ナチスの数兆円級の知的財産を強奪した米国の正義とは?

ヒーローの実態なんてこんなもんよ

「日本はなぜアメリカと戦争したの?」
「アメリカ軍はなぜ最強になれたの?」

こんな疑問をお持ちの方、是非この記事をお読みください。(2020/09/07 更新)

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  1. アメリカのいう“正義の戦争”の大嘘を大暴露
  2. 戦争がしたかったフランクリン・ルーズベルト
  3. マリリン・モンローでも作れるアメリカ兵器の凄さ
  4. アメリカの「ペーパークリップ作戦」

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アメリカのいう“正義の戦争”の大嘘を大暴露

ナチスのV2ロケットと言えば、当時世界に先駆けたロケットエンジンだったんだけど、その開発に携わったナチスの科学者クルト・デーブスが、戦後アメリカ宇宙開発の重要拠点「ケネディ宇宙センター」の初代所長だったというのは知ってたぁ?
正義のスーパーヒーローのアメリカ軍が悪の中枢ナチスドイツを叩きのめした!
そして陸軍が暴走した邪悪で、真珠湾攻撃の敵である日本帝国をも叩き潰したんでしょ?って思っているあなた、歴史は勝者のモノだってことですよ!
大義名分と事実とは違うモノです。
戦争とは人と人が殺しあうだけ。
正義も悪もやってること自体は同じ。

「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」

(チャーリー・チャップリン「殺人狂時代」より)

ヨーロッパでナチスが大暴れしていた時、アメリカ世論は戦争には参加しないという意見が大半を占めていた。
なぜ戦争に参加したのか?
それは日本が真珠湾攻撃にてアメリカを不意打ちしたことが大きな原因となっているんだけど・・・
日本は最初からアメリカと戦争する気はなかったとしたらどうする?

戦争がしたかったフランクリン・ルーズベルト

当時日本は朝鮮半島、満洲、東南アジア付近まで領土を広げていた。
それ自体は特に悪いわけではない。
力が正義の時代だし、アジア諸国を植民地にして食い物にしていたのはむしろ欧米諸国だったのよ。

1941年11月27日、アメリカは日本との開戦前の平和交渉の席で、大陸から撤退するよう要求した。
これは絶対に日本は受入れられない条件だった。
日本は明治維新以降、日清・日露戦争で大陸の権益を手に入れていた。
多くの犠牲の上にあった朝鮮半島と満洲の領土を放棄する選択肢は当たり前だけどなかったの。
アメリカはわかっておきながら、わざとそう言った条件を日本に突きつけた。
フランクリン・ルーズベルト大統領は大統領選挙中、こんなことを公約してた

「私は決して、皆さんの息子さんを、外国の戦争に送るような真似はしません」

(フランクリン・ルーズベルトより)

と公約として宣言し、選挙に勝って3期連続で大統領となっていた。
だけど、1939年のドイツのポーランド侵攻を皮切りに、イギリス・フランスがドイツへ宣戦布告。
アメリカは欧州戦争には中立の立場をとっていたんだけど、実は参戦したかったの。
なぜ参戦したかったか?
それはイギリス支援の政策をとっていたので援軍を派遣する必要があった。
でもルーズベルト大統領は参戦しないという選挙公約があったので参戦したくてもできなかった。
1937年ころ、日米はあまり仲がよくなかった。
このころ日中戦争が勃発し、日本は南京政府、アメリカ・イギリスは蒋介石の重慶政府を支援していた。
もちろん日本、アメリカ、イギリスは戦後の中国での自国権益の獲得が狙いだったと思う。
余談だけど、アジアにおける貿易では欧米よりも日本が有利だった。
元々アジアである日本が輸出するのに距離的有利にあったこと。
あと、入念な事前調査で相手を想定した商品を提供する日本の商売は、大雑把な欧米よりもウケがよかった。
それに低賃金での労働力と日本政府からの補助金等で日本製品は激安で提供可能だったこともあり、このころすでに、分野によっては世界トップを凌駕する勢いであった。
アメリカ・イギリスにとっては中国市場から日本がいないほうがよかったのよ。話を戻すと、1941年3月頃、アメリカから重要資源を輸入している日本はアメリカから禁輸処置を取られていた。
そのため、関係修復したかったという理由と、アメリカは欧州戦争の参戦準備として日独伊三国同盟で日本が参戦してくることを防ぎたかったこともあり、日米の和平交渉へ話は流れだした。
この和平交渉なんだけど、日本側の暗号文の電報は、マジックと呼ばれる暗号解読機ですべてアメリカ側に筒抜け状態だった。
日本側の手の内を完全に把握した状態でアメリカは交渉の席についていたことになる。
アメリカ側は11月下旬、日本側から提案された最終案の検討に入っていた。
日本側は交渉の過程で再三にわたり、アメリカと交戦する意思がないことを告げていた。
アメリカ側交渉人コーデル・ハル氏はこの提案を完全拒否すれば、両国が衝突することを回避することはできないと認識していたみたい。
その状況で、アメリカ側からはこれまでの交渉過程をひっくり返し、日本軍の中国からの完全撤退を条件に入れた。
アメリカ側はこれまでの日本への条件提案の中で、満州国を容認するような記述を提示していたが、それすらも最終案では削除されていた。
なのでアメリカの言う「中国」とは私は満州も含んでいたと思ってる。
わざと勘違いしやすいように仕掛けたかもしれないわね。
これは日露戦争以降日本が手にいれた国益、すべてを放棄しろということだった。
戦後、東京裁判でこのハルノートは最後通牒ではないとアメリカ側は言い張ったがかなり無理があると思う。
アメリカ側は戦争するために日本にトリガーをひかせる必要があったの。
戦争反対のアメリカ世論を納得させるためにね。
またアメリカがどうしても戦争したかった理由は、1929年の世界恐慌の影響による不景気が最大の原因だと私は思う。
1938年アメリカは失業率4%となり、「ルーズベルト不況」と皮肉られるほど不景気だった。
では1941年はどうだったかというと、なんと失業率9.1%までになっていたの。だから戦争による軍需産業の需要増を狙うしかなかったというわけ。
アメリカは日本の電報をマジックで暗号化していたが、実は日本もアメリカの電報の暗号化に成功しており、1941年11月以降、アメリカが日本との暫定協定案を検討していることを掴んでいたと思うのよね。
日本外相はその暫定協定案がアメリカから提示されることを確信していた。
だけどでてこなかった。
おそらく、フランクリン・ルーズベルト大統領がコーデル・ハル国務長官に圧力をかけたんだろうと私は勝手に考えてる。
フランクリン・ルーズベルトの言葉を紹介するね。

「日本人は元来警告せずに奇襲をやることで悪名高いから、米国はおそらく、次の月曜日(12月1日)ごろに攻撃される可能性がある。
当面の問題は、我々があまり大きな危険にさらされることなしに、いかにして日本側に最初の攻撃の火蓋を切らせるような立場に彼らを追い込むか、ということであった。これは難しい命題であった。」

(フランクリン・ルーズベルトより)

アメリカ側から最終提示されたこの外交文書は「ハル・ノート」と呼ばれてる。
このノートによって日本は終戦まで300万人以上が戦死することになる。
まさに「DEATHノート」だったというわけなの。日本が最後までアメリカと戦争を避けたかったのはあの圧倒的な物量だったのよ!

マリリン・モンローでも作れるアメリカ兵器の凄さ

アメリカは当時兵器研究は軍管轄で、大量生産は民間に受注という形をとっていた。
アメリカの凄さは兵器の能力というより、量産技術。
あのマリリン・モンローも戦時中は兵器工場で働いていました。
その時撮影したグラビアが有名になり戦後スカウトされたようですよ。
そんなマリリン・モンローでも作業できるレベルまでシンプル化された手順で量産するわけです。
特別な技術者でないとできない作業ではなかった。
ナチスはどうだったか?
というと真逆で、開発力は非常に高く、世界最先端の技術力といっても言い過ぎではなかった

1日に何度も演説するヒトラーの体力に驚愕

戦争中、ドイツではラジオをつけるとヒトラーの演説が聞こえてきた。
それは1日に何度も何度も繰り返された。そうやって民衆を洗脳していったんだけど、アメリカもその放送を傍受していてフシギに思っていた!

なぜ一日中演説できるんダァ?

「いやいや、
もちろん録音放送でしょ?」

(外野のヤジ)

そうなんだけど、当時世界で録音技術があったのはナチスだけでした。
実はあまり知られてないんだけど、既に公衆テレビ電話までありました。
この事実だけでもいかにナチスが技術的に先へいっていたかわかるでしょ?

アメリカの「ペーパークリップ作戦」

戦争末期、アメリカは既に次なる敵をターゲットしてた。
それはソ連ね。
ナチスの兵器技術はソ連とアメリカの取り合いとなったようで。
このペーパークリップ作戦とは、戦後アメリカがナチスの技術を科学者ごと拉致するため、彼らの履歴書の束をクリップでとめていたところからきてる。
I・Gファルベン社というドイツの軍需産業の最大手があるんだけど、この会社、なんとナチスに資金提供していた兵器製造会社なの。
そのI・Gファルベン社を資金でバックアップしてたのがJ・ヘンリーシュローダー銀行というドイツ銀行のアメリカ支社でその関係者がニューヨークの法律事務所「サリヴァン&クロムウェル」に所属するジョン・フォスター・ダレスという人物であのCIA長官アレン・ダレスの兄なのね。
このダレス兄弟はロックフェラー財団の関係者でもあるのよね。
強制労働によってユダヤ人を根絶やしにしようとしたI・Gファルベン社で、あのアウシュビッツ強制収容所を作ったのも彼らなの。
でもお金の流れを辿っていくとアメリカにつながってんのよね。
戦後、I・Gファルベン社の重役連中はもちろんめちゃくちゃ重い刑を課せられました。それはなんと・・・

禁固刑1年、終身刑なし

多分、良心が痛んだでしょう。
悪い事したのに罰せられないのだから。
苦しかったと思うし、辛かったと思う。

こんなに悪い事してお尻ぺんぺん程度とは・・・

そんな大量の技術者、I・Gファルベン社はアメリカにゴッソリ持ってかれました。
ちなみにこの会社被害者に賠償金などは支払っていません。
アメリカは34万件の特許情報、20万件以上の国際特許をナチスより強奪。
価値にして数兆円レベルでしょうか?
ロケット技術の専門家1200名と資料もゴッソリと。

これでは正義のためにはダークサイドの力も必要と悟ったアナキン・スカイウォーカーと一緒ですね?

ナチスのターボジェットエンジンの科学者だったハンス・フォン・オハインは、戦後アメリカのライト・パターソン空軍基地の航空研究所の所長として活躍してたの。
世界初のロケット戦闘機を開発したナチスの科学者アレキサンダー・リピッシュも戦後、アメリカのコンベア社を主導していくことになってる。

つまり、今のアメリカ軍の基礎を築いたのは紛れもないナチスドイツだったというわけ

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