犠牲者の死体を見て激怒した警察は100名以上の体制で大規模捜査に乗り出した
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- 奇怪な事件が炙り出す人間という薄氷な存在
- 4歳児の謎多き死
- “M”と刻まれた子供の無惨な死体
- 鬼畜すぎる児童連続殺人鬼
- ケダモノを育んだ血も凍る家庭
- 悪夢のような惨状が日常だった”チャイルドキラー”
- 歪んだ愛情が生んだチャイルドキラーの悲劇
奇怪な事件が炙り出す人間という薄氷な存在
“三つ子の魂、百まで”という言葉があるが、1968年5月〜7月に起こった連続児童殺人事件はそれを証明するものかもしれない。
当時イギリス全土を戦慄で震え上がらせた血も凍るこの殺人事件は、醜悪で獰猛な犯人が果たして本当に罪があるのか?考えさせられたという。
人を殺すことは罪であることは今の世では学習する以前の人としてのモラル、道徳レベルで心の中に育まれるものだろう。
だがそうではない世界もまた存在する。
例えば、昆虫の世界では共食いすることは自然のことだったりする。
感情のない昆虫は隣人を無邪気な笑顔?で殺害し、それを喰らうことになんの抵抗もない。
もしそんな人間がいたら・・・
そもそも罪の概念を持ちあわさせていない人間だったら、そんな人間を産んだ世界に罪があるのでは?と思えてならない。
私が今回出会ったこの連続児童殺害事件はそんなことを思わせるのである。
4歳児の謎多き死
1968年5月25日、4歳のマーティン・ブラウンが殺害された。
イギリスのその街はその当時、仕事を無くし、よその町へ移り住む住民が多かった。
荒れ果てた廃家が多く、そこは子供たちの遊び場になっていた。
午後3時30分頃、3人の子供たちがいつものように廃家に侵入し、秘密基地だと遊ぼうとしていたが、先客がいたらしい。
ただ、おかしなことにその子供はぐったりと床に倒れ、両腕を頭の上に伸ばして仰向けになって倒れていた。
眼球は上を向き、白眼の状態で口のまわりは泡と血痕が見られたという。
誰が見ても明らかに生気はなかった。
それが4歳のマーティン・ブラウンだった。
発見した子供たちは驚愕と恐怖が全身を駆け巡り、パニック状態で逃げ出したという。
その子供の知らせか、近くを通ったジョン・ホールという地元の労働者がすぐに現場に到着し、心肺蘇生法(CPR)を行おうとしたが、マーティンは既にこの世の人ではなかった。
マーティンは郊外に家があった。
車道を中心に両側に一軒家が等間隔で立ち並び、道路と家の間には芝生の空間があった。
マーティンの母親はそこで近所の11歳の優しいお姉ちゃんのメアリー・ベルとノーマ・ベルの2人と一緒に遊んでいるところ目撃していたのが最後の最愛の息子の姿となった。
検死をおこなった医師は奇妙な事実に気がついた。
なんと殺害痕がなく、死因を特定することができなかったのだ。
そのため、当初、殺人事件ではなく、事故死とされていたのだ。
翌日、さらに近くの保育園でちょっとした不気味な事件が発生した。
何者かが敷地内に侵入し、本を破り、机をひっくり返し、インクやポスターの絵の具を塗りたくって逃走していた。
まるで獰猛な猛獣が暴れた跡のような荒らされた状態だった。
そしてなんとその猛獣は大胆にも殺人予告メッセージを残していった。
それはかくばった読みづらい文字で残忍な犯行を思わせる血のような赤いインクで書かれていた
「私たちは殺人を犯す。ファニーとファゴットに気をつけろ」
と書かれてあった。
警察はこの小さな事件どころではなかったので全く相手にせず、ただの幼稚なイタズラだと片付けてしまった。
この対応が犯人の血を沸騰させ、更なる狂気を生むこととなった
“M”と刻まれた子供の無惨な死体
1968年7月31日の午後、3歳のブライアン・ハウ少年は、両親が家の外の通りで兄弟の一人、家庭犬、それに近所の子供たちと遊んでいるのを最後に目撃されていた。
その日の午後、ブライアンが帰宅しないので、心配した親戚や近所の人たちが通りを探したが全く見当たらなかった。
当然、母親の顔に残忍な犯行の刃の餌食になったのでは?と不安と恐怖の色が交差する・・・
その奇怪な仄暗い影は確実にハウ家に襲いかかっていた・・・
午後11時10分、捜索隊がある2つの大きなコンクリートブロックの間でブライアンの遺体を発見した。
それはあまりにもゾッとする凶悪な殺気の爪痕を残していた。
犯人は片手でブライアンの鼻孔をつぶし、もう片方の手で彼の喉を掴んでいたことが明らかだった。
ブライアン・ハウ少年が生死の境界線を彷徨っている時、その少年の足にグザグサと多数の刺し傷をつけ、髪の毛を乱雑に切り、なんと性器が部分的に切断されていたのだ。
それに捜査官がのけぞるほど驚愕させ、怒りに震えたイタズラがされていた。
なんとブライアン・ハウ少年の腹にでっかく不気味な「M」の文字が刻まれていたのだ。そのMからは血が垂り落ち、おぞましい恐怖と殺気、そして憎悪を感じさせるには十分だった・・・
ブライアン・ハウの死体発見を契機に、大規模な捜査が開始された。
ノーサンバーランド州から100人以上の刑事が捜査に当たったのだ。
そしてブライアン・ハウ少年と最後に遊んでいた近所の子供たちに聞き込みした際、重要証言をつかんだ。
7月31日の午後、地元の8歳のガキ大将で有名な少年がブライアンと遊んでいるのを見たと、その彼がその子を叩くのも見たことがあるという証言だった。
さらに、その少年は小さなハサミを所持していたことも覚えていると述べた。
そのハサミで猫の尻尾を切ろうとしているのを見たとの証言あった。
ブライアン・ハウ少年は、1968年8月7日、地元の墓地に埋葬され、200人以上が参列する式典が行われた。
事件担当の警部補は犯人と確信していた人物をマークしていた。
その犯人も少年の葬儀に出席していたのだ。その警部補の証言では、葬儀の行列が始まったとき、子供の棺が家から運ばれてくるのを犯人はハウ家の外に立って見ていたという。
その時、犯人は軽薄な笑みを口の端に浮かべて笑っていたとか。
事件後メディアに”チャイルドキラー”と呼ばれた凶悪の犯人は、最初の犠牲者1968年5月28日が11歳の誕生日の前日だったメアリー・ベルだった。
鬼畜すぎる児童連続殺人鬼
メアリー・ベルが証言した8歳の少年は事件当時、空港にいたことが確認されていて、証言は嘘だと判明。
それ以前にブライアン・ハウ少年を小さなハサミで傷つけていたことは当時公表されていなかった。
そのため、メアリーの証言の中でわざわざ「ハサミ」が登場したことに怪しんだのだ。
それに1人目のマーティン・ブラウンは首を締めて殺害したらしいが、子供のため、力が弱く、痕跡が残らなかったことが後で判明した。
ただ、この1人目が事故死で片付けられたことに不満があったらしく、2人目の犠牲者は此見がしに残忍な痕跡をわざと残し、わざわざ、イニシャルの「M」まで刻み込んだとか。
”チャイルドキラー”メアリー・ベルの親友ノーマ・ベルは同じベルだが姉妹ではなく、血縁関係はなかったがサジェスティックな趣向は共感できたらしい。
ただノーマの証言もまた驚愕なものとなった。
ノーマはメアリーに連れられて冷たくなった死体のある場所に行き、そこでブライアンの遺体を見せられたという。
そしてメアリーは、自分がどうやって子供を絞め殺したかを実演ショーを始めたとか。
ノーマによると、メアリーは子供の首を絞めるのが楽しかったと告白し、現場に隠してあった剃刀と「壊れたハサミ」で彼の腹に傷跡をつけたと説明した。
このあまりにもかけ離れたモラルと罪意識のなさは、どうやったらこんな宇宙人に育つのか疑問を持たざるを得ない。
どうやら”チャイルドキラー”メアリー・ベルの幼少期にドス黒い陰を落としているようだ。
実はメアリーの幼少時代は想像を絶する地獄だったことが判明している。
ケダモノを育んだ血も凍る家庭
ベルの母、エリザベス・ベティ・ベルは、地元では有名な娼婦で、しばしば家を空け、グラスゴーに出稼ぎに行き、父親がいれば子供を預けるだけで、ほとんど家にいなかった。
メアリーはベティが17歳の時に出産した子供だった。
メアリーの実父は、 生涯の大半をアルコール依存症と、武装強盗などの犯罪歴で染まった常習犯ウィリアム「ビリー」ベルが父親だと信じていたらしい。
しかし、ウィリアム・ベルがベティと結婚したとき、メアリーは赤ん坊であり、実際の実父であるかどうかはわからない。
叔母のアイサ・マクリケットによると、メアリーが生まれて数分もしないうちに、ベティは病院スタッフが娘を腕に抱こうとすると、鋭い眼球から憎悪の色を放ちながらこう叫んだという。
“こんなもの、私から遠ざけて!”
メアリーは、愛と祝福に満ちた誕生とは程遠く、生まれながらに母親より遠ざけられた子供だった。
悪夢のような惨状が日常だった”チャイルドキラー”
メアリーは乳幼児期から幼児期にかけて、母親と二人きりで生活しているときに家庭内事故で怪我をすることが多かった。
そのため、ベティの家族はベティが故意に過失を犯したか、娘を傷つけ、殺そうとしたのではないかと通常あり得ない疑惑を抱き始めた。
1960年頃、ベティは娘を1階の窓から落としたり、娘に睡眠薬を飲ませたりしたことがあった。
また、メアリーを自分の子供を持てない精神的に不安定な女性に売ったこともあったという。
ベティは、子供に対する過失と虐待にもかかわらず、ベティはメアリーの親権を手放そうとはしなかった。
ドミナトリックスである彼女は、1960年代半ばまでに、サドマゾヒストのセッションで数人のクライアントにメアリーへの性的虐待を促すほどの鬼畜ぶりだったようだ。
そんな幼少期を過ごしたメアリーにとって傷付けられることこそ、母親を感じることができる唯一の愛情表現だったに違いない。
それこそメアリーにとって最大の愛情表現というモラルの中で育ったからこそ、何も罪も、罪悪感さえもなかったかもしれない。
ノーマ・ベルと違ってメアリー・ベルは警察の取り調べに対しても興奮することなく、不気味なほど沈着冷静だったという。
歪んだ愛情が生んだチャイルドキラーの悲劇
なぜMと傷付けたのか、今では想像するしかないが、おそらく「ねぇ、ママ見てみて、〜できたよ」と子供が親に褒めてもらいたくて自己満足を主張する行為と似たようなものがあったのではないか。
ただ、メアリーの場合は弾けるような笑顔から返り血を垂り落としながら・・・
「ねぇ、ママ、みてみて、Mって切り刻んだよ。首を絞めて殺してやったよ!すごいでしょ?」
我々からすれば、恐怖で凍る快楽殺人でしかないが、メアリーにすれば誇らしいことでしかなかった。
なんともゾッとする話である。
そんなメアリー・ベルだが、実はまだ生存している。
“チャイルドキラー”メアリー・ベルは刑事責任は難しいということで有罪ではあったが、死刑にはならなかった。
そして1980年5月に23歳で刑務所から釈放され、生涯にわたる匿名性が認められた。
彼女は解放されてからわずか4年後に一人の娘を出産。
彼女は今日も英国政府によって保護されている。
また、2009年に誕生したメアリーの孫Zも英国政府に保護されており、なんの問題もなく生活できている。
しかし、メアリーの凶暴な殺気と狂気にさらされ、無抵抗のままハサミで切り刻まれて殺害された被害者たちの遺族は今もなお、消えることのない苦痛と悲しみに身を震わせ、血の涙を流し続けている。