映画”八つ墓村”はおぞましい実話が基になっていたミステリー

“いじめ”なんてやめときな!強烈なしっぺ返しがあるから。実例をあげよう

「津山事件ってなにがあったの?」
「いじめは面白い!」

そんな方向けの記事になります。(2021/02/24 更新)

/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_

  1. 怒涛の銃声に狂乱した悲鳴が吹き飛ぶ大虐殺事件の真相
  2. 時代に置き去りにされた辺境の村
  3. 悪魔が来たりて銃砲が火を吹く
  4. 蜘蛛の巣のように絡み合う男女の欲情のもつれか?
  5. 呪わしい偶然が産んだ惨劇

/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_

怒涛の銃声に狂乱した悲鳴が吹き飛ぶ大虐殺事件の真相

“いじめ”が起きる時っていじめっ子といじめられっ子で大きな力の差が生まれるじゃない?
いじめられっ子が弱い子だと、いじめっ子は力が強い子で、いじめられっ子が強い子だと、いじめっ子は複数人いる。
残念ながらいじめられっ子が精神的に追い詰められて自殺するケースが多いよね?
昭和初期のある小さな村でね、村人全員がたった1人の男をいじめた事件があったの。
そのいじめられっ子はとっても弱かったんだけど、猟銃と散弾銃を手にしたことから一変!
村に暗雲が覆う深夜、いつもなら鈴虫の音を聴きながら、すやすやと眠りに着く頃なんだけど、その日、銃声と血しぶき、肉片が飛び散る惨劇事件の幕があけた・・・

おぞましい大虐殺事件、津山事件の幕が切って落とされた
津山事件の幕があく・・・

時代に置き去りにされた辺境の村

古い日本の奇習が残る人里離れた辺境の村で、日本中が血の気がひく大虐殺事件が発生したのよ。
日本史に残るこの大量惨殺事件の犯人、都井睦雄は、1917年3月5日、岡山県の山間部になる小さな村で生まれた。
生まれながらにして幸せな人もいれば、その逆もまたありということで、都井睦雄は2歳で父を肺結核で、3歳で母を同じく肺結核で亡くして祖母と暮らしていた。
とはいえ、都井家はちょっとした資産家だったそうで、周囲に比べれば、楽に生活していたみたい。
都井睦雄は学業を嫌い、徐々に同年代の人間とも関わらなくなり、 今でいうニート状態になっていたらしい。
また1937年にうけた徴兵検査で、結核が判明したことが都井睦雄の行き先に暗雲が立ち込める結果となったのよ。
当時の日本社会では国に貢献できない男子は差別の対象となってた。
それに結核という病気は当時不治の病とされ、これもまた差別の対象となっていたの。

治らない病気をうつされたらたまらん!近寄ってくんなぁ!あっちいけ!

(辺境の村人その1)

小さな村で徴兵不合格となって、さらに結核が判明した都井睦雄の噂が広まり、陰口や差別で彼の自尊心は崩壊し、周囲に対して恨みを抱くようになっていったっぽい。
1938年の事件発生2か月前、ひとつの事件が起こった。
それは彼の祖母が孫である都井睦雄に毒殺されかけたと大騒ぎして警察へ駆け込んだ。
都井睦雄が祖母の味噌汁に薬を混ぜるところを祖母自身が目撃した証言したの。 都井睦雄はこのことで警察から家宅捜索を受け、彼の自宅からは多数の武器が押収された。
だけど実際のところ、都井睦雄は祖母のために彼が常用している胃腸薬を、 飲ませようとしただけでした。

そこは身内だったら信じてあげようよね!婆ちゃん?

しかし2歳から世話になっている祖母を毒殺しようとした悪人と周囲が噂したことは言うまでもない。

おいおい、世話になった婆さんを毒殺だってよ!おっかないわぁ!よってくんな!

(辺境の村人その2)

さて、おぞましい大虐殺事件を起こした都井睦雄がどういった犯行に及んだのか?

悪魔が来たりて銃砲が火を吹く

1938年5月21日深夜1時40分ごろ、詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、 頭にははちまきを締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえつけた。
首からは自転車用のナショナルランプを提げ、腰には日本刀一振りと短刀を二振り、 手には改造した9連発ブローニング猟銃を持った、鬼の形相の都井氏が出現。
まずその血走った目は自身を毒殺犯だと言いふらした祖母に向けられた。
なんと都井睦雄は就寝中の祖母の首を斧で刎ねて即死させる。
そして隣の家に侵入し、寝ている妻の股に散弾銃を突きつけ、ぶっ放して即死!その子供と夫も散弾銃の餌食に。
続けざまに2軒目に侵入し、妻とその娘2名を殺害。
3軒目に突入、夫婦を殺害し、畑仕事を手伝いに来ていた親戚にも発砲し、重傷。

日本史に残る題虐殺事件、津山事件の犯人都井睦雄が虐殺当時のスタイルを再現した
都井睦雄の殺人鬼スタイル

4軒目は、夫婦と長男、5女、6女の4名が絶命。
娘2人の胸には大きな散弾銃の穴が空いた身の毛もよだつ、恐ろしげな死に様だったとか。
4女が5軒目に逃げ込んだので返り血と肉片まみれの都井睦雄も雄叫びをあげながら突撃。
その家の旦那を至近距離から射殺。
4軒目の4女は床下に逃げ込み、負傷だけですんだ。
6軒目、 その家の主人とその母親を殺害。
7軒目、その家の妻と2人の娘を殺害。
ご主人は都井睦雄の悪口を言わなかったということで難を逃れた。
8軒目、その家のご主人は隣町まで逃走し、第一通報者となる。
しかし彼の妹、母親は殺害された。
9軒目、その家の妻と両親、子供を殺害。10軒目は何が起きているか雨戸をあけて外を覗いていた妻が射殺。
11軒目、夫婦を殺害。犯行時間は1時間半で死者30名、重傷者多数というとんでもない大量虐殺事件となった。
この犠牲者をみてみると、 犯人が女性に深く恨みを持っていたようね。

蜘蛛の巣のように絡み合う男女の欲情のもつれか?

大虐殺事件の原因となったは夜這いによる男女の複雑に絡み合った欲情のもつれか
欲情のもつれ

なぜこれほどまでに女性をうらんでいたのか?
実はこの岡山県の山間部では当時まだ、夜這いという風習が残っていたと当時から言われてる。
夜這いとは江戸時代までは普通にあったことで、 珍しいことではなかった。
村のチェリーくんたちの筆下ろしは当時、風俗街デビューするか?夜這いでした。
夜這いは今で言うと飛び込み営業のようなもので、 村の仲間たちが大体目星をつけており、それを頼りに夜這いしたようです。
狙われたのは嫁に行き遅れた年増か、未亡人でした。
この事件では嫁入り前の女性と複数関係があったっぽいね。
明治維新後、近代化を目指した明治政府が民度改革の一環で禁止し、都市部ではそれに伴い風俗街などが発展したこともあり、 徐々にそういった悪習はなくなっていったんだけど、山間部の、時代に置き去りにされた小さな村などではまだ昭和初期ではまだ残っていたの。
だけど、この事件の生存者はこの村に、 そのような夜這いはなかったと証言してるんだけどね。
夜這いの習慣があったとすると村自体の恥となるため、公にはできなかった事情はあったのでは?と思うと、 その言葉通りには受け取れないところだね。
都井睦雄がある程度生活に困らない程度の資産があったことからも、あり得ない話ではないんじゃないかと思っている。
だけど、徴兵検査で不合格、結核が判明したことでこれまで関係のあった女性たちが、 一気に離れていったという裏事情があったのではないか?
結核は感染するし、当時は不治の病だったため、まぁ当然そうなるよね。
都井睦雄と関係があったとされる女性はかなり残忍なやり口で惨殺されてる。
相当恨みがあったというのがそこからも読み取れるくらい。
彼の遺書には二人の女性と一人の女たらしが登場する。
2人の女性のうちのひとりが寺元ゆり子。
彼女は事件の4か月前、都井睦雄の夜這いにあったそう。
でも当時彼女は別の男性と結婚していたので、これが原因で離婚に至っていることからも未遂で終わっていなかったことが伺える。
でも彼女はすぐに別の男性と結婚して村を離れていった。
そのため都井睦雄の業火のごとき片思いだったとも言われてるんだけど、じつは、都井睦雄と寺元ゆり子は 婚約してた。
しかし悪魔の結核が発覚して解消となり、彼女は早々に、逃げるように別の男性と結婚してしまったの。
都井睦雄の心が氷結し、漆黒の闇でさまよう小鳥のように彼女を失った恐怖に震え、何も見えなくなっていったに違いない・・・

呪わしい偶然が産んだ惨劇

大虐殺事件の引き金となったのは偶然の産物だっった
大虐殺事件は偶然が引き起こした悲劇

未練があった都井睦雄は夜這いをかけたということのようね。
もう一人の女性は、西山良子で彼女も都井睦雄と関係していたが他の村へ嫁にでたのを恨んでいたようね。
彼女もこの事件で殺害された。
遺書にははっきり、「寺元ゆり子を逃がした」と書いているので最初から2人とも殺害する予定だったみたい。
この2人の女性がたまたま事件当日、里帰りしていたことが多くの血が流れた呪わしい偶然だったの。
また多くの女性被害者を出したのは寺元倉一というお金持ちのイケメンが原因だった。
都井睦雄の遺書では「あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらってこの村でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない」と書いてる。 だけど、肝心のその女たらしは逃げられて殺害には至らず、八つ当たりというか、お金持ちのイケメンにホイホイついていった女性たちの体に猟銃と散弾銃で大きな風穴をあけられる結果となった。
2011年頃まで生存が確認されていた寺元ゆり子のインタビューでは「都井睦雄は結核で村全体から避けられていた。
彼が道を通っているとみんな、 その道を避けていた」と、また「いろんな村人から都井睦雄は結核だから避けろと忠告された」と証言してる。
事件後、都井睦雄は猟銃自殺した。
寺元ゆり子は、当時この大虐殺事件の原因を作った張本人と言われ、針山に座するが如く、つらい時間を過ごしたみたいよ。
また彼女は事件から半年後に女の子を出産し、 なんと都井睦雄の子ではないかと噂されていたとか・・・
こんな小説のような事件が本当にあったのよね。
この都井睦雄の大虐殺事件はあの横溝正史の【八つ墓村】のモデルとなった事件でした。

映画よりも横溝正史は小説が一番面白い! 興味ある人は是非是非 →八つ墓村

“いじめ”はやめた方がいいよ。
良い結果に終わることがないから。
ちょっと、からかっただけだったかもしれない。
何気ない言葉でその人の心をグサグサ刺し殺してる可能性がある。
音もないし、血も出ないよ。でもその傷が癒されることはない。
もうどうにもならない臨界に到達したとき、こういった大虐殺事件が発生した。
もし一言だけでも相手を思いやる言葉があったら、そこに流れてたのは凍る様な血の海ではなく、笑顔溢れる楽しい友達との思い出の時間だったかもしれないね

ホーム » 映画 » 映画”八つ墓村”はおぞましい実話が基になっていたミステリー

おすすめ記事