未解決事件!ディアトロフ峠のフシギな惨劇の真相

ただの雪山遭難事故のはずなのになぜ機密扱いなの?

「ディアトロフ峠事件って何?」
「ディアトロフ峠で何が起こったの?」

そういった疑問を持つ方に向けた記事になります。(2021/11/19 更新)

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  1. 未解決事件!ディアトロフ峠のフシギな惨劇の真相
  2. ディアトロフ峠事件の不可解な捜査報告書
  3. ディアトロフ峠でUFO目撃
  4. 救助隊の不可解な発見経緯
  5. フシギな遺体
  6. 漆黒の闇に包まれたディアトロフ峠

未解決事件!ディアトロフ峠のフシギな惨劇の真相


2018年5月21日、超難関コースのエベレスト南西壁から下山中に滑落して登山家栗城史多氏は帰らぬ人となった。

凍傷で大きな傷を追いながらエベレストと闘う姿は印象的でした。
この遭難事故は日本で機密扱いされてる?

いやいやされないよね?
だけど、ディアトロフ峠事件は奇怪なことに、機密扱いとなっていたの。
1959年2月2日、大学生やそのOB達、男女9人が旧ソ連のスヴェルドロフスク州のウラル山脈北東部、オトルテン山麓の登頂を目指してた。


だけど登頂前に9人全員が謎の変死で発見された奇妙でゾッとする未解決事件なの。

そのハイカー一行が遭難した事故の捜査報告書はなんとソ連でなぜか機密扱いとなったのよ。

それでね、2019年2月、ロシア最高検察庁が、ただの遭難事故のはずのディアトロフ峠事件を再調査したと発表した。
それも1959年の数ページ隠蔽された報告書に基づいた自然現象の方向で再調査を進めて、犯罪性は全くないってあらためて言うのよね?


なんだ?
それだと「隠蔽します。これ以上調査しないでね!」って言ってるようなもんだよね?

ディアトロフってのは今は地名だけど、元々この9人のハイカーグループの隊長してた人の名前なのよ。
2019年2月の報告書ではディアトロフは素人登山家扱いされる。

だけど、この9人のパーティのうち、少なくともディアトロフを含む3名は経験豊富なベテランハイカーだったのね。

にもかかわらず、通常、考えられないくらいの異様な惨劇だったのよね・・・
マイナス30度の極寒の中、9人を襲った悲劇の未解決事件。一体、何が起こっていたのか?

少しづつ状況がわかってきたのよね。

ディアトロフ峠でキャップしたディアトロフ達のテント
救助隊が発見したディアトロフ達のテント

ディアトロフ峠事件の不可解な捜査報告書


1959年1月、10名のパーティはオトルテン山麓の登頂を目指して出発!
オトルテンってのは「足を踏み入れてはならない」って意味らしい。


そんな戦慄をおぼえるような不気味な名前がつくほど、危険な山だった。
途中で1名だけ体調不良になってね、下山したの。

出発してから10日たった2月1日、事件現場となった場所に到着したの。

そこは地元住民では「死の山」と呼ばれる場所だった。
そこは傾斜が15度から20度程度の緩やかな斜面になってて、雪崩は絶対にない場所だったの。


雪崩って傾斜30度以上必要なんだって。
そこはベテランハイカーのディアトロフが指示したんだろうね。


ディアトロフ達は2月12日にオトルテン山麓の登頂の連絡をスポーツセンターに入れる予定だったの。
だけど数日経っても連絡はなく、段々と怪しい霧が立ち込めていった。


不安に襲われた家族が大学側へ連絡を入れて大規模な救助活動が開始された。
それが2月16日なのね。

救助隊はもちろんディアトロフ達がどこでキャンプしてるのかは知らない。
ヘリから降りた救助隊は2月26日にディアトロフ達のテントを発見。


なんだけどテントはなぜか内側からナイフで引き裂かれてたのよ。


2月27日にテントから1.5km離れた場所で、雪に埋もれた死体を発見。
それに奇妙なことに一列に並ぶようにして5人が倒れてたの。

最終的に発見された9人全員が、防寒具を一切身につけていない裸同然の死体だったのよ。
極寒のマイナス30度でよ?変でしょ?

捜索隊はそんな変死体を見て、得体の知れぬ妖気と恐怖に襲われていた



最初に発見した救助隊の2名は「偽装工作なんじゃ?」と疑惑の視線を投げかけていた。
それほど不可解なくらい綺麗に並んでたのよね?


残りの4名は?っていうと2ヶ月後の5月に入ってようやく発見された。
溶けた雪の中に埋まってたみたいで。


でね?不可解なのはこの事件の報告書なの。
捜査開始日付がなんと1959年2月6日になってんのよ。


ディアトロフ一行の大学内での友人、親がおかしいと気づいて捜査本部が設置されたのが1959年2月16日なのに。
旧ソ連の警察は、この未解決事件の当事者家族、友人関係者よりも10日も早く異変に気づいていたことになる。


書き間違いじゃないのよ。
報告書の全編通して捜査日付は2月6日になってるから認識した上でのことなのよ。

ディアトロフ峠でUFO目撃


ディアトロフ達に何かあった日が2月1日から2日の深夜にかけて。

だけど、ちょうどオトルテン山麓の登頂を目指した別チームが50km先にいたんだけど、彼らは点滅する明るく白い光のボールを見たって証言を残している。

怪しい報告書にも多数の目撃者がいた事が書かれてる。
それにディアトロフ達が写真をとってんのよ。


光のぼやけた写真になってんだけど、よくある不明確なUFO目撃写真のようなものね。
それもそれがディアトロフ一行が持っていたカメラに写っていた最後の写真だったのよね。

UFOに攻撃されたってのはあり得るか?
実は現場周辺や、一部の遺体から信じられないくらいの放射線量が検出されてる。
それもかなりの異常値なのよ。

このディアトロフ峠の未解決事件がなぜ有名なのか?というとこれなのよ。
UFOや宇宙人に攻撃されたんじゃないか?って説もあるのよ。

まぁ、なんで普通の遭難事故で
放射線量なんて測ってんの?って
ドデカい疑問があるんだけど。

UFOが目撃される場所って核兵器の格納場所とか結構あるのよね?
レンデルシャムの森でUFOが着陸した事件も、当時レンデルシャム近くの空軍基地はアメリカ軍が使用していて、核兵器格納庫があった場所でもあるのよ。

レンデルシャムの森事件については詳しい記事あるからどうぞ!
レンデルシャムの森事件

このディアトロフ峠の場所ってのも実は近くにノーバヤゼムリャ北極圏基地ってのがあってアメリカとの冷戦時代だから、近くで核実験やミサイル実験なんかがよく実施されていた場所でもあったの。


だからこのディアトロフ峠周辺はUFO目撃事件が結構、当時からあって珍しい事変でもなかったのよ。

捜査担当してたのは殺人課のレフ・イワノフ捜査官なんだけど、彼、死ぬまで

「彼らはUFOに攻撃された!この事件にはUFOが関連している」

と言い続けたらしいの。
まぁ、こんなBlogやってるくらいだから、私は嫌いじゃないけどね。


でね?私が思うには、彼かなりのオカルト好きだったからこの辺りが出没地帯だって知ってたと思うのよ。

それで彼の独断で放射線量なんか測量したんじゃないか?って思うのよね?
UFOが攻撃したかどうかはわからないけど、この事件は実際最初から何か変なのよね・・・

ディアトロフ峠事件でUFOだと言われる写真
ディアトロフ達が撮影した最後の写真

救助隊の不可解な発見経緯


ディアトロフ一行が事件に巻き込まれたのは2月2日ね。

救助隊がヘリで現場周辺に到着したのは大体2月23日。
そこから捜索を開始して、ディアトロフ一行のスキーの跡を発見したらしい。


その跡を辿っていくとテントを発見したとか。
私は雪山を1人で歩いた事があるんだけど、たった30分くらいね。


だけど雪の上の足跡ってびっくりするくらいすぐにわからなくなるのよ。
自分がどこからきたのか?


足跡見ればわかるって簡単に思ってたんだけど、はっきりと顔面蒼白になってるのが自分でもわかった。
全くわからなくなったから。


事件発生から20日以上経った雪山で、しかもマイナス30度っていう地獄でスキー跡が残ってるもんだろうか?

でね、そもそも第一発見者になった救助隊2名の証言では、案内人がいてなぜかすぐ近くまで案内されてたんだって。


それになぜ救助隊を乗せたヘリが発見されていないはずのテント近くまでこれたのかが素朴な疑問だって。
彼らに言わせれば、第一発見者にさせられたってのが正しいみたいね。


もっとわからないのはテントの中なんだけど、防寒具や靴がそのままで人だけいないの。
マイナス30度の世界で防寒具なしは自殺行為だよね?

しかもテントの内側から引き裂かれてたってのも不気味すぎる。
テントは命綱のようなものだしね。防寒できないと死ぬしかないしね。


実はそれだけではなく、ディアトロフ達の所持品ではないものが残されていたことも判明している。


スキーのストックが1本、中国製のランプが1個、それにアルコールが入ったソ連軍用水筒1個。

これらはディアトロフ達の所持品リストにはないものだったの。
ということは第3者の誰かがここにいたことになるのよ。


ただ、ディアトロフ達が生真面目にリスト通りに物を用意してたか?っていうとそれも疑問で楽しい旅行みたいなもんだし、アルコールくらい持っててもおかしくないけどね。


そしてディアトロフ峠の未解決事件最大のミステリーは9体の遺体なんだよね・・・

フシギな遺体

雪に埋もれていたディアトロフ達
掘り返えして発見されたディアトロフ一行の死体

ディアトロフ峠で発見されたテントから1.5km先に5体が薄気味悪いほど一列に綺麗に並んだ状態で凍死してた。

それもうち3体はテントの方向へ向いて死んでたの。
それに防寒具なしで靴下だけとか、裸足の者もいた。


それに下着だけで凍死してた者もいた。
実は低体温症になると服を脱ぎ出す異常行動をとる事があるんだって。


人間は体温が34度以下になると内臓機能を維持するために急激に体温を確保しようとするらしいいのよ。
そのため、体温が上昇して 暑いと勘違いする。
そうなると温度調節の機能が麻痺してるようで、たった1時間ほどで異常行動をとるようになるだって。


極寒のマイナス30度の世界で、防寒具なしは命がないことくらい私でもわかる。

当然ベテランハイカー3名もいたディアトロフ達が理解出来なかった訳が無い。
それにもかかわらず裸同然でテントから逃げ出したのはなぜなのか?


凍死した5名の場所からさらに75m先の崖下に4名の遺体があった。


1人は頭部に殴られたような陥没損傷があり、1人は肋骨がバラバラで内臓に突き刺さった、1人は折れた肋骨が心臓に、4体とも衝撃的な死体だったんだけど、いずれも車に吹き飛ばされたほどの損傷だったと。

また1人は眼球と舌が消失しているという戦慄が背筋を貫くほどの醜怪な遺体だった。

このディアトロフ峠の未解決事件でUFO攻撃説がある理由がこの奇妙すぎる遺体なのよね。


これだけだと地球外生命体がサンプルに採取していったのか?
と私好みに解釈したくなるんだけど、残念ながらそうではないっぽい。

眼球と舌が水に触れた部分だったので腐敗と分解が早かった事がわかってるのよ。

ただこれら損傷が原因でディアトロフ達は死んだのか?
死んでから損傷したのかは不明なんだよね?


1959年2月2日の深夜、一体ディアトロフ峠で何があったのか?

漆黒の闇に包まれたディアトロフ峠


ベテランハイカーだったディアトロフは当然雪山には慣れていた。
それにオトルテン山麓は初めてでもなかった。


そんな彼らが命綱に等しいテントを内側から引き裂き、防寒具一切身に付けず、靴下や裸足で何から逃走したのか?
一部ではヘアピン渦が発生したことによるパニックとか言われている。


なだらかな斜面が災いしてヘアピン渦が発生すると、そのヘアピン渦が生み出す超低周波でまるで電車が迫るくらいの轟音と振動が発生するんだって。


それによってディアトロフ達は恐怖によるパニック状態となって飛び出したって意見がある。


ただねぇ、それだけだと防寒具を身に着ける余裕はあったはずなのよ。
雪山経験豊富のリーダーが3人もいたのに、強風くらいでディアトロフ達がパニクる?


あんな死にかたをするにはもっと意外で、想定外の事故に遭遇してしまい、防寒具を身に着ける時間すらないくらいの危機を感じたはずなのよ。


例えば、夜中、全員が寝袋で寝てたところに、爆音と共に雪でテントが押し潰されたとしたらどうだろうか?

「な、雪崩ダァ!逃げろ」

救助隊によって発見されたディアトロフ達のテント
発見直後に撮影されたディアトロフ達のテント

寝起きのもうろうとした意識の中で叫ばれたら、パニクるよね?


驚くディアトロフ達は生き埋めになるという恐怖心から、テントを内側から引き裂いて外へ逃げる。
雪崩だと思ってるから一目散にあと先考えず全力で走ったんじゃないか?


だから、防寒具なんて考えてる暇はなかった・・・


そして足が早かった3名は逃げ過ぎて、5名が死んだエリアからさらに75m先まで走ってた。
その分厚い雪の下が渓谷になっていたのに気づかずに。

1959年5月になってようやく発見された渓谷に転落死したディアトロフ達
渓谷で見つかったディアトロフ一行

3名は渓谷から転落して即死!

・・・しかし、雪崩はなかった

なぜなら、テントが流されてないから。
だけどなぜか大量の雪でテントが潰されたので「雪崩と勘違いした」ってのはどうだろう?


テントの1.5km先から少なくとも6名は雪崩の様子を確認しようとしていた。
ディアトロフを含む6名は何かおかしいことに気がついたんでしょう。


それだけじゃない、6名のうちの1人は木の上に登った形跡があるのよ。
テントから一番近い木の幹に血液が付着してたんだって。


木の上に登って何を見たかったのか?
嵐でディアトロフ達はテントの位置を見失ったという説もあるけどそれは違うと思う。

だってテント近くで死んだ3名はいずれもテントに向かって進みながら死んでるから、ディアトロフ達がテントの方向を認識していたのは確実。


では木の上で何を探していたのか?

たぶん、ディアトロフを含む6名は先に走って行ってしまって、見失った3名を探していたのではないか?

見失ってたんだよ、たぶん。


その頃既に渓谷に転落して死んでたんだけど知らなかった。
そうこうしてるうちに木の下にいた6名のうち2名が既に凍死。


生き残り4名の中の1人、リューダが先に死んだ仲間の衣服を自分の足に巻き付け、3名を探すために後を追った可能性がある。


なぜリーダのディアトロフではなく、女性1人に後を追わせたのか?って疑問になるんだけど、たぶん、防寒具の違いがあったと思う。


テントの中は7名男性、2名女性なのよ。
女性だから、薄着でいるわけにはいかないのよ。


だから男性よりも最初から着込んでた。
薄着だった男性メンバよりも女性のリューダは元気だった可能性がある。

だけど結局、3名と同じく見えない渓谷へ無情にも吸い込まれて転落死。
残ったディアトロフを含む3名は木のそばにしばらくいたみたい。
焚き火した跡が残ってたみたいなのよ

ディアトロフ達の焚き火の跡
ディアトロフ達が焚き火した跡

だけど3名は極寒のマイナス30度の中、既に風前の灯火状態だった。


行方がわからない3名と探しに行った1名を待つ事ができず、テントに引き返すことを決めた。
だけど既に体力がなく、誰もテントにたどり着く事は出来なかった・・・

ディアトロフ峠事件の全体図
ディアトロフ達が死に絶えた全体図


死体の位置関係、状況を整理するとこういったストーリーが見えてくるんだけど、問題は、テントを半分潰すほどの雪が雪崩もないのにどうやって降り注いだのかっていうのが謎だよね?

実はミサイルが近郊に落ちた可能性があるのよね?
事件当日、UFOと思われる光の物体をみたって目撃証言があったけど、この日、2機の爆撃機が事件現場を飛行した事が軍関係資料から判明してる。


その爆撃機の乗員がパラシュート爆弾の投下実験をやったと暴露してる。
しかもディアトロフ峠の周辺から爆弾の一部が発見されてるのよ。


おそらく、爆音と吹き飛んだ雪がテントを潰したんだと思う。
それを雪崩と勘違いした。


実はこれが真相なんじゃないかと思えるのよね?
だから自然災害はあり得ない。


それだとなぜ旧ソ連政府が機密扱いにしたのか?
なぜ遭難事故発覚の1週間も前に捜査開始されてんのかが説明出来ない。


親や友人が気づく前に調査できたのは加害者が報告したからよ。
つまり、パラシュート爆弾の演習をしていた爆撃機の乗員は逃げ惑うディアトロフ達を目撃したのかもしれない。


それでもまだ釈然としないものがある。
ディアトロフ達の遺体は雪を掘り返して発見されてるのよね?


それだけ事件が発生してから雪が降ってるんだけど、ディアトロフ達のテントまでスキー跡が残ってたこと、テントの周りに足跡や裸足の跡が残ってたことがなんか気持ち悪いんだよね?

残ってるもんなんだろうか?
ディアトロフ達は雪で覆われ、雪の上の足跡はそのまま?


逃げ出したディアトロフ達が全員死んでしまうまでのストーリーはなんとなく見えた感があるんだけど、なぜ逃げるほどパニクったのか?

そこにやはり旧ソ連政府が隠蔽せざるを得なかった何かがあったんだと思う。
ディアトロフ達に何があったんだろうね?

ディアトロフ一行と別れるメンバ
途中で下山したメンバ、最後の抱擁
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