日露戦争ミステリー!日本のフシギな勝因とは?まとめ記事

激動の時代を旅したアメリカ人が分析した日本の強さとは?

「当時、日本がなぜ日露戦争に勝利できたのか?」
「日露戦争当時の日本人はどんな生活をしていたのか?」

そんな疑問を持つ方に向けた記事になります。(2020/10/09 更新)

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  1. 日露戦争ミステリー!日本のフシギな勝因とは?
  2. 精神論ではなく、日露戦争に勝利した日本の秘密
  3. 日露戦争を勝利に導いた鉄の心
  4. 日露戦争当時の日本人の生活風景

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日露戦争ミステリー!日本のフシギな勝因とは?

世界の最果てにある黄金の国ジパング!
そんなど田舎の国がロシア帝国に勝てるわけがない!
なんのジョーク?
これが当時の世界の日本に対する評価だったみたい。
まぁ、当然だよね。
1870年までチョンマゲつけた変な髪型で外国人を見たら斬りかかるような野蛮な国だったんだから。
ところがどっこい、ユダヤ人のジェイコブ・シフが戦費調達に協力してくれたことで日本は世界を文字通り仰天させる桶狭間の合戦をやってのけた。
この日露戦争の日本の勝利はまぐれ?
どうもそうではなさそうなのよね?
実は当時、日本帝国は戦争に勝利するために必要なことは武器の調達のみではないとどの国よりも先駆けて理解してたみたいなのよ。
それが日露戦争を勝利に導いたっぽいのよね。
これって今も日本旅行にきた外国人は自国と比べてそう感じるみたいよ。

精神論ではなく、日露戦争に勝利した日本の秘密

日露戦争で小さな島国の日本が大国ロシアを破ったことで、世界の、日本を見る目が変わった。
日本軍の強さとはなにか?
各国が研究しはじめたのね。
そこで注目されたのは死者の分類なんだけど、海外の軍隊で戦場での戦死の数より、意外と多いのが病死なのね。
アメリカ独立戦争時は北軍で、11万人が砲弾や銃弾で、20万人を病気で失った。1894年のマダガスカルでのフランス軍では、1万4000人が前線に送られ、そのうち29人が戦死、7000人が病気で亡くなった。
大国の多くが野営などで不衛生な環境から伝染病に感染し、それが蔓延することで戦闘とは関係なく死者を出していた。
1898年に勃発したアメリカとスペインの米西戦争では動員された12万人のうち、2万人が腸チフスにかかった。
それも動員されて8週間以内だったらしいね。
それほど戦場は不衛生だったの。
1900〜1910年あたりまでアジアの国々を旅した研究家で宣教師のアーサー・J・ブラウン氏によれば、日本はこれら衛生管理を軍に取り入れた最初の国らしい。まぁ、でも日本が兵士のためにこれらを取り入れた、というわけではなさそうね。
病人はうまく戦えず、健康な兵士の補佐も必要となり、戦力の損失が大きいからだろうね。
健康な兵士こそ最強の軍隊だと気が付いたのが早かっただけの話かも。
日本軍が特に注意したのは飲み水。
衛生隊は軍の進路に専門家を送り、井戸や小川の水を検査して調べてたみたい。もし不衛生と判定されると沸騰させずに飲むことは禁止すると張り紙が張られていた。

日露戦争の勝利は日本を大国にのし上げた。
日露戦争

すべての隊が湯沸かし器と、救急処置キットを所持してたみたい。
また兵士は風呂に入り、綺麗な下着を身に着け、爪を綺麗に切って保つことを要求された。
それはもし銃弾を撃ち込まれて応急手当を使用とするときに手が汚いと、余計なウィルスにも感染してしまうためだった。
日本人の徹底したルール好きは今以上のようね。
この時代、まだ封建社会から脱皮していたとはいえ、間もないころの日本人兵士は、このような細かい規則を馬鹿正直に守っていたようで、そのおかげで、日本軍は「いつでも健康優良児軍団」となっていたのよ。
日露戦争時、戦場に送られた兵士120万のうち、病死はたったの2万8000人だったという。
そのかわり戦死者は60000人となっている。
アメリカ軍だと突撃して多数の死者を出すとその司令官は、無能扱いされる。
日本軍は一回目の突撃がだめだったとしたら、再度軍を送り込んで二回目の突撃。
それでもだめなら別の隊を・・という具合に病死を出さない代わりに戦死者はガンガンだしまくるんよね。
どちらが正解なのか、ぶっちゃけわからないね。
ただ日露戦争後、各国の衛生隊の地位が相対的に高くなったのは確かなのね。
衛生管理こそ、日本軍の強さのひとつだと世界は認識していたってことなのよ。ただ日本人自体も今とは違って相当精神的に強かったっていうかイってたという表現が正しいかもね。

日露戦争を勝利に導いた鉄の心

実は日本が世界を驚かせのは日露戦争が2度目だったのよね?
1894年、日清戦争で清を破りって世界を驚かせ他のが最初なの。
そして、1904年〜1905年の日露戦争で世界は日本を大国と認めた。
この当時の日本を研究していたアメリカ人宣教師アーサー・J・ブラウン氏が日本の強さの秘密を書籍にしていた。
まず第一に、明治政府が極端な中央集権国家となっており、民主主義の議会制よりも意思決定が速かったということ。
第二に、全国民に勇敢な精神が行き渡っているらしい。
今もそうだけど日本には武道がある。
日本男児はやはり武道で精神的に鍛えられるところはあると思う。
第二次世界大戦後、一時期空手がGHQによって禁止されてた事を思うと世界がそう考えていたのは嘘ではなさそうね。
GHQは武道こそ、死を恐れない侍を育てていると本気で考えていたみたいよ。
またこのころは封建社会から脱していたとはいえ、それほど時間が経っていない。
それも大きくこの時代は影響があっただろうね。
第三に、自己犠牲を払う忠誠心から生まれる類まれなる結束力がある。
当時夫が前線へ行く妻は誇りに思って見送り、身体的に不合格となった息子の母は、恥と悲しみで自殺する事件もあったそうで。
こんな事件もあった。
ある男は日露戦争に参加するため、二人の小さな子供を世話してくれる人を探していたんだけどどうしても見つからなかった。
そこでその男は軍務を遂行するため、子供たちを殺したそうなぁ。
別の男は自分の娘を同じ理由で売春宿に売ったりもしてたとか。
このころの日本人は国のため死ぬことが最高の名誉だと本気で信じていたみたいね。
申し訳ないけど、今を生きる私にはまねできないね。
息子を頼りに生活していた父母は息子が存分に戦場で働けるように、みずから命を絶つ事件もあったそう。
ブラウン氏はこのように日本人の結束した精神力こそ、大国をも砕く最強の武器となっていると締めくくっている。
そんな当時の日本なんだけど、普段の生活風景はどうだったんだろうね?

日露戦争当時、国に命を捧げる事を一番の名誉としていた。それこそ、日露戦争の勝因かもしれない。
国の為に生命を捧げる当時の日本人たち

日露戦争当時の日本人の生活風景

日露戦争が勃発した1904〜1905年あたりに日本に旅行したアメリカ人宣教師アーサー・J・ブラウン氏が見た日本の風景とは?
彼が訪れたのは4月の桜の季節。

「桜の木は果実のために植えられるのではなく、ただその美しさを楽しむためだ」

(アーサー・J・ブラウンより)

と表現している。
私にとってはこの表現はとっても新鮮で日本人としてちょっと嬉しかったりするね。
普通に食べていくのが今よりも難しい時代の中でただ美しさのために植えているっていう彼の表現は、とっても日本を楽しんでいるように感じるね。
でもその桜の近くの田畑には、みるぶんはよいが近づくと生ごみの肥料でにおいがすごかったみたいね。
でも当時の日本はやっぱりめちゃくちゃ衛生に厳しかったみたい。
逆に言うとそのへん無頓着な人が多かったのね。
ブラウン氏は大阪でペストが発生した際の大規模な家屋清掃を目撃したみたい。その疫病が発生したとされる地区に大勢の検査員が押し寄せ、一軒一軒家の中に入って、家具を取り除き、畳を引きはがし、屋根を解体して、半分以上家を壊して掃除したという。
その間住民は唖然茫然。
徹底的で、やり過ぎ感まんさいな時代やね。
ブラウン氏はアメリカ人なので日本人の生活がとても質素に思えたようね。
まず家具がなく、ベッドもない。寝るときは布団を畳に敷いてねるのにびっくりしてるみたいね。
椅子がないのはアメリカ人には苦しかったよう。
昔の日本人は正座だから。
ちょっとこれは知らなかったんだけど、ブラウン氏一行が電車に乗った時のこと。
電車の車両には座席があったんだけど、だいだい足が床についているのはブラウン氏一行のみで、日本人の乗客は全員、草履を脱いで座席の上で正座して乗っていたそうなぁ。
なんか西洋と和がうまく融合してなさそうな世界だね。
この時代、ほとんど暖房器具がなく、隙間風がめちゃくちゃ寒かったと。
当時の日本人の服装はほとんどが着物に、素足で下駄か、草履っていうのが一般的だったみたいで、それも夏も冬でも。
ブラウン氏は東京で素足の通行人を数えていたらしく、193人中、130人が素足に草履、59人は足袋、4人だけ靴を履いていたという。
やはり昔の人は鍛え方が違うってことでしょうか。
でもブラウン氏が出会った子供のほとんどは風邪をひいていたらしい。
やっぱ普通に寒かったみたいね。
ただ貧乏な時代だったということね。
でもそれでもきちんと礼儀正しく振舞う日本人の姿は、どことなく品があるフシギな空気感をブラウン氏は楽しんだみたいね。
でも今の日本人にはない日本がそこにあったような気がする。
第二次世界大戦で勝利したアメリカは日本の強さに恐れ、戦後骨抜き政策をとった。
そんな世界に浸った私にはここに書いた日本は別の国のように思えるんだけどあなたはどう思った?

日露戦争当時の日本は優雅で気品がある日本人だったもしれない。
優雅に生活する当時の日本人たち
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