この記事に来たあなたは救われた!その答えはここにある!
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- 高収入を産むのは情報操作か?
- ロスチャイルド家は詐欺まがいの手口で資産を2500倍に!
- 大富豪も注目する幻の楽園ポヤイス国への証券投資でボロ儲け
- ロンドンの投資銀行も出資した恐怖の楽園ポヤイス国
- 投資家はまさかの地獄へ
- 原生林だらけで文明のかけらもない楽園ポヤイスで大量死
- 「正直者は損をする」は本当かもしれない
高収入を産むのは情報操作か?
「ノーリスクでハイリターン!寝ながら稼げる」
そんな魅惑的なキャッチーに疑惑の色を投げかけながらも心忙しくなる。
この広告を信じたあなたは既に騙されている。
なぜそんな情報を発信してくれるほど親切なんだ?
本当に稼ぐことができるのなら、自らライバルを作るほどバカはいないだろう。
投資の世界ではよくこういった詐欺まがいの広告を見かける。
情報を操ることで懐に入りきらないほどの大金をせしめるのだ。
ワーテルローの戦いは良い例だろう。
命運をかけた戦いをよそに裏では別の思惑が隠されていた・・・
ロスチャイルド家は詐欺まがいの手口で資産を2500倍に!
1815年に勃発したイギリス・オランダ率いる連合軍とナポレオン1世率いるフランス軍の天王山の戦い。
この戦いの勝利者はどちらでもなく、世界を牛耳った大富豪ロスチャイルド家と言われている。
もしフランスが勝利すれば大陸のパワーバランスが崩れ、イギリスの大陸での利権が一気に失われる危機でもあった。
イギリスは国債を発行してナポレオンとの戦争の軍資金にしていたので負ければ大暴落だったのだ。
生きた心地のしないイギリス国民は固唾を飲んで戦争の行方を見守っていた。
そこで最初に動いたのは大富豪ロスチャイルド家当主ネイサン・ロスチャイルドだった。
戦争終結直後にイギリス国債をネイサンは投げ売りし出したのだ。
それに気づいた国民は「イギリスが負けた」と勘違いしてどんどんと投げ売った。
そのため、国債は大暴落で紙屑同然となったのだ。
しかし、ネイサンはイギリスが勝利していたことを誰よりも早く掴んでいた。
そして、大暴落したイギリスの国債を紙屑同然の値で買い取っていたのだ。
戦後数日して、イギリス勝利の情報が市場に流れてくるとたちまち値は大暴騰!
ネイサン・ロスチャイルドはこの時、財産を2500倍も増やしたと言われている。
この時、ロスチャイルドに踊らされた名家と言われる大富豪たちは全員破産したとか。
情報を操ったものこそ一番強いらしい。
ただ、この事件は詐欺事件というか、意図的な誘導があったとはいえ、明確に詐欺ったわけではない。
周囲が誤解したにすぎない。
しかし、このロスチャイルド事件を参考にしたのか?世界最初に明確に詐欺った事件がこの7年後の1822年起こった。
なんと220名以上が絶命するという奇怪な詐欺事件となったのだ。
大富豪も注目する幻の楽園ポヤイス国への証券投資でボロ儲け
1822年のヨーロッパは、1815年にイギリス・フランスの第2次百年戦争がようやく終結。
だが国も街も荒廃し、ゾンビのようにそぞろ歩く人々が行き交う暗黒の時代だった。
=チョコっとコラム=
ゾンビはホラー映画が起源ではない。実は古い民間伝承なのだ。詳しくは別記事にまとめているのでぜひ、こちらもチェックね。
→ゾンビが人を喰らう悲しい理由とは?
そんな不景気の中、イギリスでは中央アメリカ、南米の国々などへの投資が、投資家たちの人気を得つつあった。
それらの国の国債は利回りがよく、見逃せないもうけ話となっていた。
そんな時代に、モスキート・コースト国のジョージ・フレデリック・アウグストゥス王から授けられたという、立派なメダルと勲章を下げた1人のカリスマがロンドンに姿を現した。
モスキート・コーストとは、メキシコと南米大陸の間、パナマ運河の近くにあった。
そこは現在のホンジュラス一体の地域に位置している。
そこで1661年以降、モスキート王国と呼ばれる先住民族の王国の所在地となっていた。
そんな国からの名誉を背景にした彼の名はグレガー・マグレガー。
彼はスコットランドの英雄で義賊のロブ・ロイの甥の孫息子にあたるらしい。
またマグレガーは幾多の戦場で死線をくぐりぬけてきた英雄でもあった。
そんなグレガー・マグレガーは幻の楽園ポヤイス国の王子となっていた。
そしてマグレガー王子は800万エーカーの土地を譲渡するというモスキート・コースト国の王の署名入りの証明書を携えていた。
これがとんでもない事件の幕開けだった。
ロンドンの投資銀行も出資した恐怖の楽園ポヤイス国
なぜグレガー・マグレガーがロンドンに現れたか?
それは、できたばかりの母国ポヤイスに投資してくれる人間を探しているということだった。
そのポヤイス国の謳い文句は以下の通りだった・・・
天然資源が豊富で、美しくよく肥えた土地があり、作物を育てれば豊作まちがいなし!
海では魚も食用になるカメも豊富にとれる魅惑溢れる楽園!
となっていた。
町から少し離れれば狩りの獲物もどっさりいる。
また、川は「純金の粒」でいっぱい、そんな幻の楽園でした。
そのポヤイス国にはもちろん、商業施設、銀行があり、憲法や議会も存在していた。
1820年代初期のイギリスは、ナポレオン戦争の終結後の英国経済の全般的な成長の中で金利は低下。
英国国債は年率わずか3%の金利しかなかった。
より高いリターンを望む人々は、よりリスクの高い対外債務に投資していた。
グレガー・マグレガーはそんな幻の楽園ポヤイスに投資をかき集めるために、積極的な販売キャンペーンを展開した。
全国紙でインタビューを行い、広告やポヤイス国の355ページのガイドブックまで出版。
そして彼は、
「たったの2シリング3ペンスでポヤイス国の土地1エーカーがあなたのものになります。11ポンドちょっとのお金をかき集めれば、100エーカーもの土地が手に入ります。イギリスで暮らす金額に比べればわずかなお金で、王族並みの暮らしができるかもしれない。」
と騒ぎ立てた。また、土地証明書の販売と並行して、マグレガーはロンドン証券取引所でのポヤイス政府への融資発行に成功。
当時、評判の高いロンドンの銀行だったジョン・ペリング、ショー、バーバー&カンパニーは20万ポンドのローンを引き受けた。
土地の売却を含むポヤイス政府の収入」と暫定的な証明書を提供していたのだ。
そうしたこともあって世間の人々は、この話に飛びつき、瞬く間にマグレガーは大金を手に入れていったのだ。
まさにポヤイス国は投資価値ありの本物の新興国になっていた・・・
書類上だけの・・・
投資家はまさかの地獄へ
こうして全財産を注ぎ込む投資者も多数いたと言われている。
1822年9月10日、ポヤイス国への移住希望者達は、財産のポンド紙幣をスコットランド銀行の印刷機で刷られた、本物っぽいポヤイスドル紙幣に交換していた。
そして十分な補給品とともに、ホンジュラス・パケット号でポヤイス国に向けてロンドンの港を出航しました。
ポヤイス国行きの船を見送ったマグレガーは、その足でエディンバラとグラスゴーへ向かった。
今度はスコットランド人を相手に同じように投資を募ったのだ。
マグレガーはスコットランド人で英雄、しかも話術もあって人気を博した。
そして2度目の募集でもポヤイス国の土地は完売していた。
移住地に向かう船は今度も希望に満ち溢れた移民者で満員になっていたとか。
1823年1月14日、200人を乗せたヘンリー・クラウチ船長のケネルスレー・キャッスル号は、ホンジュラス・パケット号で一足先に新天地に向かった人々と合流すべく、スコットランドのリースの港を後にした。
そして、到着した270名の移住者がみたものはまさに幻の楽園だったのだ。
そう、そんなポヤイス国なる楽園など存在しなかったのだ。
言葉通りの夢、幻だったのだ。
そこは、文明のかけらもない未開の密林と、マラリア病の発生源になりそうな沼地ばかりだった。
原生林だらけで文明のかけらもない楽園ポヤイスで大量死
ポヤイスという国も、豊かな土地も、文明化された都も存在しない、マグレガーの想像上の産物だったのだ。
モスキート・コースト国のジョージ・フレデリック・アウグストゥス王も、ポヤイスなどという国も知らなかった。
もちろん、そんな原生林に文明人が移住していたことすらも全く知らない状況だったとか。
しかし、移住者たちは母国に帰るすべもなく、補給品を船から降ろし、海岸で野営するほかなかった。
3か月経っても状況はまったく変わらず、悪夢を彷徨うままだった。
町は1つとして見つからず、助けが来る様子はなく、野営地は絶望と漆黒の闇に包まれたという。
現地では醜悪な疫病が広がり、1カ月のうちに8人の移住者の命が奪われた。
なかには再び家族に会う望みを絶たれ、銃で自らの頭を撃ち抜いた移住者もいた。
楽園どころか、地獄に放りだされた移住者は、奇跡的にたまたま通りがかったイギリス船に救出された。
しかし、祖国ロンドンの地に再び戻れた幸運な人たちの数はたったの50名にも満たなかったという。
220名以上が財産を奪われ、伝染病に苦しみ、失意の中、絶命していった。
全財産もそして命さえも詐欺られたこの事件は世界で最初の証券詐欺事件と言われている。
しかし、この事件、奇妙な結末を迎えることになる・・・
「正直者は損をする」は本当かもしれない
皮肉なことに実際に移住者がいたことがさらに投資家を暗に安心させ、大金がマグレガーの懐へ消えていった。
ロンドンに帰国した生存者の中にはもちろんポヤイス国などなかった。
熱帯病にかかり、散々な目にあったと暴露。
ポヤイス国関連の国債は紙くず同然となり、マグレガーは1824年フランスに逃亡。
そのフランスでまた詐欺ろうとして今度はついに逮捕された。
フランスでも人気を博し、存在しないポヤイス国へのビザ申請が殺到していた。
怪しんだフランス政府が調査をしたことから詐欺が発覚していた。
しかし、彼は無罪放免となる。
なんとマグレガーの弁護人が検察側の証人として、マグレガー側とつるんだ不正裁判だったのだ。
また生存者の中には自分達が悪いのであってマグレガーが悪いのではないと弁護する者もいたとか。
それはおそらく彼らの財産でもある、暴落するポヤイス証券をなんとか食い止めたかったのだろう。
正直に暴露すれば、自分の首を絞めるというおぞましいジレンマの結果だった。
まさに「正直者が損をする」というところか。
マグレガーはその後、若かりし頃に独立に貢献したことから、ベネズエラへ移住。
そこでベネズエラ市民として認められて年金を受け取り、余生を過ごしたとのこと。
1845年ベネズエラ独立の英雄として死を迎え、ポヤイス国のことは何も語られなかったとか。
最後は自分の経歴を詐称して英雄として死につくというある意味あっぱれな詐欺人生という他ない。