根拠となった事件には明らかなコンダクターが存在する
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- “13日の金曜日”は縁起が悪いのか?
- “縁起の悪い”忌み数:13は紀元前から存在していた
- 数百人の信徒に死が降り注いだ”13日の金曜日”の起源
- 不吉な前兆!栄華を誇るテンプル騎士団
- テンプル騎士団の別の顔
- “13日の金曜日”に死が襲う
“13日の金曜日”は縁起が悪いのか?
薄気味悪い悪寒のようなものを漠然と感じてしまう・・・
日本人だと仏滅に何か起こってしまうと、妖気みなぎる蒼い静脈が蜘蛛の巣のように張り巡らされた妖婆の不気味な手が死角から首筋にソッと触れられた時のような、理由もなくゾクっと恐怖の色に染まる感覚に陥る。
英語圏や西洋のキリスト教圏の人たちが”13日の金曜日”と対峙した時の感覚に似ているかもしれない。
日本人にとって”13日の金曜日”とは、1980年に公開されたあのチェーンソーで襲いかかってくるジェイソンが脳裏に焼きついている。
ちなみに記念すべき第一作目に「フットルース」や「アポロ13」の、ケビン・ベーコンが出演してる。
アメリカでは、”13日の金曜日”を恐る人口は全体の10%に上り、毎年8億ドル以上の経済損失があるという。
近年、”13日の金曜日”が恐怖の対象となったきっかけは、1907年、トーマス・ウィリアム・ローソン著「13日の金曜日」という小説がその発端らしい。ウォールストリートで騒動を引き起こして大きな利益をもたらすため、”13日の金曜日が不吉”と世間に広めて人々の恐怖を煽るストーリーらしい。
おそらく、元々口伝や都市伝説の様なものだったのを小説のネタにしたのかもしれないが、これが一般的に広まったようね。
“13日の金曜日”が不幸をもたらす不吉な暦というわけではなく、元々は「13」と「聖金曜日」に元凶があるっぽい。
“縁起の悪い”忌み数:13は紀元前から存在していた
13という数字は実はキリスト教成立以前からどうも不幸をもたらす数字として認識されていたっぽい。
なんと世界最古の法典、ハンムラビ法典の法律リストには13番がなぜか欠如しているとか。
ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランド等にキリスト教以前から伝わる北欧神話にも実はこの呪われた”13”の逸話が残っている。それは次のようなもので、12人の神が祝宴を催していた時に、13人目となる招かれざる客ロキが乱入して人気者のバルドルを殺してしまったとか。
これらのことからも13が不幸な数字とされているにはキリスト教所以というもの違うっぽい。
また、キリストの「最後の晩餐」はイエス・キリスト+12使徒で13人。
その13番目のゲストが「裏切りのユダ」だと言われている。
ちなみにその翌日、キリストは磔にされるが、これが「聖金曜日」だったとか。
この最後の晩餐にはレオナルド・ダ・ヴィンチのメッセージが隠されている。
この傑作は実は失敗作なんだよね。
どうもわざとそうしたっぽい。
詳細は別記事にまとめてるので気になる方はそちらをどうぞ
→“最後の晩餐”の謎!ダヴィンチはなぜわざと失敗作を描いた?
ただの昔話ではなく、今でも13を避ける傾向があるらしい。
例えば、13人が夕食の席に座っているのは不運だと考えられており、その場合、14人目を招待するか、テディベアの様な人形を座らせ、13を避けることもある。
また、建物に13階を設定しないようになっている。
12階の一つ上は、12A階もしくは12b階、12半階と呼んだり、13階を飛ばして14階にしたりするらしい。
アパートなどの部屋番号や、飛行機の座席番号などでも配慮されており、空港には13番ゲートが存在しないこともあるとか。
実はこれ、日本にも第二次世界大戦時に輸入されている。GHQに接収された巣鴨拘置所に設置された絞首台が13段の階段を設けていたと伝えられ、「13階段」は日本で死刑執行を意味したりする。
世界にはtriskaidekaphobia(13恐怖症)なる病名まで存在するほど人によっては深刻な問題で、一般的には13を配慮するサービスが根付いているのはこのためだとか。
このように迷信と現実の狭間で、妖気漂う仄暗い霧の向こう側からドス黒い影をちらつかせる恐怖の”13日の金曜日”だが、実際に多くのキリスト教徒に死をもたらした実例が存在する。
数百人の信徒に死が降り注いだ”13日の金曜日”の起源
それは1307年10月13日の金曜日に起こった。
フランス国王フィリップ4世がなんの前触れもなく、テンプル騎士団を一斉に逮捕。
なんの根拠もない異端的行為の罪状を100以上も被せて血生臭い拷問による自白によって多くの人が死刑となり、テンプル騎士団の幹部は全員火あぶりの刑となった。
フィリップ4世の軽薄な笑みが無情の業火と変わり、狂乱する幹部を絶叫と共に焼き尽くしたという。
一体、テンプル騎士団に何があったのか?
不吉な前兆!栄華を誇るテンプル騎士団
1099年ごろ、ヨーロッパのキリスト教国はイスラム国から聖都を奪還すべく、十字軍を送り込む。
この第一回十字軍の遠征でイスラム国家ファーティマ朝から聖エルサレムを奪還に成功。
これによってキリスト教徒が聖エルサレムへ巡礼することが可能となった。
テンプル騎士団は、その聖地への巡礼に向かうキリスト教徒たちを守る目的で1119年ごろに設立された騎士修道会だった。
十字軍国家エルサレムの王ボードワン2世は、騎士たちに市内の「神殿の丘」を拠点とする許可を与えた。
旧約聖書の時代、紀元前960年ごろ、ヘブライ王国(イスラエル)のダヴィデの子で第3代の王ソロモンの時代、地中海からインドに渡る交易路の大動脈を抑えたことで周辺諸国との交易により巨万の富を築いた。
この時代を“ソロモンの栄華”という。
その時代に建設されたと言われる伝説の「ソロモンの神殿(テンプル)」があった場所で、騎士団の名前もここからきてる。
当時のヨーロッパ貴族の間では聖地維持のためになんらかの貢献をしたいという意見が多かったため、テンプル騎士団はフランス王をはじめ多くの王侯貴族からの金銀財宝の寄進を得て入会者も増えていった。
中世以降、ヨーロッパ各地の教会で聖遺物が発見?偽造?された理由はこういう莫大な寄進目当てだったと言われている。
今も残るキリストの姿を映し取ったと言われる聖骸布もそのひとつかもしれない。
テンプル騎士団はそういった莫大な資産を背景に勢力を拡大していった。
テンプル騎士団の別の顔
1139年に教皇インノケンティウス2世がテンプル騎士団に国境通過の自由、課税の禁止、教皇以外の君主や司教への服従の義務の免除など多くの特権を付与したことが、その勢力を拡大する契機となった。
このテンプル騎士団の特権獲得があまりにも強大なため、何からミステリーの香りが鼻先に漂ってくる。
実は、テンプル騎士団の最初の本部が置かれたエルサレム神殿とのつながりから生まれたもので、テンプル騎士団はエルサレム神殿の今も残る地下迷宮からなんと聖杯を、あるいはモーゼの十戒を収めた至宝聖櫃(契約の箱)を、あるいはイエスが架けられた十字架を発見したのではないかと言われている。
実はこの聖櫃がアフリカに渡ったという伝説が残されている。詳細は別記事にまとめてるのでまだ読んでない方はそちらをどうぞ。
→失われた契約の箱はエチオピアのラリベラに?フシギな話
これが今に残る聖杯伝説で、映画「ダ・ヴィンチ・コード」の題材にもなった話なのね。
これについて別記事に詳細をまとめているので是非、まだ読んでない方はこちらからどうぞ!
→ダ・ヴィンチコードの解説 ネタバレなし! 映画を10倍楽しむ
ところで、このテンプル騎士団は当初巡礼者の護衛だったのが、別の顔を持つようになってきた。
軍事組織としての表の顔に加えて持っていたテンプル騎士団のもう一つの顔が、莫大な財産管理をおこなう財務機関としてのものだった。
第1回の十字軍は参加者自身が資金を集めていたが、全財産を売り払う者もいたために物価下落を招いたという非難があってそれ以降は教会が遠征費の調達をすることになり、テンプル騎士団が資金の管理に関わるようになった。
12世紀中頃になると、ヨーロッパで預託した金を、エルサレムでテンプル騎士団から受け取れる銀行業のようなサービスも登場しはじめた。
預金通帳サービスもテンプル騎士団が最初らしいね。
それって危険がともなう現金輸送よりも安全で便利だし、巡礼者から貴族、国王にいたるまで幅広く利用されたみたい。
テンプル騎士団の活動目的は聖地守護と軍事活動だったが、莫大な資産にヨダレを垂らしてた騎士団達は栄華に溺れ、当然命が惜しくなり、実際に前線で戦うのは会員の数%にすぎなかったとか。
ほとんどの会員は軍事活動そのものより、それを支援するための経済活動の方がメインだった。
この様に12世紀から13世紀にかけてテンプル騎士団は莫大な資産をつくり、それによって欧州から中東にいたる広い地域に多くの土地を保有した。
そこに教会と城砦を築き、ブドウ畑や農園を作り、やがて自前の艦隊まで持ち、最盛期にはキプロス島全島すら所有していた。
パリにあった支部はフランス王国の非公式な国庫といえるほどの規模になり、たびたびフランス王に対する経済援助を行っている。
1146年にはルイ7世の命により王国の国庫は正式にテンプル騎士団に預けられ、この体制はフィリップ4世の統治時代まで続く。
だがしかし、1307年10月13日の金曜日にテンプル騎士団に不幸が襲いかかった。
“13日の金曜日”に死が襲う
当時、フランスは慢性的な財政難にあえいでいた。
1306年にはフランス国内のユダヤ人を罪状もなく一斉に逮捕、資産を没収した後に追放するという暴挙に出た。
余談なんだけど、ユダヤ人に対するホロコーストについてわかりやすく、マニアックに解説した別記事があるのでまだ読んでない方は是非是非!
→ホロコーストとは?わかりやすく、マニアックにまとめてみた
こうしてまとまった資産を手にしたフィリップ4世が次に目をつけたのが莫大な資産を保有するテンプル騎士団であった。
当時のフランスはイギリスとの戦争によって多額の債務を抱え、テンプル騎士団が最大の債権者であった。
そのため、フィリップ4世は債務の帳消しを画策し、テンプル騎士団の壊滅と資産の略奪という悪魔のささやきに耳を傾けてしまった。
これによって数百人のテンプル騎士団幹部達はありもしない同性愛の関係や反キリストの誓いなどの濡れ衣を着せられて殺害された。
これを”13日の金曜日”の呪いだと後世の人たちは恐れているという事なのだ。
最近では2015年11月13日の金曜日、フランス・パリで同時多発テロ事件が勃発してフランス全土を恐怖に陥れたことは記憶に新しい。
だけどこの”13日の金曜日”というのは不幸を招く呪われた日などではなく、悪魔の凄みのある囁きに耳を貸した溺れる者の悪事を招く日なのかもしれないね。