映画『ダヴィンチコード』は完全な嘘。ダヴィンチのメッセージは別にあり
「本当に”最後の晩餐”に暗号が隠されてるの?」
「ダヴィンチの”最後の晩餐”にはどんなミステリーがあるの?」
そんな疑問を持つ方に向けた記事になります。(2020/02/20 更新)
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- “最後の晩餐”ミステリー!ダヴィンチはなぜわざと失敗作を描いた
- 食堂なのになぜ”最後の晩餐”?
- “最後の晩餐”の失敗の原因
- ”この中に裏切り者がいる”で動揺するドミニコ会
- ダヴィンチが”最後の晩餐”に込めた秘密
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“最後の晩餐”ミステリー!ダヴィンチはなぜわざと失敗作を描いた?
珍しく、ダヴィンチが完成させた作品なのよね?
“最後の晩餐”って。
レオナルド・ダ・ヴィンチといえば中世ヨーロッパのルネサンスを代表する天才画家。
だけど、現存している作品はたったの15作品。
それも完成しているとなるとなんとたったの数点しかない。
あの有名な『モナリザ』は1503年から制作し始めて、ダヴィンチは死ぬ1519年まで筆を入れ続けていた。
では”最後の晩餐”は?といえば、なんと1495年〜1498年のたったの3年間で完成させている。
これはダヴィンチのキャリアの中では異例の速さかもね?
レオナルド・ダ・ヴィンチはこの”最後の晩餐”の制作に一心不乱に打ち込み、世人を近づかせない、狂気と緊迫感がみなぎる現場だったに違いない。
しかし、ひとつ大きな疑問を感じるのはなぜダヴィンチはこの”最後の晩餐”に全神経を注いだのか?
この”最後の晩餐”にはダヴィンチが暗号で何かを訴えているとか、ミステリアスな話題がある。
あの映画『ダヴィンチコード』でも取り上げられている。
この映画はダヴィンチが中世から脈々と続くシオン修道会の総長でイエス・キリストの血脈を守っているというストーリー。
ダヴィンチは、”最後の晩餐”に聖杯を暗号として埋め込んでいたというんだけど、かなり無理がある。
だってその暗号って誰に向けたものよ?って思わない?
絵画には必ず「観覧者」がいるはずなのよ。
今でこそ、ダヴィンチを知らない人はいないけど、当時はもっとローカルなエリアの知る人ぞ知るってレベルだったと思わない?
それに、根本的にシオン修道会は実際に存在する組織ではあるんだけど、なんと1956年発足で、歴代総長にアイザック・ニュートン、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどがいたとか秘密文書を偽造してたことがわかってる。
偽造文書は羊皮紙ではなく、近代的な紙だったというなんともお粗末な話で、偽造したロジェ=パトリス・ペラはインサイダー取引で逮捕されている。
その裁判の中で偽造したことをゲロってる。
ということでレオナルド・ダ・ヴィンチがシオン修道会の総長ではなかったことからも映画『ダヴィンチコード』説は完全に崩壊してるのよね?
でも私的にはだいぶ好きなんだけど。
ところでその”最後の晩餐”が失敗作だ!ってのは理由があるんだけど、その前にそもそもなぜダヴィンチはあんなところに”最後の晩餐”を描いたのか?ってのがそもそもの疑問なんだよね・・・
食堂なのになぜ”最後の晩餐”?
仕事が忙しいOLさんが休みに温泉に行ったとしよう。
その温泉は最高の源泉で戦国時代から続く「信玄の隠れ湯」的なところだったとしよう。
なんだけど、その温泉の壁にギラギラ、ギョロリと不気味な、物色するような眼のキモ男が盗撮している壁画が描かれていたら、気持ちよく温泉を楽しめるだろうか?
“最後の晩餐”って実はミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グレツィエ教会の別棟の食堂の壁に描かれてるのよ。
おかしくない?
確かに一見テーブルに魚料理や飲み物、パンなどが並んでいて中央にイエス・キリストがいる。
ぱっと見、賑やかっぽいんだけど、実は描かれたシーンはそんな優雅なものではなく、殺伐とした、疑惑と不安がみなぎりわたった、なんとも落ち着いて食えない拷問のような空間の食堂になってるのよね?
“最後の晩餐”ってキリスト教の新約聖書、ヨハネの福音書13章23節でイエス・キリストが12使徒(弟子)に向かって「この中に裏切り者がいる」という場面でそれを聞いた弟子たち中に衝撃が走り、憎悪と猜疑心の色でギロリとお互いに視線を投げ合う心落ち着かないシーンなんだよね?
どうだろう?
この食堂で美味しく料理を頂けるだろうか?
そもそも食堂に”最後の晩餐”を描いて欲しいという依頼だったのかどうかはわからないが、おそらく食堂の壁に宗教画をお願いしたいとか、そんなざっくりとした依頼だったんじゃないかなぁ?
だとするとレオナルド・ダ・ヴィンチがこの題材を持ってきたことになる。
それに中央のイエス・キリストに視線が行かないように構成されているんだよね?
実はこれは構成上失敗なんじゃないか?と思える。
だけど現存するダヴィンチの手稿にはこの”最後の晩餐”の構成を検討したイラストというか、設計図的なものも残っている。
だとするとダヴィンチはわざと失敗して描いたとしか思えないのよ。
“最後の晩餐”の失敗の原因
私は写真を少々たしなみ、アメリカのナショナルジオグラフィックで、年間、世界中から星の数ほどに投稿される作品の中から2018年年間ベストに選定されたこともあります。
写真で大事なことは「何を伝えたいか?見た人に何を見せたいか?」なのね。
構図を的確に設計すれば、実は見た人の視線を意図的に誘導することができる。
人間は無意識に見るパターンって決まってるのよね?
わかりやすいパターンで言うと、人間は一番明るいところに目線が最初にいく。なので全体的に真っ暗すぎる写真や逆に全体的に明るすぎる写真は何を伝えたい写真かわからないんだよね?
それと同じようなことで、パターンが破壊されるとその破壊されたところが気になってしまうのよ。
上の”最後の晩餐”を見てみよう。
中央にはイエス・キリストがいるんだけど、わざと目立たないように描かれている。
もし、Wのような構成でイエス・キリストの両側に空間があったとしたら、そこに目線が集まる。
だけど矢印をつけたところ見てみて?
右側の窪みに位置するところに手が2本描かれており、空間ではなくなってしまっている。
そのため、せっかく中央に描いたイエス・キリストが左側のVの窪みのおかげで全く目線がいかず、Vの窪みに吸い寄せられるんだよね?
でね?面白いのがイエス・キリストの右側の、私が書いた水平線の右先にも浅い、Vの窪みがあるんだけど、こちらは背景がちょうど暗くなっていて目立たないように描かれているのよね?
だから視線の邪魔になっていないの。
これは完全にダヴィンチが計算し尽くして、意図した視線崩壊の構図なのよ。
誰もが絶対にイエス・キリストではなく、このどでかいVに目線が吸い寄せられる、あるいは気になってイエスに集中できないのよ。
破壊がでかすぎて。
これこそが当時、レオナルド・ダ・ヴィンチが”最後の晩餐”に埋め込んだ怒りのメッセージなのよ。
ダヴィンチは誰に怒っていたのか?
それはここで食事をとる修道士たちへの怒りだったのよ・・・
”この中に裏切り者がいる”で動揺するドミニコ会
レオナルド・ダ・ヴィンチの生きた時代、中世ヨーロッパの15世紀から16世紀初頭、この時代は暗雲立ち込め、血生臭い、恐怖と狂気が漂っていたの。
黒死病がヨーロッパからアジアまで世界各地で蔓延し、8000万人から1億人という死体の山に人々は絶望し、戦慄が人々の心を打ち砕いた。
それまで教会の絶対社会だったのに対して「祈っても無駄じゃん」的な空気が流れ、教会支配が弱まっていた。
この時代、子が死んでしまい悲しみに暮れる母親の姿を模した「悲しみの聖母マリア」の信仰が爆発的な増加傾向にあった時代でもあった。
カトリック教会にとって都合が悪い福音書を異端の書としてるんだけど、その福音書の中に、真のイエス・キリストの後継者はペテロではなく、女性であるマグダラのマリアが相応しいと記述があったりする。
これは男性上位のカトリック社会では致命的だったし、聖母マリア信仰の爆増が男性上位のカトリックには段々と恐怖となっていったのよ。
ところでマグダラのマリアとは、イエスの復活を最初に目撃し、12使徒にそれを告げた人でそれなりに崇拝されてはきたんだけど、カトリック教会では6世紀の教皇グレゴリウスがルカ福音書より、「7つの悪霊をイエス・キリストによって追い払われた女性」という記述から、なぜか売春婦としたの。
昔から保身のため、女性を貶めるようにマグダラのマリアを悪用していたという見方もできるかもね?
そしてそこから魔女伝説が生まれていった。
ダヴィンチが”最後の晩餐”に取りかかる1495年から9年前、ヨーロッパを震撼させる大事件が発生していた。
1486年、ドミニコ修道会の異端審問官ハインリヒ・クラーマーが出版した『魔女に与える鉄槌』である。
クラーマーはローマ教皇イニノケンティウス8世に魔女狩りを正式に認めるよう懇願する。
教皇はクラーマーに単に異端審問官の役割を認定する旨の回勅(公式文書)を送るが、クラーマーはそれを出版した『魔女に与える鉄槌』の序文に引用し、あたかも教皇が魔女狩りを認めたように勘違いさせた。
これにより『魔女に与える鉄槌』は魔女狩りのガイドブックとなり、この本に書かれた魔女の定義に沿って罪のない女性が次々と残虐な処刑によって殺されていたの。
それも人を救うはずのカトリック教会が主導で。
魔女狩りとは、元々迷信深い、無知な民衆を背景に、中世ヨーロッパ全体に広がる反ユダヤ主義に結びついたものだったんだけど、1486年以降、キリスト教会で正式に魔女を取り締まる教義が制定されたわけなのよ。
男性上位社会を守ために。
ダヴィンチの手稿には面白い記述がある。
「数学に結びついていないような科学とは、いかなる確実性もない」
これは現代人的な考え方で、ダヴィンチには「魔女」なるものは全く理解できなかっただろう。
ドミニコ修道会に対して、単なる女性殺しの迫害としか見えていなかったかもしれない。
実は”最後の晩餐”とドミニコ修道会は深いつながりがあったの。
なんとサンタ・マリア・デッレ・グレツィエ教会とはドミニコ修道会のもので、その”最後の晩餐”がある別棟の食堂とは、そのドミニコ修道士たちが食事をする場所だったのだ。
そうなってくると”最後の晩餐”が違って見えてくる・・・
ダヴィンチが”最後の晩餐”に込めた秘密
こうなってくるとこのVの窪みは意図的どころか、しっかり意味があるとしか思えない。
つまり、これは逆三角形で古来より杯=子宮をあらわす女性の象徴を意味することはもはや確実だろう。
そして気になるはやはり、Vを成すイエスの隣人だろう。
私は何も聖書のことなど知らない時にこの絵を見た時、女性だと直感的に見ていて、疑いようがなかった。実はつい最近まで女性だと思ってた。
ところがこれは一般的には使徒ヨハネという少年らしいのよね?
ダヴィンチがもし修道士に「あれは女性か?」って聞かれたら、「いやいや、あれはヨハネ福音書にある、ペテロがヨハネに問いかけるシーンだよ」って答えるでしょうね。
ただし、そのヨハネの福音書にはペテロが問いかけたのは「イエスが愛した弟子」としか書かれておらず、ヨハネとは明記されていない。
ダヴィンチはこの聖書に書かれた謎の「愛する弟子」をヨハネと定義するのを意図的に避けたように思われる。
果たしてこれはヨハネなのか?
私はダヴィンチが意図的に、特定の女性を描いたのではなく、“一般的な女性“を描いたのだと確信している。
なぜならば、どんな絵でも自由自在に描けるダヴィンチが少年ではなく、「女性に見える人物」を描き、でっかくVという女性を意味する象徴を記しているからだ。
映画『ダヴィンチコード』ではこれはマグダラのマリアだと言っていたがそうではなく、ダヴィンチは「ヨハネと思わせる女性」を描いた。
その理由はイエス・キリストの言葉にある
隣人を愛しなさい
そう、つまり魔女狩りなど非科学的な迷信に躍ることなく、女性という存在を尊重しなさいということこそ、この時代に生きたダヴィンチの意味するところではないだろうか。
Vを成す、男性と女性の融和を願ったのではないだろうか。
しかし、現実的には魔女狩りの嵐が吹き荒れており、下向きかげんに描かれた「ヨハネと思わせる女性」は悲しげな雰囲気さえある。
この時代に流行った「悲しみの聖母マリア」を彷彿とさせるその表情は幻想とドス黒い妖気に踊る迷信深い時代に不安を感じているようにさえ思える。
しかし、笑えるのは女性を魔女狩りにして血祭りにあげるドミニコ修道会の食堂にどでかい女性の象徴が描かれており、「隣人を愛さない」修道士たちに向かい、イエス・キリストが「裏切り者がいる」とどやしつけているように思えるからね。
修道士たちとっては、食事が喉を通らない食堂になったことだろうね。