乳母誕生にまつわる世にも奇妙な物語!マタニティヌードはあり?

なぜ中世ヨーロッパで乳母とロバが重宝されたのか?

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  1. なぜ乳母が存在したのか?
  2. 旦那様の欲の犠牲となった母体と乳母の誕生
  3. 謎すぎる乳母選定の根底にある迷信
  4. 乳母の役割を奪うロバ
  5. マタニティヌードはアートなのか?

なぜ乳母が存在したのか?

これは正直、表裏で別の見解が生まれる。


2021年7月、アメリカの女性ロックシンガー、ホールジーが新譜『If I Can’t Have Love, I Want Power』を発表。
そのジャケットのPhotoが物議を呼んでいる。

ホールジーは、TIME誌が発表した2020年版「世界で最も影響力のある100人」に選出され、ビルボード・ミュージック・アワードではトップ女性アーティスト部門にノミネートされているアーティストなの。

子宮内膜症を患い、その影響で過去に3度の流産を経験していることを明かしているホールジーが、念願のママになった今、なぜ授乳、産後のボディを晒したジャケットを公表したのか?

ホールジーの問題のジャケット


ホールジーの言葉を借りれば

「妊娠中や産後のボディは美しく、称賛に値するとして祝福すべきものです。産後の体型や授乳に関する社会の偏見を根絶するには、まだまだ長い道のりが待っています。これが正しい方向へと進むための一歩となることを願っています」

新譜の日本語訳は「愛が得られないのなら、権力が欲しい」というところから、彼女自身、出産、授乳とボディの変化と、その後の生活に変化が生まれたことに思うところがあったのでしょうね。

だけど、この問題は実は根っこがかなり深く、闇の歴史として脈々と受け継がれてきた。
実は中世ヨーロッパの貴族社会で盛んに使用された乳母という存在の起源もそこにあった。


醜悪と邪な欲が絡んだ歴史がね。

旦那様の欲の犠牲となった母体と乳母の誕生


実は乳母の存在はかなり古い。
古代ギリシアの最古の文明で今から3000年前のエーゲ文明の粘土板にも女奴隷の中に乳母がいたことが判明している。

日本の歴史にも乳母はかなり古くから登場している。
『日本書紀』神代下の別説に、「彦火火出見尊が婦人を集め、乳母(ちおも)、湯母、飯かみ、湯人を決め、養育し、これが世の中で乳母を決め、子を育てることの始まりである」とある。
彦火火出見尊とは初代天皇である神武天皇の祖父らしい。

そんな昔から乳母は存在していたらしい。
身分の高い女性は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えや、他のしっかりとした女性に任せたほうが教育上も良いとの考えから乳母が存在していたらしいが、本当に理由はそれだけだろうか?

乳母との契約についての記録は、古代エジブトのファラオの時代にも確認できる。
古代ギリシアやローマの比較的裕福な母親たちは乳母を雇っていた。

18世紀のヨーロッパでは、裕福な母親たちが自分の産んだ赤ん坊を他人のお乳で育てるのは珍しいことではなかった。
理由はその時代、文化によってそれぞれなんだけど、中世ヨーロッパではズバリ、愛する女性、つまり妻の裸体の美を損なわれることを嫌ったからだと言われてる。

古代から多くの女性の裸体をモデルにした彫刻はあるが、産後、授乳後の裸体をモデルにした彫刻が皆無なのは暗に意味するものがあるように思う。

ツタンカーメン王の乳母、マヤ

美乳にこだわったフランスには、13世紀から乳母を斡旋したり、乳母達の履歴を詳細に調べるための政府機関が多くあった。

なぜそのような機関があったのか?
身元がしっかりした信用できる乳母に!

というのももちろんあったが実は乳母選定には今では考えられない、呆然とさせる秘事があったことが判明している。

謎すぎる乳母選定の根底にある迷信

中世ヨーロッパでは黒死病(ペスト)の流行や、梅毒の流行など不治の病が度々猛威をふるっていた。

なので雇い入れた乳母の乳に病原菌が潜んでいる危険も確かにあった。
慎重になるのは当たり前なんだけど、それだけではなかった。

中世ヨーロッパで猛威を振るった黒死病は乳母の選定にも影響が・・・


なんと19世紀の人々は、乳母の持つ身体的特徴や道徳観が母乳を通して子供に移ると信じていた。
つまり、もし盗癖のある乳母を雇えば、泥棒を育てる事になると思われていた。

19世紀中頃にはフランスのある大臣が、娼婦は自分の子供を母乳で育てるべきではないとまで公言していたの。
もちろん、それは子供が彼女達の淫らな性格を受け継いで堕落してしまうのを恐れてのことだった。


このように、多くの危険性があると考えられていたにもかかわらず、非常にたくさんの女性が子育てのために見知らぬ女性に自分の子供を預けていたのは逆にびっくり。

そんなに乳母が信用できないなら、自分で育てれば?って普通に思うよね?
でも当時の女性は子育てよりも旦那の欲をとり、それこそが乳母を雇い入れる大きな動機となってたの。


カトリック教会も父親が不義密通を犯すよりは、子供に乳母をつけたほうが良いという意見だった。そもそも結婚という考え方も、あちこちに手を出す男性の底無しの欲望に足枷にする意味で生み出されたものなのよね?


古代から、母乳を与えると美乳を保つことは難しいとされ、時によっては膨らみ、時には縮んでしまう。

また、授乳の結果、跡が残り、形が崩れたり、乳首が割れて炎症を起こし、一生消えることのない傷となると考えられていた。

乳母はその美を保つために必要不可欠な存在とされていたっぽいね。
ただ、母親も乳母も母乳をあげられない時期があった。

中世ヨーロッパでは梅毒が大流行した時期があった。
フランスで子供を育てるために動物が使われるようになったのは、16世紀に流行した梅毒が初めてヨーロッパを襲った時だった。

梅毒にかかった赤ちゃんは頻繁に捨てられ、間もなく捨て子を預かる病院の乳母も病気にかかっていると信じられるようになった。
そこで赤ちゃんに固定食を食べさせるよりも、動物達の乳首から乳を与えるほうが良いとされたみたい。

ミッシェル・ド・モンテーニュは1570年「村の女性が子供に母乳をあげられない時にヤギを連れてくるのはよくある光景だ」と書いている。

梅毒で仕事を失う乳母達。思わぬライバルが出現


ところが、ここで大問題が発生!
当時は動物も含め、母乳を通して道徳心が子供に移ると信じられていたため、動物の選択はとても重要な決断だった。

羊は従順すぎるし、メス狼は孤児達に良い影響を与えないと考えられていた。
豚も社会から嫌われていた。

ヨーロッパの人々が下した決断は、ヤギか、よく言えば優しそうで、悪く言えば、アホっぽいロバでだった。

だけどおそらく富裕層はロバ、庶民はヤギだったのではないかと思う。
なぜなら、中世ではヤギは悪魔として扱われることもあったから。
ヨーロッパの中世後期に魔女狩りというのが流行した時代、魔女は土曜日の夜にホウキやヤギの背に乗って宴会に集まってくるとされていた。
あの有名なゴヤが描いた「魔女の集会」には巨大で恐ろしげなヤギが描かれてたしね。

おそらく、ロバよりも格安だったのではないかと思う。
そのロバは?というと実は結構昔から重宝されていた歴史があったりするんだよね。

乳母の役割を奪うロバ

ロバのミルクは、古代エジプト以来、消化と美容の目的で馴染みのあるものだったみたい。

実は古来より大人気だったロバ

古代エジプトの女王クレオパトラは、肌の美しさと若さを保つためにロバのミルクを浴びたと言われてる。
伝説によると、彼女の毎日の入浴に必要な量のミルクを提供するには、700頭以上のロバが必要だったみたい。

ローマ皇帝ネロの2番目の妻であるポッパエアサビーナ(30〜65歳)の場合もそうで、ロバのミルクは顔のしわを取り除き、肌をより繊細にし、その白さを保つと一般に信じられ、それはよく知られている事実だったみたい。

当時の富裕層の女性はそれで顔を1日7回洗う習慣があり、その数を厳密に守っていたとか。
実際、ポッパエアサビーナはロバのミルクだけで準備された座浴をしてたとか。

また、ナポレオンの妹であるポーリーヌボナパルト(1780–1825)も、彼女の肌の健康管理にロバミルクを使用してたと判明してるのよね。


古くからそういった歴史はあったみたいで、ヒポクラテス(紀元前460年から370年)は、ロバミルクの薬用使用について最初に書いたものがあり、そこには、中毒、発熱、感染症、浮腫、創傷治癒、鼻血、肝臓障害など、さまざまな症状に処方されたとある。

ローマ時代には、ロバのミルクが認められた治療法だったみたい。
プリニウス・プリニウス(西暦23〜79年)は、百科事典の著作であるナチュラリスヒストリアで、その健康上の利点、つまり、発熱、倦怠感、眼精疲労、歯の衰弱、顔のしわ、中毒、潰瘍、喘息、および特定の婦人科の問題と戦うことについて広範囲に書いている。

母乳に近いロバミルクで乳母もタジタジ


実はロバミルクの総組成に関する公表されたデータは、牛乳、羊乳、山羊乳と比較した場合、乳糖、タンパク質、灰分レベルが母乳に近いことを確認されている。
そんなロバミルクの美容効果は現在の化粧品でも用いられてるらしい。

ロバミルクは、子供たちが汚らわしい野獣のようになる可能性が低いとされ、よくわからんが道徳面からもヤギよりも高く評価されていた。
多くの著名な医者たちは、一般にロバの乳は病気に効き目があり、毒消し効果があるというヒポクラテスやガレノスの言葉を繰り返した。
ガレノスはロバの乳が腐るのを恐れて、ロバを患者のベッドのすぐ近くに連れてきたという。

ロバによる授乳は、驚いたことに、その後低温殺菌されたミルクや信頼性の高い粉ミルクが世の中に出てきたにもかかわらず、フランスの養育院で20世紀初頭まで行われていた。

マタニティヌードはアートなのか?

これまでみてきた通り、大地から蘇った古代の美術品たちは女性を美の象徴とした。

子を抱く母を聖母マリアに見立てた絵画は多くの巨匠達によって描かれてきた。
しかし、現在、多くの海外アーティストたちがマタニティヌードを公開している。

賛同もあれば否定もあるだろうが、新たな生命を宿した神秘な姿は言葉に変えられない美しさがあるが、ずるい言い方をすれば、マタニティヌードを美と定義した古代〜中世の彫刻などの美術品をみたことはない。

人間の長い歴史の中でこの問題の解決策として登場したのが乳母であったように私は思う。
ホールジーが問題提起したことは一石を投じたが、その波はやがて静まり、その石は池に沈んでしまい、何事もなかったように忘れられるだろう。

乳母はもういらないのか


中世ヨーロッパではこの問題を乳母で解決していた。
やがてその役割は微妙に代わり、ロバにとって代わったが、結局「美」に対する価値観は何も変わらず現在に至る。

つまり、これからも変わらないことを歴史が証明してしまっているということだ。
ただ、男性側に偏った見方かもしれない。これまでは男性が「女性の裸体はアート」であると定義してきた。

今の男女平等の社会で女性が「マタニティヌードはアート」だと新たに定義し始めたということかもしれない。

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