古代文明の謎!発掘されたミイラが語る、語られない物語

荘厳にして、妖麗な古代エジプトのアマルナの砂になった民衆たちにスポットを当てる

「華やかな古代エジプトだが、本当は一般的な人々はどんな生活をしていたの?」
「全てミイラかと思ってたけど、骸骨もあるの?なぜ?」

そういった疑問を持つ方に向けた記事なります。(2021/03/14 更新)

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  1. 古代文明の謎、ミイラの奇想天外な末路
  2. 腹の底がドス黒い神官たちに牛耳られた古代文明
  3. 古代文明アマルナ遺跡で発見された醜悪な骸たち
  4. 悪い奴ほど華やかなミイラ

古代文明の謎、ミイラの奇想天外な末路

古代文明といえば、エジプトね?
古代エジプトのミイラとは中世から近代の世界では、ホラーショーのネタであり、なんともっと奇妙なものでもあったの。


昔から古代エジプトが学問として認識されていたわけではなく、実はごくごく最近の話なのよね?
学問になる前はなんだったのか?

実はゾッとする事実が隠されてたのよ。
詳細は下記の記事にまとめてるのでさらに深堀レポへ!

>>呪われた絵画ミステリーは本当かも?ゾッとする奇怪な秘事


そんなミイラは、きらびやかな歴史の表舞台には決して登場しない闇を語ってくれる。

腹の底がドス黒い神官たちに牛耳られた古代文明


紀元前1570年から始まった古代エジプト新王国時代で、アマルナというエジプトの古代都市は一時期首都として建設された。

アマルナに急遽遷都したのは多神教だった古代エジプトで世界初の一神教、
アテン神信仰を追求したアメンホテプ4世(アクエンアテン)でした。
余談なんだけど、彼はツタンカーメンの父親にあたる人物なのね。
どうもエジプトの古代文明では、多神教で腐るほど信仰の対象がいて、その神官達が牛耳り、政治的な改革が必要となったみたいなのよ。
だから遷都してそのしがらみを一掃しようとしたのよね?


そのアマルナという古代都市は現在の首都カイロから南約312kmあたりにある。現在は砂漠に飲み込まれて「兵どもが夢の跡」となっている。
そんな夢の跡に今はいくつかの村が点在するのみのようね。

紀元前1353年ごろ、エジプト第18王朝後期のファラオ、アメンホテプ4世が多神教から一神教へ改革を行い、そのアテン信仰のための新首都として建設された。

古代文明アマルナ遺跡で発見された醜悪な骸たち

かなり急ピッチで建設された首都で、不幸にも飢餓、飢饉が発生したことがあらたな一神教のせいで神々が激怒したとなり、短命におわった街だったようね。
しかし、アマルナの壁に刻まれた彫刻は、人々の豊かな暮らしぶりを物語っている。


農場では牛が肥え、倉庫には穀物と、ナイル川で漁した魚や、カモ、ウナギがあふれていた。
庶民の食事は、古代小麦で作った平たいパンと大麦から作ったビールが主食だったみたい。
ビールといっても、今のビールではなく、大麦パンを水に浸して発酵させて濾過させたスープみたいなもの見たいね。
庶民と上流階級の食生活の違いは肉類みたい。
牛は農耕用の大事な財産であり、神への供物でもあったので、牛肉が庶民の口に入ることは滅多になかったみたいね。
ファラオは音楽家の演奏を聴きながら、肉のごちそうを食べ、優雅で楽しい情景が刻まれている。


しかし、その壁画を刻んでいた一般庶民の生活は最新の研究ではかなりひどいものであったことがわかっている。
アマルナが都として栄えたのは15年間ほどで、2万人〜3万人が暮らしていた。10%が裕福な上流階級で、広大な邸宅に住み、贅のかぎりをつくした墓を建てていた。
ある考古学者が、アマルナの南側にある残り90%の一般庶民の共同墓地に埋葬された、ミイラではない遺体の調査を実施した。


ここの200基以上の墓を発掘したところ、そのうちわずか20基のみ棺で埋葬されていたようで、この時代、棺による埋葬が主流だったことを考えると、
アマルナの住民のほとんどが、一般庶民以下の生活レベルだった可能性が高いとされてる。

またほとんどがむしろのようなものに巻かれているのみで、かなり質素でお粗末な埋葬方法となってる。
また富裕層級の墓から出土する副葬品の類がまったく出土しなかったようね。
これら一般庶民の3歳〜25歳の骨からは壊血病やくる病を患った跡が確認できるみたい。
これらはビタミンC、Dの欠乏による病気で、骨が曲がったり、通常よりも折れやすくなる病のようね。
子供達の歯には栄養失調がはっきりと表れており、深刻な発育不全の兆候がみられたようね。
発見された人骨の75%が関節炎を起こしており、生前、重労働で体を酷使していたものと思われる。
しかもそれは大人だけでなく、子供も同じだという。
絶えず筋肉を使っていた痕跡が残っていた。
また調査した人骨の67%がどこかしら骨折した跡があり、治癒したあと、しかかっている跡が確認できたみたい。
これらのことから、華やかに見える古代文明の遺跡には文字通り命をかけて、過酷な重労働で建設されていたことを物語っている。


やはり過酷な労働だったのか?
だけど、古代文明のエジプトでピラミッド建設に関する秘密を知ってるというフシギなことをいう学者がいたのよ。
エドワード・ニーズカルニンって人なんだけど、今も残る彼の建築物はとても1人で重機なしで建築したものとは思えない出来なのよ。
詳しくは以下の記事にまとめてるので、深堀レポ↓

>>ピラミッドの”作り方”を忘れた古代エジプトミステリー


仄暗い闇があれば、太陽神ラーに照らされた光り輝いた存在がいた。ファラオをはじめとする富裕層たちね?

悪い奴ほど華やかなミイラ

首都カイロの南にある古代文明の跡地、サッカラ遺跡。
現在は砂漠となっている広大な王家の墓地で、地下5メートルほどの砂の下からまるで昨日埋葬されたのか?
と勘違いさせるほど、煌びやかで、壮麗な4400年前の「ワフティー」と呼ばれる神官の墓が見つかったりする。

ただ、ツタンカーメンは確かに派手なんだけど、あまり幸福な人生ではなかったことがツギハギだらけの黄金のマスクから判明してたりする。
興味のある人は下の記事にまとめてるので深堀レポをどうぞ

>> ツタンカーメンのミイラの謎!フシギな話4選!まとめ

エジプト第5王朝のファラオ、ネフェリルカラーに仕えていた神官だ。
墓の扉の上の石に刻まれた象形文字ヒエログリフを解読したところ、故人の名前に加えて、役職も明らかになった。
墓の壁にはワフティー本人やその母、妻など家族の姿が色鮮やかな色彩で描かれている。相当お金を持ってたんだろうね?

同じサッカラで2020年10月、サッカラ、エジプト:カイロ郊外のサッカラの古代文明のネクロポリスから59個の密閉された石棺が発見され、エジプトの考古学者は、ここ数十年で最も劇的な発見の1つであると発表した。
ミイラはかつて広大な墓地を神聖化した司祭や役人であったと考えているらしい。

ね?やっぱ富裕層なのよ。