面白くてやばい黒歴史!ドラキュラ伯爵夫人エリザベート・バートリ

なぜドラキュラ伯爵夫人なのか?それは鮮血の黒歴史にあり!

Menu・・・

  1. 拷問に苦悶する亡霊の悲鳴が聞こえるドラキュラ城
  2. 血の貴婦人と言われたエリザベート・バートリとは?
  3. 肉を食いちぎり、鮮血をすするドラキュラ伯爵夫人
  4. エリザベートの黒歴史発覚
  5. その後のエリザベート・バートリ

拷問に苦悶する亡霊の悲鳴が聞こえるドラキュラ城


スロバキアの北西部にあるチェイテ城は、18世紀に戦争によって最後の敗北と略奪が行われた後、廃墟となっていた。

2014年に改装され、観光名所になっている。


私の知り合いの生花の先生がこのチェイテ城とご縁があったようで現地に行き、薔薇をいけるイベントを開催した。


しかし、当日イベントは突如、中止となった。

帰国後、先生は恐怖の色を眼に宿しながら、奇妙な経緯を話してくれた。

実は先生は霊感が強く

「薔薇をいけようとしたら、強く拒否された」

薔薇を拒絶するドラキュラ城の亡霊達

というか

「ここで薔薇を生けるのはいけない」

という説明し難い恐怖感に襲われたらしい。


実はこのチェイテ城、有名な幽霊出現スポットで、夜になるとどこからともなく、仄暗い地下室から女性の声が聞こえるとか。

それは悶え苦しみ、悲鳴のような声だという。


それもそのはずで、このチェイテ城には血塗られた、やばすぎる黒歴史が隠されていた。

エリザベート・バートリのやばすぎる黒歴史とは?


16世紀ごろ、城の内部は獰猛でサジェスティックな女主エリザベート・バートリの餌食となった犠牲者の肉片と死体が乱雑に埋められ、石壁や床には鮮血が飛び散る地獄絵図が展開されていた。


一体ここで何が起こっていたのか?


血まみれの、やばい黒歴史を見てみよう。

血の貴婦人と言われたエリザベート・バートリとは?


「血の貴婦人」、「ドラキュラ伯爵夫人」というやばい異名を持つエリザベート・バートリは、現在のルーマニア、ハンガリー、スロバキアの一部を含む地域であるトランシルヴァニアを支配していた高貴な家族に生まれた。

15歳で、エリザベートは政治的利益のためにハンガリー貴族ナーダシュディ・フェレンツ2世と結婚。

血生臭い黒歴史のエリザベート・バートリ

現在のスロバキア東部のカルパティア山脈の奥深くにあるチェイテ城の貴婦人になった。


ちなみに夫のフェレンツ2世は同族にあたり、近親婚だった。


夫はオスマン帝国との戦闘でほとんど留守だったとか。
実はこの夫のフェレンツ2世は、敵に対して極めて残酷な拷問方法を好んだため黒騎士という異名があった。


エリザベート・バートリの召使に対する拷問も、元々夫が保持していた拷問器具を使ってのもので、おぞましい拷問方法も夫から教わったものだったらしい。


そんなエリザベート・バートリは退屈しのぎか、次第にオカルトにハマっていき、魔女、魔術師、錬金術師など怪しい人物と関わるようになっていったとか。

元々、エリザベートの家系は、財産や権力を保持するため、近親婚を繰り返しており、叔父が悪魔崇拝者、兄弟には色情狂と異常気質を持って生まれる家系のようで、エリザベート・バートリも感情の起伏が激しく、色欲もやはり異常だったとか。


トランシルバニア地方の緑豊かな野原と青い空の狭間で、山羊や牛が放牧されているような、絵画の風景画のように美しい環境の中で、チェイテ城の仄暗い地下室では、薄気味悪い笑みを浮かべるエリザベート・バートリによって想像を絶する醜怪で血生臭い拷問が繰り広げられていた。

鮮血を求めて拷問を繰り返すエリザベート・バートリ


エリザベート・バートリは大変美しい女性で、彼女自身、透き通るような白い肌、妖麗な美の虜となっていた。


そしてそれこそ、エリザベート・バートリがゾッとする拷問で若い少女を殺していた理由でもあった。

永遠の若さ、美しさを保つため、かつて古代エジプトの女王クレオパトラはヤギのミルクで入浴し、元インド首相のモラルジー・デーサーは定期的に自分の尿を飲み、マイケル・ジャクソンは顔を整形していた。


余談だが、クレオパトラが浴びたとされるヤギのミルクは成分が母乳に近く、確かに身体に良いとされていて、実は乳母の職業と大きく関わりがある面白い歴史がある。


興味深いアナザーレポなので是非こちらへ。

乳母誕生にまつわる世にも奇妙な物語!マタニティヌードはあり?


16世紀のハンガリーの伯爵夫人で4つの言語を話す才女でもあったエリザベート・バートリは

若さと美しさを保つために650人の少女を殺害したとされ、ギネスブックにも明記されている。


そこから、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』のインスピレーションの源となったとか言われている。


その理由はエリザベート・バートリのドス黒い血だまりと、狂乱したけたたましい悲鳴にみちた黒歴史から、ドラキュラの吸血ストーリーが生まれたのでは!ということらしいが実は全く異なる。


確かにドラキュラの元ネタとなった吸血鬼伝承が、エリザベート・バートリが活躍したトランシルバニア地方と同じではあるんだけど、ドラキュラの起源は国民的英雄の串刺し公とルーマニアの民間伝承にある。

このドラキュラの起源についてレポ記事にまとめてるので是非是非読んでね。

ドラキュラの由来はルーマニアの国民的英雄と古の吸血鬼伝説にあった!


なぜ、透き通るような白い肌を持つ妖麗な貴婦人が若い血を求めるようになったのか?


それには彼女の壮絶な勘違いが元になっていた。

肉を食いちぎり、鮮血をすするドラキュラ伯爵夫人

美に取り憑かれ、やばすぎたエリザベート


ある日、召使の少女がエリザベート・バートリの髪をくしでとかしていた所、くしに絡まりついた髪を誤って引っ張ってしまった。

その瞬間、怒り狂い、殺気みなぎる獰猛な猛獣の眼にさっと変化したエリザベートは、髪留めで召使いの胸を何度も突き刺し心臓をえぐったとか、鉄の棒で殴り殺したとか言われている。

その際、召使の少女の血しぶきがかかった手を拭うと、そのエリザベートの肌が金色に輝いたように見えたとか。

なんとエリザベートは「処女の血を浴びると肌が綺麗になる」と思い込んでしまった。


エリザベートは錬金術師にこのことを相談したとき、彼らは無責任にもエリザベート・バートリに同意。


エリザベート・バートリは永遠の若さ保つ禁断の秘密を発見した勘違いし、このことが若い女性を、世にもおぞましい拷問の恐怖に陥れることになる。

こうして血塗られた黒歴史の幕が上がってしまったのだ。

エリザベート・バートリは信頼できる家臣や召使、知人の魔術師と一緒に夜に田舎を歩き回り、新鮮な処女狩りをおこなっていた。

処女の血を搾り取るためのグロテスクな拷問の数々


被害者の若い女性達は城に引きずり込まれた。
少女達は天井から裸のままで逆さ吊りにされ、生きたまま喉をガァッと切り裂かれたと伝承は伝えている。

その滴る鮮血はバスタブに溜められ、エリザベート・バートリはドス黒い血だまりに、優雅に白い裸体に沈めたという

処女の血に身を沈めるエリザベート・バートリの変質ぶり

さらに効率よく処女の血を搾り取るために、伝説の拷問器具「鉄の処女」が考案されたという伝承も残されている。

やばすぎる拷問器具「鉄の処女」


時に本当に美しい若い少女がいたとき、エリザベスは肉を食いちぎり、その傷口から鮮血を直接飲み干したと言われている。


美への追求による殺害は儀式になり、エリザベート・バートリの退屈な時間をしのぐ楽しみになっていった。

伝説では、処女の血が石の床に滴り落ちると、エリザベス・バートリは狂乱し、勿体無いとばかりにそれを自身の白い肌に塗りたくっていたとか。

エリザベス・バートリはまだ生暖かい死体のそばにひざまずき、猛獣のように肉を引き裂き、その傷口から血を飲み干したとか。

それはまるで吸血鬼のように。

また、エリザベートは召使や家臣に命じて若い女性の皮膚を切り裂いたり、性器や膣を取り出し、燃えたぎる鉄の棒を突っ込んで拷問を楽しむ、変態性欲者でもあった。

やばい黒歴史だらけのエリザベート・バートリ


1604年に夫のフェレンツ2世が亡くなった寂しさからか、さらに地獄の拷問はさらにエスカレートしていった。

しかし、いつまでも地下室から漏れ聞こえる少女の悲鳴を流石に聞こえないふりをするにも限界があった。

エリザベートの黒歴史発覚


600人以上も行方不明となっている事件がバレないわけがない。


地元の役人達はもちろん、若い女性が夜な夜な誘拐されている奇妙で不可解な状況に気づいていた。

しかし、権力者であり、貴族の名家バートリ家が関わっていることで見て見ぬふりをしていた。

ただそういった状況は長くは続かなかった。

エリザベートの犠牲者は農村の娘だけではなく、他の貴族の娘にも及んでいた。

実はエリザベート・バートリは農村の娘だけでは飽きたらず、貴族の娘に「礼儀作法を教える」ということで城へ招待し、その娘達はバスタブの血だまりに変わり果て、または肉片に変貌していたのだ。

そのことでついに地元牧師や犠牲となった貴族達の告発がハンガリー王家のハプスブルク家の耳に入った。
それに1610年に監禁されていた娘が1人脱走したことで、ついに捜査が行われることになった。

ついに酷すぎた黒歴史が明るみに

城に入った役人達は、度肝を抜かれることになる。

多くの残虐行為が行われた後の肉片と死体が城のあちこちに埋められていたのを発見したからだ。

衰弱した“生ける屍”の生存者も発見した。

公然の秘密とされたエリザベート・バートリの黒歴史が公となったのだ!


がしかし、この事件に関する裁判は奇妙な結果となっていた。

その後のエリザベート・バートリ

鮮血で妖麗な白い肌を磨くエリザベート・バートリ


裁判では耳を覆いたくなるようなサジェスティックな拷問が日夜行われていたことと、

その肉片を食していたことや、

若さを保つために全身に鮮血を浴びていたこと、

黒魔術の召喚儀式をおこなっていたとか証言されている。


被害者の数は、裁判での正式な認定では80人だがハンガリー王マーチャーシュ2世の手紙が残されており、そこには300人と書かれている。


しかし、奇妙なことにエリザベート・バートリ本人の告白によれば、650人となっている。

やばい黒歴史エリザベート・バートリ


しかも、裁判の判決は奇怪なものだった。

エリザベートに命令されて拷問した召使いや家臣は死刑となったが、エリザベート・バートリ本人はチェイテ城の自身の寝室に生涯幽閉となった。


これは裁判長がバートリ一族のゆかりの者だったこともあり、また名家ということも考慮された判決だったとか。


しかし、幽閉された寝室の窓は黒塗りされ、光が一切差し込まない漆黒の闇に包まれたものだった。


エリザベートはその闇で3年半も生き永らえた。
死んだエリザベート・バートリは、かつての妖麗な美の結晶のような美しさはどこかへ消え、まるでミイラのようにシワまみれの妖婆に変貌していたとか。

醜怪な化け物に変貌したエリザベート・バートリ

こうして黒歴史は幕を閉じた。

ドラキュラ伯爵夫人のチェイテ城の地下室で薔薇を生けようとした先生は、

仄暗い闇に取り憑いた亡霊が薔薇を嫌ったのは、美しい薔薇の棘に原因があったのだ

と推測していた。


「薔薇に棘あり」の言葉のように、自分達がエリザベート・バートリの”妖麗な美”の無残な犠牲となったことへの怨念があったのだろう。


そんな亡霊は抑えきれない殺気の色に染まった眼と、ギギギッと歯ぎしり音が漏れるほどの憎悪を放っていたとか。

憎悪と殺気の色がみなぎる亡霊達
ホーム » 歴史 » 中世史 » 面白くてやばい黒歴史!ドラキュラ伯爵夫人エリザベート・バートリ