ラリベラの地下聖堂に秘め、契約の箱は作為的歴史から抹消されたのか?
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- 失われた契約の箱はエチオピアに?フシギな話
- テンプル騎士団と秘密の宝物”契約の箱”
- ラリベラの奇妙な岩窟聖堂
- テンプル騎士団とラリベラの岩窟聖堂との奇妙な関係
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失われた契約の箱はエチオピアに?フシギな話
失われたアーク、聖櫃はエチオピアにあるかもしれない。
ユダヤ教では聖櫃、キリスト教では契約の箱と言われるものは、アカシアの木で作られた箱で長さ130センチメートル、幅と高さがそれぞれ80センチメートル、装飾が施され地面に直接触れないよう、箱の下部四隅に脚が付けられている。
持ち運びの際、箱に手を触れないよう2本の棒が取り付けられ、これら全てが純金で覆われている。
そして箱の上部には、ケルビムと言われる天使2体がシャチホコのように飾られている。
なぜこれほど詳細に仕様が知られているかというと、旧約聖書にモーゼが古代エジプトからイスラエルの民を解放する場面でシナイ山で十戒を授けるんだけど、その時に神より詳細な指示があったとして内容が記載されている。
なので現在でもその仕様が知られてるのよね。
この聖櫃、契約の箱は本当に実在したのか?
というと記録では紀元前10世紀、ソロモン王が建造したエルサレム神殿に安置されていたらしい。
記録的にはこれ以上ないみたいなのよ。
紀元前586年にバビロニア人の侵略によってエルサレム神殿は崩壊するんだけど、その際契約の箱がどうなったのかは記録がない。
テンプル騎士団と秘密の宝物”契約の箱”
1119年、かつてエルサレム神殿があった場所、神殿の丘を拠点とするキリスト教徒を守る軍団、テンプル騎士団が結成される。
結成から10年後キリスト教界の権威バチカンがこのテンプル騎士団に突如、教皇以外の全ての権威をテンプル騎士団に付与するという前例のない特権が与えられてる。
背景に何もなくこんなことをする必要があるんだろうか?
わざわざ軍隊にほぼ最高権力を明け渡したようなものだし。
研究者たちは何かとんでもないものをテンプル騎士団が神殿の丘の地下迷宮から掘り出したんじゃないかと言われているのよ。
実は神殿の丘には今も地下迷宮というか幾重にも延びた地下通路が発見されていて実は今も未発見の地下通路が存在してるのよね?
そこから抜け出したっていうのもない話ではないのよ。
だからそこでエルサレム神殿崩壊の危機を回避していて、テンプル騎士団が何かしら宝物を探し当てたとしたらどうだろうか?
それはモーゼの十戒を納めた契約の箱ではないのかと言われてるのよ。
だけと今現在、契約の箱はもちろん、発見されていないんだけど、実はエチオピアのラリベラに安置されていた、もしかしたらその近くに今も契約の箱が密かに隠されているのではという説がある。
実はエチオピアには世界でも類を見ない、奇怪で異様な建造物が存在している。
ラリベラの奇妙な岩窟聖堂
なぜわざわざ真逆で奇怪な建造物となったのか?
ポルトガルの探検家ペロ・ダ・コヴィリャンが1507年、ヨーロッパ人として初めてエチオピアを訪れたとき、ラリベラ岩窟聖堂はすでに存在していた。
コヴィリャンの眼に飛び込んできた光景はそれまで見たこともない建造物で、怪奇で摩訶不思議なものでしばらく、言葉にならなかったという。
通常、設計図通りに地面に基礎を築き、下から上へ建築していくんだけど、このラリベラの岩窟聖堂は逆で、岩盤を掘り下げて作ってる奇妙な建造物になっていて、日本で言う隠れキリシタン的な隠蔽された建造物に見えるんだよね?
しかもこのラリベラの岩窟聖堂は巨石を組み合わせて作ったわけではない。
そこでまた奇妙に思えるんだけど、なぜこのくり抜いた岩盤がこれほど巨大だと分かったのか?なんだよね?
掘ってみたけど途中で岩盤ではなく砂でした!ってオチもあるじゃない?
それに今では先にダイヤがついた加工するための電動工具があるんだけど、このラリベラの岩窟聖堂はどうやって硬い岩盤を掘ったのか謎なんだよね。
でもね、この岩盤ってのが凝灰岩らしいのよね?
これは石材としては比較的柔らかい方らしい。
とはいえ、定説で言われるような20年ほどでこれほどの壮麗で繊細な岩窟聖堂を建造できるものなのか疑問だけどね。
この岩盤をくり抜いてできたラリベラの岩窟聖堂に面白い伝説があるのよ。
古代ラリベラ王は天使ガブリエルに連れ去られ、第二のエルサレムを作るよう啓示を受けたんだって。
そして何年もかけて作業したんだけど、作業員が寝静まった夜に天使たちが岩盤を削る作業を手助けしてたとか。
とても信じられないフシギな話でおそらくは神聖視させるための作り話かも?って思えるんだけど、もし本当だとするとこの天使達っていうのは地球外生命体かもしれないね。
というかこんな壮麗な教会を建造できないから岩盤を掘って削りだせってことだったんだろうか?
だとしたら発想がすでにUFO級なんだよね?
でもこういう発想ができるってことは建造する技術がなかったわけではなかったかもしれない。
ということはわざと地下を掘りぬいて目立たなくしたってこともあり得るよね?
テンプル騎士団とラリベラの岩窟聖堂との奇妙な関係
また別の見方をすると当時のエチオピア人にとって天使、人知を超えていたヨーロッパ人がこのラリベラの岩窟聖堂に関わっていた可能性ね。
そもそもラリベラって地名は王の名でこのラリベラ王は政治的な理由でエルサレムへ亡命してた時期があった。
1160年ごろの話なんだけど、当時エチオピアのキリスト教徒は5ヶ月から6ヶ月かけてエルサレムへ巡礼の旅をしてたらしいんだけど、そういったことからもエルサレムとエチオピアのコミュニティがあったんじゃないか?
王ラリベラは1185年にエチオピアに戻って王位を継ぐんだけど、
その時テンプル騎士団の一部がエチオピアに連れられてきたとは考えられないだろうか?
実はこの頃、イスラム勢力に軍事的にはやられてた時期だったのよね?
このラリベラの岩窟聖堂の至る所になぜかテンプル騎士団の紋章が彫られてたりする。
赤い十字架の紋章がね。
実は岩盤の凝灰岩は元々比較的赤い色してるのよね?
おそらく、それも最初から計算に入ってたんじゃないかと思うんだよね?
このテンプル騎士団ってのがイエス・キリスト系の伝説的な宝物、聖杯あるいは聖櫃、またモーゼの十戒を納めた契約の箱を守っていたという伝承があるのは前述の通り。
今これらキリスト教の宝物はどこにあるのか?
いや、そもそも本当に存在していたのか?って疑問も含めて謎なんだけど、エチオピアに伝わる原始キリスト教では、現在のキリスト教とはちょっと違うみたいで、十戒を収めた契約の箱は、エチオピアの地に移動されたって話になってるみたい。
なぜこのラリベラの岩窟聖堂はパッと見では全く存在がわからない地下に掘られた教会なのか?
おそらくイスラム教の征服者が攻めてきたとしても言わない限りわからないだろうね?
このラリベラの岩窟聖堂が作られたのは12世紀あたりだと推測されてんだけど、ちょうどテンプル騎士団の衰退期でもあったのよ。
テンプル騎士団って軍隊なんだけど、財務管理の側面もあってね。
王侯貴族の金品輸送の役割も担って、今でいう金融サービス的なことまで手を出していたことから、財政的にも莫大な資金を持ってたらしいの。
12世紀はちょうどその最盛期で欧州、中東あたりの土地を各地で購入しては教会を建てるといった具合に武力っていうよりも財政基盤の勢力拡大を行なっていた。
でもそれとは裏腹に軍事面ではイスラム教に散々にやられた時期でもあったの。エチオピアのラリベラの岩窟聖堂ができたのはそんな時期だった。
テンプル騎士団が守護するキリスト教の宝物を避難場所を遠くエチオピアの土地に作っていたというのはどうだろう?
実はこのエチオピアのラリベラの岩窟聖堂には契約の箱がかつてあったという噂がある。
それになんと十戒を納めた伝説の契約の箱がぴったり収まる祭壇も実在しているのよ。
エチオピアの伝承では今は320キロほど北上したアクスムっていう街にその契約の箱が保管されてるらしい。
今でもそこには特別な聖堂、マリアシオン大聖堂があり、誰も中に入ることはできないようになってんのよね?
可能性はあると思うんだよね?あるかもよ、契約の箱が!