛ばされていたが、なんと奇跡的に軽症で済んだ。

耳鼻科医エルヴィン・ギージングの『当職のヒトラー治療に関する報告書』によれば、

「地獄の業火のような閃光が走るのをはっきりと見た。私はすぐにこれは英国製の爆薬に違いないと考えた。」

とヒトラーは証言したという。

また「その後は猛烈な煙が出て何も見えなくなったが、その煙越しに何人か倒れてもがいているのが見えた。なんとか自力で立って歩くことができた。ただ、いくらか”めまい”がしてボ〜ッとしていた。」

7月20日事件の爆破直後の状況


すぐに別室へ運ばれたヒトラーの元に大急ぎで主治医テオドール・モレルが駆けつけた。
その時の様子を手記に残しているが、なんとも奇妙な記述となっている。


なんと数十個の破片が身体に突き刺さり、額からは流血、両耳からも出血して後頭部は大火傷を負っていたが、ヒトラーは不気味にも奇妙な笑みを浮かべていたとか。

両耳を負傷したことで呼ばれた耳鼻咽喉科医学博士エルヴィン・ギージングの報告書にもヒトラーの奇怪な証言が残されていた。

耳鼻咽喉科エルヴィン・ギージングの奇妙な治療


7月20日事件で鼓膜に損傷を負ったヒトラーは耳鼻咽喉科エルヴィン・ギージングの診察を受けた。
その時のやりとりが報告書で残されている。


鼓膜の再生を促すため、敏感な部位を酸を用いて処置。
わざと溶かすといったイメージか?
苦痛を伴うため、「閣下、少々痛みを伴います。我慢してください」的なことを言ったかもしれない。
がしかし、エルヴィン・ギージングは尋常でないくらいのヒトラーの無感覚ぶりに、静かに仰天したという。

ヒトラー曰く

「自分は痛みを全く感じない。なぜなら、そもそも痛みは弱き人間を強靭なものとするためにあるのだから」

『当職のヒトラー治療に関する報告書』エルヴィン・ギージング医学博士著

と言ったという。
不死身のヒトラー伝説とでも言いたいところだが、痛みはヒト科ホモ・サピエンスにはもちろん、誰でも存在している。
ちなみにネアンデルタール人は我々ホモ・サピエンスより痛みに敏感だったらしい。

カリスマ性にしがみつく英雄癖が治らないヒトラー

余談だけど、人間の起源についてレポ記事は以下からどうぞ
人間に進化はなく、異種交配?人間の起源とは?


なのでヒトラーも宇宙人ではなく、ヒト科ホモ・サピエンスである限りは痛みを伴ってる。
エルヴィン・ギージングにはヒトラーの奇怪な無感覚の原因が全く理解できなかった。


がしかし、実はヒトラーが麻痺しているには別の理由があった。
それこそ、主治医テオドール・モレルの密室の治療にその秘密があった。

エルヴィン・ギージングは主治医テオドール・モレルの治療法は知らさせれていなかった。

民間人でヒトラーの主治医という虎の威をかるモレルと、将校で軍医のエルヴィン・ギージングは仲が悪く、お互いの治療法の引き継ぎというか、情報交換はしていなかったようだ。

患者としてはこれ以上不安な状況はないと思うが、主治医テオドール・モレルは一切、ヒトラーへの治療については秘密主義を貫いていた。


何も知らされていないエルヴィン・ギージングは1944年7月22日〜10月7日までの75日間で、50回以上も治療を施している。
耳鼻咽頭部の痛みを麻痺させるためにあるものを鼻腔の粘膜表面に塗布した。

そのあるものとはコカインなのよ。

当時は今ほど麻酔薬が充実していなかったので薬局ならどこでもコカインを治療薬として購入できた。
実は1944年9月10日にヒトラーの暗殺未遂事件の傷自体は完治してた。

ということは実際もっと以前から痛みはもうなかったはず。
しかし、コカイン治療は継続されていた。

ヒトラーは慢性的な頭痛で、正常な思考の妨げになっていたことに悩まされていた。
そんな人間が総統なんだから、あんな黒歴史になったのかもしれないが・・・

コカイン中毒に陥っていたカリスマ


その頭痛を和らげるため、コカイン治療を継続していた。
鼻腔の粘膜に塗布したコカインは絶えず体内へと吸収され、血液循環に入るので、摂取量に注意すべきとヒトラーに忠告したとエルヴィン・ギージングは主張しているがどこまで本当かはわからない。

事実として75日間、ほぼ毎日コカイン治療していた。
1944年9月16日、コカインでハイになったヒトラーはドイツ人の血しぶきと肉片だらけの西部戦線にて英米に対して撤退ではなく、攻勢に転じる仰天作戦をぶちまけた。

軍の最高司令官たちがどうやって防戦すれば良いか?撤退方法は?などと頭を悩ましていた時期にである。
仰天したのは総統ヒトラーをコカイン中毒にしたエルヴィン・ギージングだった。

ヒトラーの依存症を断ち切るため、ギージングはコカイン治療を拒否した。

「今朝もまた、恐ろしい頭痛に襲われた。ドイツの未来、存続に関する憂慮で、毎日、身を削られる思いなのだ。」

『当職のヒトラー治療に関する報告書』エルヴィン・ギージング医学博士著

とヒトラーは訴えたという。
エルヴィン・ギージングはそれまでヒトラーに拒否されてきた、全身クマなく診察させることを条件にコカイン治療を再開すると約束。

1944年10月1日、ヒトラーはなんと全裸でエルヴィン・ギージングの前に姿を現した。

コカイン治療のため、屈辱の全裸診察を承諾したカリスマ

9月16日〜10月1日までの半月の禁断症状に苦しんだのだろう。
実は愛人エヴァ・ブラウンの日記から、ヒトラーは愛人とのセックス中も何かのコンプレックスのために全裸にならなかったことが判明している。
愛人エヴァをも見たことないヒトラーの全裸をギージングは見てしまったというわけだ。

実はこのショッキングなヒトラー全裸診察事件はエヴァ・ブラウンの日記で裏どりできた。
このエヴァ・ブラウン日記には、冒頭で紹介した1944年夏と題された箇所に加えて、気になる記述があった。

「とにかく、あの人が昨日の晩に味わった屈辱的な体験を早く忘れてくれるように・・・」

エヴァ・ブラウンの日記より「1944年夏」

いつでもどこでも簡単に人を抹殺可能な総統ヒトラーが屈辱を受ける?ってのはそうそうないと思う。
最大限の敬意と注意を払われる存在であるからね。


これはエルヴィン・ギージングの報告書の記述にあったヒトラー全裸診察の件に違いない。
エヴァはジャンキー化したヒトラーの変化を敏感に感じていたっぽい。

また、この後の出来事は衝撃なんだけど、ギージングはヒトラーの要望通り、鼻腔の粘膜にいつもより服用量を多めに塗布したという。

そのため、ヒトラーは意識がなくなって、しばらく呼吸不全の危機に陥ったと診察の報告書が残されてる。

なんと過剰摂取でお陀仏寸前までイってたっぽい。

そんなヒトラーは1944年10月7日以降、あっさりとコカインから手を引いている。
それはなぜか?死にかけてビビったか?
薬物依存から超人的な能力で脱出できたのか?

いやいや、そこに総統ヒトラーを注射という首輪でつなぐ主治医テオドール・モレルが存在していたからだ。

ヒトラーを覚醒させた主治医テオドール・モレル

己の利益のため、ヒトラーを悪魔に覚醒させた主治医テオドール・モレル


テオドール・モレル医師が、ナチスに入党したの理由は、浅黒い肌でよくユダヤ人に間違えられたためで政治的な思想を持っていたわけではなかった。

テオドール・モレルの医者としての希望とは、治療を受けた患者に笑顔が戻るだけではなく、気前より治療費を払ってくれて、しかも、また病気になって戻ってきてほしいことだった。


そのスパイラルを上手く生み出す戦術でテオドール・モレルは1933年当時、結構有名な医師となっていた。
テオドール・モレルはビタミン注射の分野でパイオニア的な存在となっていた。


生体が自ら作り出す事ができない、この目に見えない補助物質ビタミンは当時、まだそれほど効果が知られていなかった。
そのため、直接注射によるビタミン剤というのはかなり効果があったみたい。

1936年、ヒトラーは長年胃腸が不調でどの医者に見せても完治せず、悩ませていた。
そこで愛人のエヴァ・ブラウンがかつて世話になった、評判のテオドール・モレル医師を紹介したとか。


ヒトラーとテオドールモレルの関係は1936年から1945年の自決直前まで続いた。
なぜヒトラーは信用したかというと、健康よりも症状を抑え、総統業務を円滑にこなせれば、ヒトラー的にはよかった。

支援者や国民に「情熱的で、意気盛んなところ」を見せれたらよかったのだ。
また治療のために、その裏事情を、痛い腹を探られることを嫌ったヒトラーはまともな医師に、まともな治療をさせず、詳細な検査すらさせなかったらしい。

最後までヒトラーは主治医テオドール・モレルを信頼していた


それに引き換え、テオドール・モレルは錠剤を飲み、消化器官からその成分が血液に辿り着くよりも、直接注射したほうが効果は速いという医療方法だった。

つまり、時間のないヒトラーは注射するだけでよかった。
なんとヒトラーはテオドール・モレルが主治医となって以来、ほぼ毎日、朝晩、ありとあらゆる注射治療をおこなっていたことがわかっている。


初めは、ブドウ糖、動物系補助物質等の、今で言うサプリメントのようなものだったのは事実。
しかし、戦況とヒトラーの病状の悪化に伴って全く効果がなくなり、90以上の薬物が投与されたことがわかっている。

アンフェタミン、コカイン、メタンフェタミン、モルヒネ、ストリキニーネのような、現在法的に規制があるゲキ薬、それに不衛生な家畜の臓器から採取したタンパク質や脂質から作った自己開発のビタムルチンなるゲテモノホルモン剤を血液内でカクテルしていた。

余談だけど、主治医テオドール・モレルは「総統ヒトラーの主治医」という権威を利用し、東部戦線の新たなドイツ帝国領から、自己開発の怪しいホルモン製剤の原料となる不衛生な家畜の臓器を大量に運ばせてビタムルチン剤をヨーロッパ全土に販売していたらしい。
そんなテオドール・モレルの体臭は血生臭い、生ゴミのような匂いを発していたとか。

しかし、ヒトラーの体調は既にそんなまやかしのホルモン剤程度では回復しないほどボロボロ状態だった。主治医テオドール・モレルはついに依存性の最も強い薬物に手を出してしまうのだった。

薬物の女王オイコダールにひれ伏すヒトラー


1941年の対ソ連に敗北して以来、これら以上にかなり強い薬物に手を出しており、ゲキ薬オキシコドンを主成分とするオイコダールを頻繁に投与していたっぽい。

主治医テオドール・モレルは依存性の高い薬物をヒトラーに投与していた

1917年に市場投入された鎮痛・鎮咳剤とするこの麻酔薬オイコダールは天然物質アヘンに含まれる物質から合成された半合成麻薬。

現在ではがん治療のステージ3で登場する鎮痛剤である。
日本でもそうだが、イギリスでは、処方箋なしに保持している者は、最高で懲役7年または終身刑として罰せられるほど、厳重に法的な規制を伴う薬物である。

専門家の間では、「オイコダールこそ、薬物の女王」と言われた。

また、当時医者の間でも「女王」に身を投じてた者がいたほどである。
効き目はモルヒネの2倍で、多幸感をもたらし、効き目が速く、また強力だった。ヘロインをはるかに凌駕し、この女王に身を投じた者はたった数週間の服用で依存症という奴隷に朽ち果てるのみだったのだ。


エルヴィン・ギージングのコカイン治療を止めても、このオイコダールでカバーできていたというわけなのよ。
実は7月20日の暗殺未遂事件の日の朝11:15にヒトラーは主治医テオドール・モレルから「いつもの注射」を受けている。

おそらく、この時、オキシコドン、オイコダールを打ってた可能性が高い。
ヒトラーは無感覚であることを自慢していたが、そうではなく、麻酔薬オイコダールのおかげて痛みは麻痺していたのだ。

ヒトラーが初めて摂取してからたったの5ヶ月で2ダースのオキシコドンが消費されたと主治医テオドール・モレルの手記には記録がある。

自身の偏見で何百万ものユダヤ人をジェノサイドしたヒトラーだったが、主治医テオドール・モレルの開発した不衛生薬剤ビタムルチンのモルモットにされ、おまけに依存性の強い薬物でジャンキー化させられて首輪をしっかりつけられ振り回されていたというわけなのよね?
しかし、その代償は大きく、覚醒させられ、暴走したヒトラーはより悪魔的な政策を推し進め、ヨーロッパ中に悲鳴が飛び交い、歴史が血と悲哀の色にそまってしまったと感じずにはいられない。

オイコダールで正気を失い、変貌したカリスマ総統ヒトラー

こうして薬物のカクテル状態だったヒトラーは、魔法が解けて醜い老婆に変わるように、みるみるうちに容姿が変貌をとげ、ドイツ国民に希望を与えたカリスマ性は見る影もなくなってしまった。
ただ、人工的な快楽の世界で誰にも見えない、聞こえない国民の熱狂的な声援に酔いしれていた。
しかし、実際は熱狂的な声援でもなんでもなく、旧ソ連、英米の銃弾による恐怖と絶望、そして死体のような蒼白い肌に血の涙を流し、血の飛沫をもって叫ぶ何百万人ものユダヤ人による、カリスマへの憎悪の罵声だったのかもしれないね。

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