勝利すれば死刑執行!ナチスに脅された?フシギな話

映画『勝利への脱出』の題材ともなった実話!?

「伝説のスタルトチームって何?」
「勝利したら処刑って脅されサッカーチームがあったの?」

こんな疑問を持つ方向けの記事になります。(2020/09/4 更新)

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  1. 勝利すれば死刑執行!ナチスに脅されたフシギな話
  2. ナチスのバルバロッサ作戦
  3. パン屋チーム結成
  4. キエフ市民の希望
  5. 実は衝撃の事実が・・・

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勝利すれば死刑執行!ナチスに脅されたフシギな話

もし勝ったら、死刑にすると脅されたら、あなたは勝ちたいと思わないよね?
もし勝利を譲れば、100万円やるって言われたら、絶対負けるよね?
それがまぁ、普通だと思うんだけど、世界の歴史を見渡してみると、時々、真逆の事、チョット支配者に逆らってやろうかって奴がいるみたいなんだよね?
実はこれから話すストーリーって映画『勝利への脱出』にもなったんだよね。
サッカーの試合で残酷な事件といえば、1994年、アメリカ・ワールドカップの決勝トーナメント1回戦カメルーンvsコロンビア。覚えてる?
コロンビアのエスコバル選手がオウンゴールしてしまい、負けちまったのよね?
帰国したエスコバル選手は「オウンゴールありがとう!」と言われて12発の銃弾を浴び、蜂の巣にされた。
あと、1985年、サポーター同士の暴力行為から群衆事故となり、400名の死傷者を出した「ヘイゼルの悲劇」など有名なんだけど、第二次世界大戦の1942年、その悲劇は起きたのね?
1942年8月6日、3日後の8月9日の2試合なんだけど、ナチスドイツ空軍vsスタントのサッカー試合が開催されたの。
2試合ともスタルトチームが勝利して、なんとスタルトチームはゲシュタポに逮捕され、全員処刑されてしまった!
となってるんだけど・・・ただのサッカーの親善試合ではないのよね?これ。
この前年大きな悲劇があったのよ。観客は泣いてスタントチームの勝利に歓喜したらしいんだけど・・

ナチスのバルバロッサ作戦

1941年8月、ナチスドイツはバルバロッサ作戦を開始し、旧ソ連へ武力侵攻。
今のウクライナのキエフ近郊に迫っていた。
旧ソ連軍はキエフ近郊に85万人の兵を集結させ、ナチス侵攻を食い止めようとした。
実はこの時、モスクワにとってナチスドイツの侵攻は予想外だったため、またナチスドイツの電撃作戦の勢いは凄まじく、戦争準備にもう少し時間が必要だったの。
ナチスドイツはこの85万人の旧ソ連兵を完全包囲し、大虐殺が開始された。
なんと4ヶ月でキエフは陥落したんだけど、その間、70万人もの犠牲者を出したと言われている。
占領したキエフでは、ユダヤ人、共産主義者、民族主義者、精神障害者、ナチスに対して敵対的な行動をとった市民などはナチスドイツの悪名高い移動虐殺部隊アインザッツグルッペンによって「バビ・ヤール」という渓谷に集められて、次々と銃殺刑でさらに3万人以上の大虐殺をやってのけた。
もちろん、ほとんどのキエフ市民はナチスドイツによって強制労働を強いられ、いつ死んでもおかしくない状況だった。
いや死んだ方が楽だったかもしれない。
長時間の強制労働はもちろん、キエフ市民の不満となって蓄積されていくわけよ。
そこでナチスドイツはガス抜きを考えつくのよね?

パン屋チーム結成

ナチスドイツは、占領地キエフの市民のガス抜きのため、サッカー大会を開催することにしたの。
キエフでは元々サッカーは根強い人気で、地元にはディナモ・キエフっていう強豪チームがいたのよ。
1941年終わりごろ、ナチスドイツは占領下キエフでスポーツ組織やクラブチームを解散、廃止させていた。
そこで1942年初めから、新たな組織とチームを立ち上げようとしたの。
ドイツ系が立ち上げたサッカーチームもあって強豪のディナモ・キエフから優秀のプレーヤーをスカウトしようとしたみたいだけど、みんなサッカーよりも家族を養える、食い扶持を確保できそうなパン屋の仕事に着いていたのよ。
そこでパン屋でチームを作ろうってことになり、FCスタルトという市民チームができたのよね?

キエフ市民の希望

歓喜するスタルトちーむとキエフ市民のイメージ

パン屋チームのスタルトなんだけど、メンバは元強豪チームディナモ・キエフの一流メンバーで、大会はスタルトチームの快進撃だった。
ハンガリーチームや、ドイツ国鉄チームなど次々と強豪を打ち破り、キエフ市民の希望を背負った特攻隊の心境だったに違いない。
チームメイトの中には友人や家族が無残にもナチスに、目の前で虐殺された者もいたかもしれない。
観客のキエフ市民の中にそんな悲劇を、誰もが背負っていた。
ただ、この悪夢のような現実を一時でも忘れたいと思っていたに違いない。
市民チームスタルトは、ついに1941年8月6日、最強ナチスドイツ空軍チームと対戦することになった。
審判はナチスSS将校。ホームのはずが完全アウェイ状態だった。
戦争の残骸の中にあるサッカー球技場にはなんと2000名ものキエフ市民が集まっていた。
キエフ市民はただ何もかも忘れたかったかもしれない。
だけど友人の、家族の、無残な死顔が忘れられない。
いや人の形すらしていなかったかもしれない。
たとえ戦争に負けたとしても一死報いて欲しい。

「勝ってくれ!ナチスドイツに
サッカーでは勝ってくれ!」

(キエフ市民)

スタルトのメンバーもそんなキエフ市民の気持ちは痛いほどわかっていただろう。
スタルトのサッカープレーヤーのこの日の覇気、顔つきは鬼の形相だったに違いない。
そりゃそうだろう。
スタルトチームは試合前にナチスドイツに脅されて、

「勝てば、自分だちが処刑される」のはわかっていたことだった

スタルトはドイツ空軍チームに対して、5:1で大勝利!
キエフ市民は涙を流し歓喜したに違いない。
我々が勝った!
意味のある勝利だと。
しかし、そんなキエフ市民の歓喜をどのような思いでスタルトのメンバーは見ていたのだろうか。
やっぱ負けとけばよかったかなぁ?ってよぎったかなぁ?
いやいや、おそらく、一時でもキエフ市民を鼓舞することができたことを誇りに思ったに違いない。
そうしてナチスからの報復、死を覚悟していた。
しかし、面目丸潰れの占領軍ナチスドイツの空軍チームは3日後に再試合を申し出てきた。
スタルトチームは8月9日の再試合も手を抜くことなく、キエフ市民の応援に応えたという。
そして試合後、ゲシュタポに捕らえられ、処刑された

実は衝撃の事実が・・・

ナチスドイツ軍に勝利したスタルトチームはゲシュタポに逮捕されたとか
ナチスの脅しに屈することなく処理したスタルトチーム

1992年、ウクライナではデスマッチからちょうど50年にあたるため、当時のプレーヤーにインタビューをおこなった。

え? インタビュー?生きてるの?

実は、この話。半分嘘だった。
よく考えてみて?
キエフ市民のガス抜きのためのサッカー試合なのに「勝てば死刑だぞ」って脅されてスタルトチームが負ければ暴動が起きるよね?
逆にナチスドイツチームがわざと負けてやった方がガス抜きになるってもんでしょ?

つまり、ナチスドイツのガス抜き作戦は大成功だったというわけよ。

このデスマッチと言われた試合は確かに審判がSS将校だったんだけど、別にスタルトチームは脅されてはいなかったということが50年目で判明。
確かに試合の9日後に1名、半年後までに5名、スタルトチームのメンバーは死んでいる。
なんだけど、試合とは全く関係なかったみたい。
試合後、ナチスドイツチームもスタルトチームも両軍にこやかに写真撮影していたとか。
ではなぜこんな嘘をついたのか?
というと、当時85万人も兵を送り込んで大敗したソ連はキエフ市民が戦わなかったために負けたと旧ソ連政府のプロパガンダがあったらしく、いやいやキエフ市民は戦ったと、そのプロパガンダに対抗するためにわざとこの伝説のデスマッチをでっち上げて、勇敢なキエフ市民という印象操作したとか・・・
美談で終わらせたかったんだけど、事実は事実だしね。
そうそう、こんな美談はありませんってことね?

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