義経ゆかりの風呂家を訪ねて

苗字のルーツを探る旅で思わぬ出会いがあった

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  1. 義経ゆかりの風呂家を訪ねて
  2. “義経ゆかりの風呂家”は風呂家のルーツなのか?
  3. “風呂”という苗字は地名だった?
  4. 義経ゆかりの先祖伝来の土地から風呂家大移動?

昔から妙字だと思ってた。

わたくし、風千代のBlog名で記事を書いてるんだけど、苗字が妙字でね。

昔から嫌いだった。


実は「風呂」なんだよね!
レア苗字っていえば聞こえはいいけど、昔から我が家では小学生時代はこの苗字でからかわれる運命にあった。


兄弟、従兄弟達もそうで例外はない。

「女風呂、お風呂屋さん」

などなど、風呂屋さんが悪口になるのはいかがなものかとは思うんだけど、私が怒ると「あ、お風呂が沸いた!」とか子供というのは遠慮がない、無邪気な小悪魔だとはよく言ったもの。

友達にからかわれて泣いて帰ると母は「気にするな!お風呂一緒に入ろか?」とか言い返せ!とかよく言われていた事を思い出す。

子供の頃はなぜ幾多の選択肢の中で「風呂家」だったんだと母の選択を恨んだものだが、今思うと姓名、苗字は変えられないので恨む方向性は間違っていないことに感心してしまう。

実はこの「風呂」は自身の結婚の時も障壁になっていた。
お義父さんが生まれてくる子供が「いじめられる」と結婚に素直に承諾できずにいたから。

面白い事を思いつた事を人の気持ちも知らないで自慢したい子供達

わかりますよ、お義父さん。

でもからかわれるのは仕方がないが、「いじめ」に発展するかはその子の性格と振る舞いに依存するのよね。

幸い、今のところ、我が子達は良いお友達に恵まれているようね。
お義父さんも「どんな苗字になっても良い名前を考えた」らしいけど、まさか「風呂」がくるとは想定外だったっぽい。

ところで、社会人になってこの「風呂」という呪われた苗字が初めて「ありかも」と思えてきた。
仕事をするようになれば、初対面で必ずこの苗字が話題になるからだ。

ただ、病院で「風呂さん」とコールするのはやめてほしい。

「誰?風呂ってマジで本名なの?」

的な、ささやかな驚きを見知らぬ患者さんに与えることになるし。
最近番号で呼ばれるケースもあるが、時々「51番の風呂さん」とかセキュリティになっていないケースもあって勘弁してほしいところだ。

ただ、この妙字ネタは私の持ちネタとして今も活用してる。
妻は元来明るい性格のため、笑いネタとして使ってるようだ。
その妻の友人筋から面白い情報をゲットした。

なんと岩手県に「風呂家発祥の地」があるとかNHKの番組でやってたとか・・・
もしかして我が「風呂」もそこにルーツがあったかも・・・と思い、現地に行ってみた・・・

“義経ゆかりの風呂家”は風呂家のルーツなのか?

岩手県遠野市に「義経ゆかりの風呂家」という史跡がある。
自分の苗字が史跡になってるのか!

義経ゆかりの風呂家

と歴史好きな私にはたまらなく興奮させるものがあった。
そこにはこうかいてあった

「悲劇の名将とうたわれた源九郎義経は兄頼朝に追われ、文治5年(1189年)4月、平泉の高館において31歳で自刃したが、華麗だったその生涯を想い、義経はその1年前に平泉を脱し、北を目指して旅にでたという伝説を作り上げた。その伝説の一つに平泉を脱した義経主従は赤羽峠を超えて、ここまで辿り着き、この家で風呂を立てさせ、入浴した。それ以来、この家の姓を「風呂」という。またこの地域の地名を今も「風呂」という」

元々、苗字、氏名というのは身分の上のものから下の者へ与えるもので、逃亡中の源義経には氏名を与えるのは感謝の印にもなるし、おそらく褒美として与えるブツを持っていなかったことを考えるとあり得る話ではある。

現当主にお話を伺ってきた。

すると今は地名は変わってるらしいが、父上と母上より繰り返し、「義経からもらった姓」だと聞かされたとか。
我が一族にはそういった口伝はない。

それに我が家は元々兵庫県の淡路島出身でもある。
昔の地名だが「津名郡遠田村」出身の風呂家となる。

この土地にはかなり多くの「風呂家」が現存しているらしい。
今の地名つながりで「淡路市津名町」は昔、源義経の妾、静御前の余生をおくったとされる場所があったとか。
義経つながりは嬉しいかぎりだが、我が「風呂家」は義経ゆかりではなさそうに思える。

それにはこんな理由がある。

“風呂”という苗字は地名だった?


明治政府は、明治8年2月13日に平民苗字必称義務令を公布。

これにより日本人全員が苗字を名乗り、変更できないこととなった。
といっても明治時代のご先祖様が「適当に」苗字を決めたのではない。

昔から近所の寺院にはその土地を耕作する人物名の記録を残していたらしく、その家に長年伝わった家名、通名などを苗字として登録したとか。

ただ、中には家名も分からない人やこれを機に苗字を変えた人もいたみたい。

江戸時代、実は庶民も苗字を持っていたが、使っていなかったらしい。
それは江戸時代の庶民が意識的に名字を使わなかったのは、土地を持たぬ者が名字を名乗ることをはばかる風潮があったらしいのね。

日本人はその地に根付いていた


古くから、武士は「土地」というものに、一所懸命に守る地、自分の収入が上がる地という意識を持っていた。

手柄を立てて恩賞として貰うもの、つまり「御恩と奉公」の関係の中にあるのが土地であり、土地を持って初めて、堂々と表にできるのが名字=名誉だったっぽい。


庶民は自分が耕作している土地の所有者から恩賞として氏名を貰い、また、地区の共同体意識を強めるために自分たちで土地柄にちなんだ名称を掲げることもあったので、明治になった時に、その地区の寺に記録が残っていたというわけらしい。

というわけで苗字は地名にちなんだものが多い。
例えば、兵庫県尼崎市は全国的にも銭湯が多い土地柄なんだけど、それは江戸時代初期までさかのぼることができ、昔の地名に「風呂辻町」なるものがあったらしい。

おそらく、こういった傾向は全国にあったと思われ、「地名が風呂」だった場所はいくらでもあっただろう。
たぶん、我が家には口伝なるものはないことから、こっちの「風呂」かなぁと思えてならない。


ただ、岩手県の「義経ゆかりの風呂家」御当主より、気になる情報をゲットした
もしかしたら、我が家もこの地域の「風呂家」だった可能性もちょこっと見えてきたのよ

義経ゆかりの先祖伝来の土地から風呂家大移動?


なんと御当主曰く「親父の弟、ヨシロウが淡路島へ移住した」とか。
御当主がおいくつだったのか聞いていないが、御当主の容姿から「親父」殿の年齢を推察するに、おそらくは大正〜昭和初期生まれ世代だと思われ、弟さんのヨシロウ氏もおそらくはその世代だろう。

明治・大正時代は移住ブームだった?

それはちょうど私の祖父「敏夫」と同世代だと思われる。

私の祖父「敏夫」は淡路島出身で男5人、女2人の7人兄妹なのだ。
そのうちのひとり、「清美」の叔母様なる人物がいるんだけど、ここの家系図がおもしろい。

なんと系図的に外部の風呂家に嫁にいってる事になっており、旦那様が「風呂喜四郎(ヨシロウ)氏」となっている。

私の父に聞くと、風呂喜四郎氏は東北から淡路島へ移住してきた人だそうだ。
どうも同一人物のような気がしてならない。

もちろん、ただの同姓同名、同一故郷の他人の可能性もあるだろう。

ただ、同じ風呂家というだけで岩手まで観光に行き、まさか遠縁の方かもしれないと発見できるなんて、なんとも面白い偶然ではないか。

気になるのはなぜ、ヨシロウ氏がわざわざ岩手県から「淡路島」へ移住したのか?

もっと東京とか途中良い土地はたくさんあったはず。
また、「義経ゆかりの風呂家」の御当主から聞いた話で、現在、周辺地域では風呂家は2件のみというのも気になる。

昔地名が「風呂」だったことからももっと現存していても良いはずなのだ。

我が風呂家は昔の地名だが「津名郡遠田村」にはたくさんの「風呂家」が存在しており、多すぎて「上の風呂」「下の風呂」と住む地域ごとに呼び名があったくらい。


それに比べるといくらか歴史的に世帯数が少ないのが気になる。
でも完全な推測になるが、こう考えるといくらか納得感があるんだよね。

実は岩手県では明治・大正時代にブラジルへの移住計画があったらしい。
明治41年、大正13年の2回で約18万人の岩手県民がブラジル移民となったっぽい。

住みなれた先祖伝来の土地に縛られてきた人生から解放され、新たな土地での生活を夢見て移住した人たちが大勢いた時代だった。


そういった周辺地域の社会情勢で大多数の風呂家は他県へどんどん移住してしまったのではないか?

元々地名が風呂だった地域にいたウチのご先祖も淡路へ移住してきた。

新しい土地でスタートするには色々と心細いことだろう。
少しでも知り合いがいた方が過ごしやすいと思うのは人情ではないか?
そういった地域住民の状況があってヨシロウ氏はそのツテをアテに岩手から移住してきたというのはどうだろう。


となると我が家の「風呂」のルーツは淡路島ではなく、元々岩手にあったことになる。

風呂家の大移動があったかも?

我が家には特に口伝があったわけではなく、100年近く前の話なので当事者ももういない。
ただ、ヨシロウ氏の気まぐれで淡路島に来ただけでそこにいた同じ風呂家の我がご先祖と意気投合して姻戚関係となったこともあり得るだろう。

つまりははっきりしたことはわからないのね。

なのでなぜ「苗字が風呂」なのか?という疑問が晴れることはないが、少なくとも家系図上の初代「風呂土次氏」がノリで決めたわけではないことは確かのようだ。


先祖伝来の家名、もしくは当時生活していた地名からとったんだろうなぁと。

わざわざ「風呂」を名乗るからには”義経ゆかりの風呂家”のような、それなりの名誉ある逸話が当時あったに違いない、いやそうであったと私は思いたい。

我が風呂家の本家の子孫は、神戸商大で教授をされていたと祖父より聞いたことがある。

検索してみると確かに「風呂勉教授」がいらっしゃるようで。
もしかしたら、こちらの風呂家には何か伝わっているかもしれないね。

ただ、残念ながら故人のようだ。

同じ風呂を姓に持つ人で先祖伝来の口伝などあれば、コメント入れてもらえると嬉しいです。

道標発見!義経ゆかりの風呂家
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