美味しい鶏肉の話

長らく更新してなかったんだけど、実はここで書いていた記事で書くのが楽しくなってね。

小説を書いてみようと思ったんだよね。

そこで大好きな本能寺の変を題材にして小説を書きました。最後に更新してからだから2022年7月くらいから10月までかかったかなぁ?

実は本能寺の変についてはこのブログでも時々記事にしていたこともあって、10年前くらいからずっと好きで読みあさってた題材でもあって、「私の本能寺の変」ってのがあったんだけど、そもそも今の日本の歴史って、当然実証主義であって実証できないと歴史ではない。まぁ、わからないではないが、昔から歴史官なる人物がいて歴史を監視してきたわけでない。だから、そもそも実証なんて難しいのよね。

だから、小説のネタにはもってこいなんじゃ!って思ってね。
これまで描かれたことのない視点の本能寺の変になったんじゃないかと自負している。

それでオール讀物の「松本清張賞」に応募してみた。応募要項には約10万字以上と。

書けるのか?俺に!!

そう思うよね。だけどプロットをしっかり作っていれば、かけるものだと思ったよ。
最終的には400字詰め原稿換算で、370枚以上で完結できた。
軽く10万字以上になった。

書きたいシーンはたくさんあったんだけど、小説とはもちろん文字だけの世界。
自分のイメージを読者の人にうまく伝えられるかは、選択する言葉そのものに依存することになる。
だから、終始言葉探しの旅だった。

本当に面白かった。
物語を作ることってこんなに楽しいのか!って思ったよ。

是非、このブログに立ち寄ってくれた人たちにも読んでもらって感想が知りたいんだけど、審査中だから、Web公開はできない。残念。

今、来年のオール読物の新人賞に応募するため、怪談話のネタを考え中なんだよね!
それに三人称一元視点の書き方を勉強中なのだ。

昔は神視点で登場人物全ての心情を描くことが主だったらしいんだけど今では古い形式に分類されるらしい。
登場人物の視点なんだけど、三人称の形式をとって一人称にとらわれずに世界を描くこと、つまり三人称一元視点が主流なんだって。

なかなか難しい・・・

そこで練習にひとつ、思いついたネタを描いてみた。もしよかったら読んでみてくれない?
コメントなんかもらえるとめちゃくちゃ嬉しいでーす。

あくまで三人称一元視点の練習なので皆様、お手柔らかに!
じぶん、褒めて伸びるタイプなので……

美味しい鶏肉の話

寝返りをしながら、崇史は声にならない声で呟いた。
「あぁ、起きてもた……」
それは当然だろう。隣で寝ている妻の目覚まし時計がなったからだった。昨日仕事で刺さる出来事があったからか、何かモヤモヤとするものが解消されない。それは納豆をかき混ぜた箸にいつまでも糸が絡み、なかなか次の行動を取れないもどかしさに似ているかもしれない。穏やかならざる闇が覆い、崇史は何も手をつける気分になれなかった。だからこそ、いつまでも夢の中に浸っていたいと思ったわけだ。しかし、それほど愉快な夢を見ていたわけでもなかった。起きた瞬間、太陽に照らされた霜のようにその夢は消えていった。目は閉じていたが、起きてしまったという意識はしっかりと現実に呼び戻されていた。
 今日は休みの日だが、妻は仕事、娘は土曜日も登校日の学校に通っている。そのせいか、土曜日の朝は不機嫌になっている。娘はキリスト教の学校に通っている。土曜日も登校するというのは、神は七日目を休日とすることを決めたことから来ているのか?そうとなると生徒から、
「神様は現実をわかっていない」
と恨み節が聞こえてきそうである。
 崇史は今、一つのことを考えていた。平日なら、朝起きて下へ行くとコーヒーが用意されている。いつもそのコーヒーが朝ごはんなのだ。しかし、今日、崇史は休日。コーヒーはないはず。それとも妻は起きてくることを予想して作っているか。どうでも良いことだが、何か気になってしまう。
 私はゴソッとおもむろに起き出してトイレに行き、下の階へ降りて行った。
「おはよう……」
と妻に声をかけた。毎朝、パンを2枚食べないといけない妻は時間に追われながらもしっかりとパンに齧り付く。
「……おは」
————今話しかけるな!忙しい!喰らうのに!
と言わんばかりに妻が迷惑そうな視線を投げながら言葉を口にする。
テーブルに目をやると、いつもの黄色の大きなコーヒーカップが置いてあった。どうやら、崇史が起きていたことを妻は悟っていたようだ。温かいコーヒーがそこに置いてあった。
 数週間前、コロナで息子と妻を隔離した。そうしたことで崇史が気づいていなかった妻の家族への心遣いが炙り出しのように表に現れた。
 うちのトイレはコントローラーがついていて、そこを操作することで水を流せる。よく考えると絶対にトイレから持ち出すことがないコントローラーなのだが、壁から外して自由に持ち運べてしまう。ある意味無駄な機能なのだがその日、電池切れしていた。
 そうなるといつもコントローラーからしか水を流さない崇史はコントローラー以外で水を流せないという、ありそうでこれまでに陥ったことのない状況に置かれてしまった。崇史は便器を探してみたが、流せるよ!って語りかけてくれるような取手はどこにも見当たらなかった。
————一体パナソニックのこのトイレの設計はどうなってんだ!コントローラーが生命線かよ!
思わず舌打ちしてしまう。
 ちなみにウォシュレットすらも使えなくなってしまった。汚物から醜悪な臭気が放たれる。このままここにいては体臭と勘違いされるほど染み付いてしまうのではないかと崇史は違う方向に頭がよぎる。こんなことはこの家に住み始めて十数年になるが一度もなかったのだ。それはたまたまコントローラーが切れる状況に遭遇しなかっただけなのか?いやそうではない。この十数年、妻が電池交換をしていたのだ。
 崇史はいつも妻が出勤する崇史のために玄関に靴を並べてくれていた事を思い出していた。何気ない心遣いかもしれない。玄関に降りて行き、靴を履いて振り返り、見送る妻と子供達に「行ってきます」と挨拶をする。この動線の中で、いつも靴がきちんと履きやすいように事前に並べられていることに、そうしてくれた妻の心遣いに寒い玄関があったかくなったのを思い出していた。
 今朝、何気なくコーヒーカップを持っていつものようにテレビの前に腰掛けてコーヒーを啜った崇史は、温かいコーヒーが喉を通る前に、テーブルにいつものコーヒーを入れてくれている黄色のプーさんカップが置かれていたことにちょこっとあったかい気持ちになるのだった。

 そんな崇史の頭は小説のネタで頭がいっぱいになっていた。自分で世界を構築していくのは神にでもなった気分だ。崇史は脳内タイムスリップしていた……

コーヒーを啜る崇史は江戸時代にいた。

強風が吹けば、消し飛びそうなボロ屋の軒並みの通りを歩く。
「オ・イ・シ・イ・ヨ」
というおよそ人とは思えない声が崇史の耳を誘う。ふと見るとそれは人間ではなく、どでかい鳥だった。その鳥は木製の鳥籠の中で行儀よくして、店先に吊るされていた。そして通りを歩く崇史に声をかけたのだ。そこはなんと鶏肉屋だった。
 崇史は思わずギョッとして目を疑った。鳥に鶏肉の呼び込みをさせる店主は商才があるとは到底思えなかったからだ。
「誰が喰らうっていうんだ、その鶏肉。痛くて喰えるか!」
崇史は怪訝な顔で思わず声が漏れ、身震いした。その鳥からすれば、仲間の鳥の皮を剥がされ、首や羽も捥がれ、肉に斬り刻まれた屍体以外の何物でもなかった。


「ハ・キ・ケ・ガ・ス・ル」
と話したいところだろう。店主や通りを歩く人間は同胞の肉やしたたる血に眼を剥いて涎を垂る物怪か、妖怪にか見えないだろう。
 「オ・イ・シ・イ・ヨ」という言葉しか知らないその鳥が本当はどう思っているのだろうか、崇史は物思いに耽る。もし言葉を話せるのならば、その可愛らしい声色でおぞましい、罵りの言葉が聞けるかもしれない。通りを行く他の客の顔を見るとそんな鳥の気持ちを知ってか、知らずか苦笑いで通り過ぎていく。誰も買おうとする者など皆無だった。
「コ・レ・デ・モ・ク・エ・ル・カ」
と言われているような気がするからに違いない。しかし、意味もわからず、「オ・イ・シ・イ・ヨ」という言葉しか話せない鳥はもしかしたら、「こんな言葉も話せるんだよ」と小さな子供が母親に褒めて欲しいばかりに自慢げに話すような気持ちなのかもしれない。だとすればその鳥が意味を知ると全身の羽が抜け落ち、それこそ鳥肌もんに恐怖するだろう。
 崇史はそんな事を思いながらその鳥を眺めていた。そんな崇史の中で沸々と沸き起こる義侠心に戸惑いすら覚えていた。あまりにも哀れすぎる。鳥ならばその羽を大きく広げて、人間には見れない青空から下界を眺めるべきなんじゃないか!それこそが翼を与えられた鳥の特権なのではないか。崇史はそう思えてならなかった。
そして崇史は意を決して鳥籠に手をかけて蓋を開け放った。その鳥がこの地獄から逃れ、鳥籠から青空に羽ばたく姿を想像していた。
 しかし、そのインコは鳥籠から逃げようとはしなかった。何事もなかったかのように行儀よく止まり木にすましてつかまり、飛び出そうとはしなかった。そして、「オ・イ・シ・イ・ヨ」と言葉をかけた。
「そいつはね、親鳥が巣で子に餌をやっていたところを狩ったんでさ。巣を覗くと数匹のヒナがピヨピヨとオラに声をかけるじゃねぇか。なんだか可愛くてね、そのままオラが育てることにしたのさ。だからオラから逃げようとはしないんでさ」
店主が崇史に声をかけた。店主はホロリとさせるつもりで話したのだろうが、その話は崇史の背筋を凍らせた。————その数匹いたヒナはどうなったというのか?
鳥籠にいるのはたったの一匹だったからだ。何匹も飼育するのは大変だ。誰かにやったか、それとも独り立ちできるまで育てて逃したか。鶏肉を商売にする店主は自分の罪に苛まれ、正義心に目覚めたとも考えられる。ふと崇史は店主を見た。満面の笑みでナタをふるい、鶏肉を斬り刻んでいる店主を。
 程よい鶏肉に成長した兄弟たちは店先に並んだことは想像に難しくなかった。そしてこの鳥は通行人に、「オ・イ・シ・イ・ヨ」と声をかけているのだ。崇史は顔面蒼白となり、吐き気を模様す。崇史はこの通りを歩くたびにこれから気をかけなければならなくなった。いつまで店先で「オ・イ・シ・イ・ヨ」と声をかける鳥がいるかが気になるからだ。いなくなった時、それは店先に鶏肉にされて並ぶことになるのだ。飛んで逃げようとしない鳥に哀愁の視線を送りながら崇史は店をあとにした。その崇史の背中に「オ・イ・シ・イ・ヨ」と泣き叫ぶ声が容赦無く浴びせかける。

崇史はどこかしら、可愛い声色で「タ・ス・ケ・テ」と聞こえた気がするのだった……

想像の世界から帰国した崇史はコーヒーを啜りながらそんなネタを考えていた。次の小説のネタに使えるか吟味していたのだ。まだまだ甘いが恐怖感を追記すればネタとしては使えそうだとほくそ笑むのだった。

いかがだったでしょうか?
江戸時代の資料に、鳥にしゃべらせる鶏肉屋の話があったのでそれをネタにしてみました。昔の日本人は発想が奇抜すぎてついてけないところがあるよね。

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