ツタンカーメンの後宰相アイがファラオになったフシギな話

ツタンカーメンの後継は将軍ホルエムヘブって決まっていたのに・・・

「ツタンカーメンはどんな人生だったのだろう?」
「宰相アイって何者?」

そんなミステリーを紹介する記事です。(2020/09/08 更新)

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  1. ツタンカーメンの死後、宰相アイがファラオになったフシギな話
  2. 影のファラオ、宰相アイの絶大な権力
  3. ツタンカーメン期の混乱を収めた功績は宰相アイにあり
  4. 宰相アイとツタンカーメンの墓の大きさの謎
  5. ツタンカーメンの死の真相
  6. 宰相アイの時世、謎の消去

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ツタンカーメンの死後、宰相アイがファラオになったフシギな話

ツタンカーメンと宰相アイ

ツタンカーメンは子供がいませんでした。
正確にいうと死産だったか、生まれてすぐ無くなったかのどちらかでした。
ツタンカーメンの墓から子供のミイラも見つかっているんだよね?
ということでツタンカーメンはもちろん、後継者を指名していました。

それは将軍ホルエムヘブでした。
実は宰相アイではなく、ホルエムヘブだったことに大きな混乱期の意味があったの・・・

影のファラオ、宰相アイの絶大な権力

「宰相アイとは何者なのか?」

という話なんだけど、アメンホテプ3世の正妻ティイの兄に当たる人物なの。
アメンホテプ3世とは、ツタンカーメンのおじいちゃんにあたるファラオで、王族の親族という立ち位置。
しかも古代エジプトの太陽神アメンの大神官という立場だった。

古代エジプトの多神教文化の中でも、”イチオシ”のアメン神

古代エジプトは元々多神教なんだけど、数々の神の中でもその上に立つ神とされたのがアメン神でした。
そのため、ファラオの名前にもアメンの文言が入っているというわけ。
ファラオはアメン神の子とみなされるようになった。

「宰相アイは?」

というとそのアメン神の子、ファラオの身内にして、アメン神につかえる大神官だった。
この時代、神官たちの権力はファラオの存在を脅かすまでになっていた。
宰相アイはアメンホテプ3世、アメンホテプ4世、ツタンカーメンと3代に渡って支えていた大神官で古参家臣だった。

古代エジプトのツタンカーメンの墓から出土したツタンカーメンと妻アンケセナーメンの像
ツタンカーメンとアンケセナーメン

この上の写真はツタンカーメンの墓にあった副葬品で、ツタンカーメンと妻、アンケセナーメンの仲睦まじい姿が描かれている。
ツタンカーメンは9歳でファラオになったけど、そんな子供に世の中おさめられるものではないよね?
さらに彼には不幸な事実が重なっていたことから、実はツタンカーメンの時世から既に影のファラオは宰相アイだったのではないかと睨んでいる。

ツタンカーメン期の混乱を収めた功績で絶大な影響力の宰相アイ

第11王朝以来、アメン神につかえる神官たちの権力は、ファラオをも超えるものとなっていったんだけど、ツタンカーメンは第18王朝。
この第18王朝のツタンカーメンのパパ、アメンホテプ4世の時世、大きな宗教改革があった。
それが多神教をやめ、アテン神一神教とする考え方だった。
このアテン神こそ、ファラオのみを照らす光とし、国民はファラオを拝めよとしたの!
これは、それまで絶大な権力を握っていたアメン神官達にとっては衝撃だった。
だけど、アメンホテプ4世はちょっとやり過ぎてしまい、首都をアマルナへ遷都までやってしまったの。
急ピッチで首都建設をおこなった代償は大きく、この次期、大飢饉が発生したことがわかっており、深傷を負った人骨が多く発見されている。
このアメンホテプ4世の後を継いだのが、ツタンカーメンだったというわけ。
ツタンカーメンは9歳で即位し、ある理由からも力のあるファラオではなかった。※理由については下の「おすすめ記事」にあるよ。
ツタンカーメンの時世になるとすぐ一神教は廃止され、元のアメン神による多神教に戻されたことからも、大神官アリの影響力がファラオをしのいでいた事は明らかだろうね。
それに墓にも影響してるんだよね・・

宰相アイとツタンカーメンの墓の大きさの謎

ツタンカーメンの墓は棺の大きさに比べ、かなり小さい墓で壁画にもカビが生えている。
別に変わったことはなんじゃない?って思うよね?
でも他のファラオの墓の壁画にはカビが生えていた形跡がないのよね?
それに当然、棺よりも墓が大きく余裕がある。
ツタンカーメンの場合、小さ過ぎて壁に擦れて壁画が剥がれた後まであり、ハワード・カーターが初めてツタンカーメンの墓に入った時の証拠写真から現在まで状態が変わっていないことがわかっている。

なぜこのようなことが発生したのか?

実は宰相アイがファラオに即位し、なくなるまでたった3年だったの。
なぜなら、宰相アイがファラオに即位したのは70歳だったから。
研究者の間では、本来のツタンカーメンの墓はファラオのアイが埋葬されていた墓に入る予定だったんじゃないかと言われている。

ツタンカーメンの死の真相

ツタンカーメンの死について色々が陰謀説があるんだけど、陰謀も何も生前から堂々とファラオの権力を乗っ取ってたってのが真相なのではないかと思ってる。
ツタンカーメンの呪いとかなんとか、言われたりするけど、実際呪われていたと言われるほど不幸だったのはツタンカーメン自身だったと思う。

宰相アイの時世、謎の消去

宰相アイの死後、ファラオは将軍ホルエムヘブとなり、アメン大神官には自身の軍人出身の側近とし、権力の復権に成功。
こうして、アメンポテプ4世、ツタンカーメン、宰相アイの三人のファラオの混乱期の歴史は消去された。
おそらく、乱れた混乱期は偉大な古代エジプト王朝史には相応しくないということだろうか。

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