娘が通う魅力的な東京純心女子

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1.東京純心女子のハンドベルの音色に誘われて
2.純心祭で出会った素敵な笑顔たち
3.実はそれほど濃くない宗教色

東京純心女子のハンドベルの音色に誘われて

娘が小学校4年生の頃だったか、高尾にある商業施設に週末に家族で買い物に来てた時だった。
女子校の生徒さんがハンドベルのイベント発表を行っていた。

傍にはシスターの格好をした先生がいて、
それも目を引いた理由でもあったんだけど、元々そういった音楽イベントを聴くのが好きだったこともある。
ハンドベルの美しい音色、女子生徒さんたちの合唱などもあり、耳を楽しませる、心地よい音色は多くのお客さんの
足を止めていた。

私たち家族もその中にいた。
しかし、私が注目したのはそことは全く違うところだった。

ハンドベルのイベントには小さなお子さんがたくさんいた。
イベントではその小さなお子さんに女子生徒さんたちが使い方、音の出し方などを教え、一緒に演奏することができた。
当時小4だった娘はそのイベントに参加。
その時の女子生徒さんの接し方はとても優しく、身にまとう空気感は子供を安心させ、自然と笑顔溢れる穏やかな時間が流れているように感じていた。

その空気感は純粋そのもので、男まさりな雑破な雰囲気など微塵もなく、
女性らしさの優しさあふれるものだった。

そんな女性になってほしい

それが最初の動機だった。
そのハンドベルの優しい女子生徒さんたちは東京純心女子の中学高校の生徒さんでした。
元々、妻がキリスト教系の中学、高校の一貫校出身なのもあって娘にもそう言った学校に通わせたいという願望はあったんだけど、それから東京純心女子中学に興味を持つことになった。

純心祭で出会った素敵な笑顔たち

笑顔が素敵な東京純心女子中学高等学校の生徒さんたち

どんな学校なのか?
それを知るために「純心祭」という文化祭に参加させてもらうことにした。
まだコロナ禍前だったのでそういったイベントにも参加できたんだよね?

学校は少人数でアットホームな雰囲気があり、生徒さんのコロコロと笑い合う、笑顔いっぱいの校風といえばわかりやすいだろうか。

それに先生と生徒の距離感が近く、シスターの校長先生とも格式ばった堅苦しい関係では決してなく、むしろ生徒の方から慕って、親しみを込めて接していることがよくわかる。

何より驚いたのが、男性と接する機会が少ない女子生徒さんにとって、私のようなおっさんが娘と一緒とはいえ、ウロウロしているとなるべく避けたいと思うのが人情だろう。

ところが「何かお困りですか?」

私の目をしっかりと見据えて積極的に声がけしてくれるのだ。
これには感動させられた。


「いやいや、その生徒さんが良い子ちゃんだっただけじゃないの?」


と思われるかもしれないが、そうでもない。
実は1人でアンケート用紙に感想を書いていた時も「どちらから来られたのですか?」と案内してくれた別の女子生徒さんに積極的に会話を振られ、私はタジタジ状態に。


私は女子校なんだから

これでもビビらない純心生にビビる、おっさん

「オッサンは当然無視され、距離を取られる存在」

と当然覚悟していただけに話しかけられるなんて思っても見なかったからだ。

先日、娘の授業参観も、娘の学年の教室がわからずに廊下でボォ〜っとしてると高校生の女子生徒さんが声を
かけてくれて、「どうされましたか?」としっかりと目を見据えて声かけしてくれました。

今人の目を見て会話できる生徒さんってどれくらいいるだろうね?

それに困った人に積極的に声かけしてくれる学生さんってどれくらいいるんだろうね?

学力云々、偏差値、進学する大学等、私学の良し悪しを判断するものはあるんだけど、

どんな人間になるの?ってのがその学校の一番の魅力のような気がする。

そういう意味で、東京純心中学の女子生徒さんたちは本当に魅力ある女性が多く、そんな女性に娘もなって欲しいなぁと思わせるものが確かにある。

実はそれほど濃くない宗教色

すでに書いたけど、元々長崎のシスターが始めた学校でもあってカトリック系の色がある。
マリア様のような女性というのが理想像らしい。

叡智:誠実に考え、語り、行動できる人
真心:他者の心に寄り添うことができる人
貢献:平和を希求し、未来に貢献できる人

学校見学に行くとやはりマリア像がそこら中にあるので見慣れない風景に驚くこともあるかもしれない。

ただ娘の話を聞くとそれほど宗教色は強くないみたい。
聖書を朗読する時間や、お祈りの時間等はあるみたい。
今ではコロナ禍に苦しむ人々のために昼休みにお祈りをするというイベントがあるそうだがもちろん、自由参加。
ただ、5回行くとマリア様の記念コインがもらえるというので参加する生徒さんも結構いるようだ。
娘は「昼飯をゆっくり食べたい」「定期試験が近いから勉強したい」とかで不参加らしい。

ただ、折角の機会だし、なるべく色々参加するようには言ってるんだけど。


宗教はちょっと・・・と思う人もたくさんいるでしょう。
私も最初はそうでした。

私も、キリスト教系の学校出身の妻も、こういってはなんですが無宗教でごくごく一般的な家庭。
東京純心の「純心祭」に参加してちょっと意外だったのが、マリア像の扱いでした。
私の勝手な想像で「偶像崇拝」的な扱いでマリア様の肖像画が学校生活の中で組み込まれてんのかなぁ?とか思ってたんだけどどうもだいぶ違ったようで。

確かに各教室にはマリア様の肖像画が飾られている。
文化祭である「純心祭」では教室には、可愛らしいデコレーションが施され、見る人を楽しませてくれるんだけど、そのデコレーションが「マリア様の肖像画」を横切ってしまってたりするのよね?


マリア様の肖像画が中心となるようなデコレーションではそもそもないことがわかる。
どうも生徒達にとってはそういった肖像画は音楽室の音楽家の肖像画とそれほど違ってたりしないものらしい。
そんなところからも東京純心中学では宗教色は実はそれほど濃くなく、キリスト教の教えの良いところを「心を育てる」という意味で人としての教育に活用しているというふうに捉えてもらったほうがしっくりくるのかもね?


逆に私はこれまでキリスト教としてのクリスマスのイベントなんか参加したことがなかったので今から楽しみでもある。
学校生活のカリキュラムにはボランティア活動なども参加する機会があり、奉仕活動を通して「心を育てる」機会があるようで、そういった経験からも、困った人に手を差し伸べることが「普通」なのかもしれない。

まだ娘は入学したところなのでこれからどういうふうに育ってくれるのか本当に楽しみ。
ただすでに家庭でも娘は少しづつ変わってきているのに気がつく。

娘の受験体験記については以下リンクからどうぞ!摩訶不思議な体験談
中学受験:夢と現実が交差するフシギな体験談



ちょっとしたことだが、他の人が汚したテーブルを自らきれいにしようとしたり。
今まで自分がやったこと以外、いや時には自分がやったことも弟になすりつけて、絶対に手を出さなかった娘が既に変化の兆しがあるのも事実なのよね?
やはりそういった環境に身を置いていることが大きな要因となっているみたいだね?
また、なんと自ら計画して勉強するようにもなってきてるのよね?

その辺の内部事情は別の機会にこっそりレポートするからね?