ヴァチカンがナチスサイドで暗躍してた?そんなことはなさそうだ
「カトリックのヴァチカンが本当にナチスを助けたの?」
「ヴァチカンとナチス、特にピウス12世はヒトラーのホロコーストを批判できなかったのはなぜ?」
そういう疑問を持つ方に向けた記事なります。(2021/04/02 更新)
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- ヴァチカンがナチスのホロコーストを批判できなかった理由
- ナチス一党独裁に暗躍するヴァチカン
- 元ナチス逃亡ルートをヴァチカンが支援?
- ナチスとヴァチカンの黒い関係
- 謎のナチス式キリスト教の”積極的キリスト教”
- ナチスがヴァチカンと政教条約を結んだ理由
- 強制収容所へ輸送される聖職者たち
- ヒトラーの教皇と呼ばれたピウス12世
- ナチスが画策したバチカン市国滅亡の恐怖
ヴァチカンがナチスのホロコーストを批判できなかった理由
理由は色々ある。
ヴァチカンとナチス、いやヒトラーとの歴史を紐解くと、ガッツガツと一糸乱れぬ、不気味なナチス式行進の軍靴音の騒音に巻き込まれた感がある。
なぜ人間の良心であるヴァチカンがホロコーストを批判できなかったのか?それはまずはヴァチカンがどのようにしてナチスに巻き込まれていったのかを見てみよう。
ナチス一党独裁に暗躍するヴァチカン
再び、プロテスタントにドイツを奪られるわけにはいかなかったのよ。
ナチスが台頭する1933年以前のドイツ革命から始まった混沌とした時代の中で政教条約を結んでいたヴァチカンは、ドイツ帝国時代は不自由を強いられていたから。
ドイツ帝国時代は国境がプロテスタントだったからね。
ヴァチカンはカトリックだから、ドイツ国内では肩身が狭かったわけなのよね?
なんだけど、ドイツ帝国が倒れたあとのワイマール共和国とヴァチカンでコンコルダートすることで自由を手に入れていた。
ところでコンコルダートとは、政教条約のことで、ざっくり簡単に言ってしまうと各国政府とカトリック教会の代表ローマ教皇との間で結ばれる条約のこと。
国家とはいえ、教会内部の叙任権は教会のものという条約を締結することを意味するのよ。
西欧では古代末期以来、私領に建てられた聖堂(私有教会)や修道院が増えていったが、その種の聖堂の聖職者あるいは修道院長を選ぶ権利(叙任権)は土地の領主が持っていた。
また、世俗権力が強大化していくと、その地域の司教の選出に対しても影響力を及ぼすようになっていった。
これは少なからぬ教会財産の管理権を握ることと直結していたので世俗権力にとっても重要だったのよね。
そして、ヴァチカンがその国の政府を認めることも意味しているのよ。
実はこれがナチス台頭に大きく貢献してしまうのよね?
元ナチス逃亡ルートをヴァチカンが支援?
第二次世界大戦後の1945年4月30日、ナチスドイツの総統ヒトラーは総統官邸地下壕で野望半ばで自決する。
ナチスの残党は皆ドイツ帝国内で連合軍側に捕虜として捕まったわけではなかった。
アウシュヴィッツで「死の天使」と言われたヨーゼフ・メンゲレ医師、ユダヤ人迫害の最高責任者アドルフ・アイヒマン、「リヨンの虐殺者」と恐れられたクラウス・バルビーなど、名だたる悪魔たちがなぜか南米まで逃亡し、各地で潜伏していた。
実はベルリンで戦死したと言われていたヒトラーの後継者とまで言われたマルティン・ボルマンも南米でナチスの再起を図っていたとか、ミステリアスな話がささやかれている。ちなみに現在彼の遺体を調査することはなぜか法律で禁止されている。
こちらについては別記事でまとめているのでそちらをどうぞ
この元ナチスの残党の逃亡をヴァチカンが支援してたのではないかと言われている。
カトリックの信徒組織インターマリウムが、元ナチスの残党を支援してたとか、実はそのインターマリウムは資金的にアメリカのCIAとつながりがあるようだ。
戦後アメリカはペーパークリップ作戦でナチスの科学者をごっそりアメリカに引き込んでいる。
その中の1人、ナチスのオーパーツとまで言われたV2ロケットの開発者フォン・ブラウンはあのNASAの初代所長で月面に人間を送り込んだ偉人のひとり。
このナチスの宇宙人と言われた科学者が戦後、とんでもないものを作っていた!
詳細は別記事にまとめてるのでそちらをどうぞ
よく逃亡ルートを確保していた最大組織として「元ナチスの親衛隊隊員のための組織」をドイツ語にした「Organisation der ehemaligen SS-Angehörigen」の頭文字からとった秘密組織オデッサの存在が取り上げられることが多い。
だけど、近年の研究から、このような大規模な組織はなかったことがわかってる。
ただし、ナチス幹部の1人はカトリック宣教師ファン・ヘルナンデス名義のパスポートで南アメリカに逃れたことが確認されている。
またオーストリア人アロイス・フーダル司教はバチカンに働きかけ、フランシスコ会やイエズス会などにナチスの残党を匿い、偽名の難民パスポート発行するなどして逃亡を助けたことも明らかなの。
ヴァチカンが逃亡を助けたのか?は限りなく黒に近いグレーと言わざるを得ないよね?
ナチスとヴァチカンの黒い関係
そもそもヴァチカンは、ドイツ革命以降、ナチス台頭以前のドイツでカトリック系のドイツ中央党を通して大きな影響を与えており、ドイツ・カトリックの関係者が国政に参加することも珍しくなかった。
1917年のロシア革命以降、共産主義の革命の風は世界中に吹き荒れていたんだけど、カトリック教会にとって共産主義国家ソビエトの「宗教は民衆のアヘン」と切り捨てるところが、共産主義とは共存できない最大の障壁だった。
ナチスはその共産主義をユダヤ人と同じくらい嫌っていた。
そういったところからもヴァチカン側にナチスに共感できる部分もあったのよね?
ナチス台頭後、ドイツ中央党党首フランツ・フォン・パーペンが自分を首相の座から辞任に追い込んだ前政権のシュトライヒャーに対する個人的な恨みからナチスに接近する。
1933年1月10日、ナチスが政権を握った時、フォン・パーペンは副首相に就任する。
ヴァチカンにとってキリスト教徒であるフォン・パーペンが副首相となったのは大きかった。
ヴァチカンは、ドイツでの教会権利をワイマール共和国に引き続き手に入れたい権利だったから。
しかし、かなり大きな壁があったの。
実はナチスにはカトリックとは全く異なる独自の宗派を推奨していた。
それもヒトラー的なキリスト教なのよね?
謎のナチス式キリスト教の”積極的キリスト教”
実はヒトラーにはキリスト教に対して不満があった。
イエス・キリストは何もかも受動的ではないか?というのだ。
つまりわかりやすくいうと「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」とか、ヒトラーに言わせれば、「なぜ右の頬を殴られるまで待ってんだ?」ということなのよ。
伝統的なキリスト教信仰は、何事も受け身的。
そうではなく活動的な説教師、組織者、当時支配的であったユダヤ教に反対する戦闘者としてのイエス・キリストの燃えたぎる願望に向かう「積極的」な面を強調するよう求めていた。
人間は、「燃えたぎるような願望」をうまく利用すれば使い道の良し悪しは別にして、その願望は必ず叶う!
この願望についてまとめた別記事があるので興味のある人はどうぞ
>> “思考は現実化する”では50%、それでは願望はまだ揺らぐ
積極的キリスト教の主な教義
- 聖書のユダヤ人が書いた部分を却下 旧約聖書は全て
- イエスの死後にその教義を「ユダヤ人が改竄した」のが現在のキリスト教
- イエス・キリストがユダヤ人であることを否定
- 宗派上の相違を克服し、カトリックを根絶し、プロテスタントをキリスト教で国家社会主義者の1つの教会に統一するための国家的統一の政治的主張
なんかイエス・キリストにちょびひげが生えてそうなんだけど。
ここからもカトリックとは全く考え方そのものというか、違う宗教になってしまってるんだけど、手を携えて行くには厳しいところがあるよね?
しかし、なぜかヴァチカンはヒトラー政権を容認する発言をしてしまうのよね?
ナチスがヴァチカンと政教条約を結んだ理由
1933年3月13日にはミュンヘンのミヒャエル・フォン・ファウルハーバー大司教が教皇ピウス11世の言葉として
「貴殿(アドルフ・ヒトラー)はボルシェヴィズム(共産主義)と手を切った最初の指導者である」
とヒトラーを賞賛したという報道がドイツで大々的に報じられた。
3月23日にはナチス政府が「政府声明」を行った。
これをうけてそれまでカトリック教徒のナチス参加を厳禁としていたが、3月28日にはカトリック教徒のナチ党参加禁止令が解除された。
ナチスはこれを「カトリック教会がナチス・ドイツを承認した」と喧伝した。
こうしてカトリックのヴァチカンと積極的キリスト教の協力関係が構築されていった。表向きはね。
当時ローマ教皇だったピウス11世が認めたことでドイツ中央党はなんとナチスの全権委任法に賛同してしまう。
これはライヒスコンコルダート(政教条約)を締結する目的があったからだと推測する。
Give&Takeよね?
それが証拠に1933年7月、ピウス11世とヒトラーの間で政教条約が結ばれる。
これによってナチスドイツでもカトリック教会が自由に活動することが保障されたというわけなんだけど、実はこの条約の中にはヒトラーの野望が隠されていた。
ドイツ国内に於けるカトリック教会の存在が認められ、聖職者の人事も教会の同意無しには動かせないと定められた。
ただし、 32条には
「(教会側が)ドイツ国や州において聖職者が政党に参加することを禁止する布告を出す」
という条文があり、これは聖職者が多く参加していたドイツ中央党の解散を示唆していた。
これを皮切りに他の政党は次々に解散、ついにはナチスの一党独裁かつ、全権委任法の特権をもった独裁者が誕生したのだ。
強制収容所へ輸送される聖職者たち
ナチスにとってはカトリックなどそもそも考え方が違うし、目的通りナチス以外の政党は解散させて一党独裁体制を構築できた。
それ以降感謝してカトリックはナチス政権で重宝された?ってなわけはなく、当然用事は済んだということで聖職者は強制収容所へ送られていた。
ナチスは36年ごろから政教条約を無視しはじめ、カトリック教会の青年運動などを弾圧、カトリック教会との対決姿勢を見せはじめたのよ。
ピウス11世の回勅「身を焼かれる憂いをもって」は、ドイツにおけるカトリック教会の悲惨な状況を述べている。
ナチズムを“新興邪教”として非難し、特に人種・民族・国家の神聖化は最もひどい退行であるとした。
更に、ナチスのユダヤ人の取り扱いについても、 改宗する限りキリスト教徒と同じであると主張、糾弾している。
ちなみに回勅とは、教皇の公言で日本で言うところの「天皇陛下のお言葉」のような位置付けだろうか。
おまけに、ゲルマン民族主義的ドイツ風(積極的)キリスト教の教義は全て野蛮な邪説であるとまぁ、はっきりと言ってはならない本当のことを言ってしまったわけなのよね?
当然、怒り狂ったヒトラーは聖職者の弾圧を強めた。
回勅を印刷したドイツ国内の印刷所は接収され、カトリックの聖職者や修道士は次々に裁判に掛けられ、高位のカトリック聖職者は強制収容所に投げ込まれた。
超世俗的位置を堅持していたカトリック教会の壁を破って、現実社会に関心を持ち続け、ナチスに対し、公然と批判したピウス11世は1939年に亡くなってしまう。
そしてヨーロッパ各地にゲットーが建設され、絶滅収容所の建設が進められ、ホロコースの影がそこまで忍び寄っていた。
そんな激動の真っ只中に亡くなったピウス11世の後継者は現在までかなり批判されてる教皇なのよね?
ヒトラーの教皇と呼ばれたピウス12世
前教皇のピウス11世の時、枢機卿国務長官として外交分野で活躍し、ドイツワイマール共和国との政教条約締結に大きく貢献し、また、ナチスドイツとも1933年の政教条約締結で主導的立場にいたエウジェニオ・マリア・ジュゼッペ・ジョヴァンニ・パチェッリが、ピウス12世として1939年に教皇に即位。
彼こそ、戦後歴史家の中では「ヒトラーの教皇」と悪名高い教皇として認知されている。
その理由としてはナチス・ドイツがユダヤ教徒を殺害していたことを知りながら対策を講じなかった。
それにホロコーストについて非難するような回勅を発表していないこと、黙殺したことなどから来ている。
ホロコースト研究者の間では・・・
「ローマに住むユダヤ人が連行されているにもかかわらず一貫して沈黙を通した」
「ユダヤ人の抹殺を看過するかわりに、ヴァチカンがはっきりとユダヤ人迫害を非難すれば、ドイツも決して思い通りにはできなかった」
という見解が主流だが果たしてそうだろうか。
またピウス12世はユダヤ人のホロコーストについて認知していたのか?
ところで、そもそもなぜヒトラーはユダヤ人を絶滅させようとしたのか?反ユダヤ主義だからとはよく見かけるが、それだけではやはり納得できない。
なぜナチスは反ユダヤ主義になったのか?
実はナチスが台頭した理由にもつながってくるのよね?
その辺りのことを別記事にまとめてるのでそちらをどうぞ。
実はアウシュヴィッツには元ポーランド人のヴィトルト・ピレツキというスパイが潜入捜査していた。
あんな地獄へ潜入捜査してた変態が、いや英雄がいたなんて知らなかった。
詳細を読んでみたい方はこちらをどうぞ!おすすめです。
これはヴィトルト・ピレツキのアウシュヴィッツ報告書の日本語訳です。
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このピレツキのアウシュヴィッツ強制収容所の内部の様子を報告した文書がポーランド亡命政府に渡っていた。
当時ポーランド亡命政府はイギリスにいたため、ピレツキのアウシュヴィッツ報告書はイギリス政府にも知れていた。
当然、ヴァチカンの耳にも入っていたに違いない。
1941年6月、ナチス・ドイツ軍がソ連に侵攻すると、ローマ教皇ピウス12世はこれを全面的に支持はしないものの、「キリスト教文化の基盤を守る高潔で勇気ある行為」と論評した。
ドイツのカトリック教会の中には、この侵略を「ヨーロッパ十字軍」として支持するものまであった。
表面的にはナチスを支持していたかも知れない。
しかし実際はどうも違ったようで、第三帝国内の聖職者の絶滅収容所送りを暗に阻止していたという可能性もある。
実際、アウシュヴィッツに収容されてた聖職者が1941年、1942年と、より環境が良いダッハウ収容所に移送されているのだ。
これはヴァチカンがナチスの同盟国イタリア経由でナチスに影響を及ぼしたとヴィトルト・ピレツキは報告している。
ヴァチカンはナチスとの関係改善を図り、聖職者の生命を守っていたと考えられる。
ナチスが画策したバチカン市国滅亡の恐怖
実はナチス内部ではヴァチカン市国に対して攻め滅ぼす計画もあったことがエヴァ・ブラウンの日記から判明している。
一部引用してみよう。
「あの人(ヒトラー)は、あのときはまさに烈火のごとく怒った。
あれはローゼンベルク相手にカトリック教会の問題について話していたときだった。
ローゼンベルクが『カトリック教会の聖職者たちを牢獄に送り、ローマ教皇を幽閉すべきではないでしょうか』と進言したとたん、あの人は『おまえは教皇の座を狙っているのか』と言って、突然、怒りだした。
何の前触れもなかった。
本当に激しかった。
『おまえのような男が東方地域を担当するから、経済が悪化するのだ。 おまえは敗戦から何を学んだのだ』と叱りつけた。
ローゼンベルクは青ざめていた。
一言も発しなかった。
あの人の怒りは収まらなかった。
『ゲーリングはバチカンヘの爆撃を言い出し、おまえは教皇の逮捕を言い出す。
なんとも役に立たない連中ばかりそろっている』と罵った。
ローゼンベルクが『総統…』と言って口をはさもうとすると、あの人は『いま必要なことは教会を排撃することではなく、争わずして従わせることだ。
今後、教会の問題はヒムラー(SS長官)に任せる。 聖職者を監視下におき、必要とあれば、監禁する、あるいは利用する』と言った。 あの人の怒りは本当に激しい怒りだった」
前教皇は真正面からナチスを批判することで聖職者としての正当性、人間性やモラル、名誉を守ろうとしたかも知れない。
しかしそれは聖職者を、ユダヤ人と同じ運命であるホロコーストにされるという犠牲のうえに成り立っていたのだ。
しかし、ピウス12世は違った・・・
名誉なんかより、巨大な悪から小さなヴァチカン市国と聖職者の生命を、「ヒトラーの教皇」とまで批判されながらピウス12世は守っていたという見方が実は正しいのではないだろうか。
それに戦後、ナチスの逃亡を助けたとは言われているが、教会の関与説はほぼ確実なんだけど、ヴァチカンが組織的に逃亡に関与したかは断定できない。
ただ、
「カトリックであることを示しさえすれば、国籍や政治的信条に関わりなく、いかなる人間でも助けるというのがローマ教皇庁の方針」
というのをナチスの残党が悪用したというのが実情ではないだろうか?
「困った時の神頼み」というところだろうね。
これでバチカンが全面的に関与したと批判されるのはヴァチカン側からすれば反論したいところだろう。
2021年3月2日、ヴァチカンは戦後ずっと未公開としていたピウス12世の関連資料の公開に踏み切った。
現職のフランシスコ教皇はひとことホロコースト専門家に
「教会は歴史を恐れていない」
と述べている。